第47話 そこは言いきれよ

「……なぁ、きざし。これで本当に終わったのだ?」

 問いかける佳代に、兆は顔を上げた。圭史が去っていったあとの病室の扉を見つめ、重々しく首を横に振る。三白眼を佳代に向けて緩慢に動かし、彼は口を開いた。

「そんなわけないだろ。『ライドラ』の連中の中には、もしかしなくても俺に反感を持つ奴がいるはずだ。まぁ、圭史さんも何かしら手を打つとは思うが……気は抜かない方がいいだろうな」

「そりゃそうなのだ」

 頷き、佳代は丸椅子から立ち上がった。軽い靴音を立てて兆に歩み寄り、彼の隣で足を止める。ヒマワリの花のような笑顔を浮かべ、彼は口を開いた。

「僕はこれでよかったと思うのだ。これで……兆を縛るものが、また一つ減ったはずなのだ」

「……そういうもんか?」

「多分、なのだ」

「多分かよ」

 軽くツッコミを入れ、兆は扉の向こうを見つめる。昨日の佳代の言葉を、思い出しながら。

「……チームを去れって言われただけで、チームとの関わりを禁じられたわけじゃない……だったか?」

「その通りなのだ。だから、彼らに恩を返す方法は、これからだっていくらでもあるのだ! 多分!」

「そこは言いきれよ」

 呆れたように溜め息を吐き、兆は三白眼を佳代に向ける。謎に自信満々で、妙にあくどい笑顔。彼は昔から変わらない。根元から引っこ抜かれた電柱のような謎理論を振り回し、何もかも吹っ飛ばしてゆくストロングスタイル。だけど、そんな滅茶苦茶な佳代だからこそ。


 気付いた時には、片手が伸びていた。ふわふわと浮きがちな佳代の髪を、くしゃりと乱す。視線の先で佳代の瞳がぱちぱちと瞬いたかと思うと、彼はむっと唇を尖らせた。

「……何をするのだ。僕はもう高校生なのだぞ」

「……え、はっ?」

 はっと三白眼を見開き、兆は反射的に軽く跳び退った。先程まで佳代の頭を撫でていた手を、穴が開きそうなほど見つめる。

「いくら僕の背が低いからって、子供扱いしてくるんじゃないのだっ」

「……わりぃ」

「ふん、わかればいいのだ。それじゃあ僕も帰るから、くれぐれも安静にしているのだぞ! また明日な!」

「……ああ。また明日」

 呟き、大股で病室を出ていく佳代を見つめる。手に残る真綿のような感触が消えなくて、兆は思わず目を伏せるのだった。



「んー……なんだなんだ?」

 数日後の『Rising Dragon』拠点は、奇妙な緊張感で包まれていた。下級構成員の一人が、隣にいる男子生徒を一瞥する。

「今日、なんかやたらピリピリしてね? なんかあったのか?」

「知るわけないだろ……オレに聞くなっつーの」

 呆れたように言い放たれ、彼は小さく肩をすくめた。そのまま、遥か前方に立つアッシュゴールドの影に視線を移す。


 ひと房の赤メッシュをいじりながら、国近はざわつく構成員たちを眺める。彼の少し前方では、華やかに編みこまれたアッシュゴールドの髪がなびいていた。堂々とした背中は普段と何ら変わらなくて……気に病んでいる様子など、見当たらなくて。彼は革靴を軽く鳴らし、男子生徒たちを睥睨する。その唇から、重い鐘のような声が溢れ出した。

「……お前たち。今日集まってもらったのは、脱退した人間についての話をしなければならないからだ」

 脱退者。その言葉に、周囲の構成員たちがどよめきを上げる。まぁ、そうなるよな、と国近は薄く笑みを浮かべた。何度か手を叩き、不協和音を鎮めるように声を上げる。

「圭史さんのお言葉だ。黙って聞けないのか?」

 熊の足音のような声に、構成員たちは潮が引くように鎮まってゆく。そんな彼らを見回し、圭史は深く息を吸う。一度顔を伏せ、彼のことに思いを馳せ……再び視線を上げた。

「先に言っておく。退。今回の脱退者は絶対の掟に違反した者だが、リーダーである俺はそれに納得している。これ以上とやかく言うつもりはない。俺の言葉を聞かずに該当者を攻撃することがあれば、チームの結束を疑われる。『イソップ』や他のチームの連中と要らない軋轢を生むことは避けたい。わかったな?」

 氷の巨人がうなりを上げるような声に、周囲の空気が凍る。圭史は脳裏にグロッシーブラックの髪色を浮かべ、蝋燭ろうそくを吹くように掻き消した。構成員たちを見渡し、堂々と声を上げる。

「――脱退者は、法師濱ほしはまきざし。昇龍二高2年3組、『Rising Dragon』では中堅に値していた人間だ」


「マジかよ、キザッシーが……」

「嘘だろ……まさか抜けるとは思ってなかったわ」

 圭史の言葉は、チームに渦潮のような混乱をもたらした。後方で八手はってが軽く目を見開く。無理もない、と国近は小さく肩をすくめた。兆はチームの中でも、忠誠心の高さと戦闘の滅茶苦茶さには定評があった。そんな彼が抜けるとなると、少なくない衝撃があるのは予想できる。だが……メンバーの中では、彼の付き合いが悪くなってきていたことも徐々に知られつつあった。そんな折に彼が倒れたとなれば、比較的聡い者ならば、容易く想像がつくだろう。

「――鎮まれッ」

 鶴のいななきのような圭史の声に、国近ははっと姿勢を正した。地吹雪を浴びたように徐々に静まってゆく構成員たちを見やり、圭史はさらに続ける。

「法師濱兆の脱退理由は、さっきも言ったように、絶対の掟に対する違反行為だ。だが、を迫害することは許さない。このケースにおいて、脱退はむしろは祝うべき門出だと思ってる。それに」

 ふと圭史に視線を投げられ、国近はスニーカーを軽く鳴らして前に出た。構成員たちを眺める瞳をふっと細め、圭史の隣に立つ。彼は華やかなアッシュゴールドを揺らし、再び仲間たちに向き直った。

「――この国近勇翔はやとを、護衛としてつけることにした」

「はぁっ!?」

 口々に驚きの声を上げる生徒たち。そんな彼らを眺め、国近は大きな瞳をふっと細める。決して自ら志願したわけではない。不本意にも程があるけれど、それでも敬愛する圭史の指令なのだ。軽く目を開いてガンを飛ばすと、地震に遭ったかのように構成員たちは震え上がった。圭史はそんな彼らを見回し、さらに言葉を紡ぐ。

「そういうわけだから、。あいつはもう『Rising Dragon』の構成員ではない……だが、だからといって報復を行ってよい道理はない。それを忘れるな」

 言い放ち、圭史はくるりと構成員たちに背を向けた。アッシュゴールドの髪の左側が風にそよぐ。それを眺め、国近は小さく息を吐いた。何度か手を叩き、閉幕のブザーを鳴らすように口を開く。

「じゃあ皆、今日はこれで解散。あとはそれぞれの活動に戻っていーよ。お疲れっしたー」

 号令をかけると、周囲には再びざわめきが戻った。小さく息を吐き、国近は圭史の方に視線を戻す。彼は窓に歩み寄ると、ポケットから煙草を取り出した。

(……普段は吸わないけど。一本貰お)

 顔に薄く笑顔を張り付け、彼は圭史にそっと歩み寄る。

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