第9話 素直かッ!

「ヒャッハー! 遠足だァー!」

「いぇぇぇぇい! ジャァスティィス!!」

 バスの中に意味不明な絶叫が響く。お互いの声を掻き消さんと絶叫するのは、金髪を揺らす憲太郎と赤メッシュ改め国近。周りが盛り上げるように手を打ち鳴らす中、二人の大騒ぎはさらにヒートアップしていく。

「ポンポンポーン!!」

「最高! さっすが国近!」

「ハンバァァァァァグ!!」

「いいぞ、もっとやれケンタロー!」

「お前ら、静かにしろ!」

「センコーは黙っててくださーい!」

 担任が注意しても最早誰も聞かず、早くも収拾のつかない事態に発展してしまっている。佳代はしばらく眉をぴくぴくと動かしていたが……リュックサックに手を突っ込み、何かを取り出す。おもむろに体育教師が持っているような笛を咥え、盛大に息を吸い――と、隣に座るきざしにひったくられた。

「おい佳代、邪魔すんな! アレも大事なチームの勢力争いなんだよ」

「なんなのだそれは。とても幼稚もがっ」

「黙れって!」

 慌てて口を塞ぎ、兆は憲太郎と国近の方を一瞥する。本人たちがあんまりにもうるさいので聞こえていないようだが、もし聞こえたら何が起こるかわからない。なにより国近から直々に佳代の監視を任されているのだ。邪魔されるわけにはいかない。そんな彼の首筋に冷たい汗が流れるのを眺め、佳代は兆の手をそっとほどく。

「……兆、もしかして無理してるのだ?」

「……っ」

 アーモンド形の瞳に真っ直ぐに射貫かれ、兆は思わず言葉を飲み込む。ちらりと後方に視線を流すと、国近の大きな瞳と視線が合った。彼は一つウィンクをし、妖艶な仕草で唇に指を当てる。しかしその瞳に宿る光は、どう見ても笑っていなくて。三白眼をそっと伏せ、兆は力なく頷く。国近が満足げに頷くのを見届け、佳代に視線を戻した。

「無理なんざしてねえよ」

「嘘なのだ。なんか元気ないのだ」

「……構うなっつってんだろ」

「お断りなのだ。兆が元気ないと……なんかこう、嫌なのだ」

「なんだそれ」

 呆れたように佳代から視線を外すと、細い指に両頬を引っ張られた。妙に強い力にたまらず三白眼で彼を睨むと、佳代はむっと頬を膨らませる。

「……あにすんだよ」

「折角の遠足なんだから元気出すのだ! 今日はちょっとくらい羽目外しても大目に見てやるのだ。だから普段の疲れをパーッと発散するのだっ!」

「暴論じゃねーか……」

 呆れたように言い放ち、兆は佳代の手を振りほどこうと細い指にそっと触れる。刹那、触れ合った指先から出来立てのスープのようなぬくもりが伝わって、静電気に触れたかのように手を引っ込めた。誤って結界に触れてしまったように指先が熱を持つけれど、それはどこか春の日差しのように優しい熱で。俯く兆の前髪が表情を隠すように揺れる。指先と同じ熱が頬にも上がっていくのを感じ、彼は肺の底から深く息を吐き出すのだった。



 昇龍二高は1学年につき8クラス、1クラスは30名。全240名の男子生徒たちが到着したのは、他県にある観光牧場だった。その片隅にある巨大なテントの下、響くのは肉が焼ける音。十人くらいずつに分かれて丸テーブルに着席し、牛や野菜を焼いている、のだが。


「おいテメェ、タレ使い過ぎだろ! 俺の分なくなるだろうが!」

「うるせーよ、早いもん勝ちだろ! 文句あるなら俺より早く使えよ!」

「お前、その肉焼き過ぎだっつってんだろ!」

「軽く焦げ目がついたくらいが一番美味いんだろ! 口挟むな!」

「ちょ、それ俺の肉! テメー盗んだな!」

「肉に誰のもんとかねーだろ! 文句あっか!」


 あちこちのテーブルで巻き起こる言い争いに、佳代は端っこの席で耳を澄ましていた。梅干しの入ったおにぎりをせっせと口に運びつつ、アーモンド形の瞳を鋭く光らせる。監視カメラのように固い動きの彼に、兆は肉をタレにつけながら問う。

「佳代、肉食わねえのかよ」

「今はおにぎりの気分なのだ。というか前から思っていたのだが、この高校、肉にうるさいのが多いのだ。落ち着いて玉ねぎも食えやしないのだ」

「玉ねぎかよ」

 軽く突っ込みを入れ、兆は肉を口に運ぶ。なんとか何事もなく終わればいいが……と周囲を見回していると、斜め前のテーブルで影が二つ立ち上がった。弾かれたようにそちらに視線を向けると、色とりどりのヘアピンをつけた生徒と唇にピアスを開けた生徒が掴み合っている。

「ッ!」

 佳代は勢いよく米を飲み込み、立ち上がった。襟章から察するに、隣の2組の生徒だろう。押しとどめようと立ち上がる兆をよそに、佳代は二人の間に勢いよく割って入る。

「ストップなのだ! 遠足に来てまで喧嘩するななのだ!」

「だから佳代、余計なことすんなっつーの」

「あん? ……ってキザッシーじゃねーか!」

 リップピアスの生徒が慌てて手を離し、跳び退る。身を低くしつつ兆を見上げ、勢いよく両手を合わせた。

「すんませんキザッシー!」

「いや俺に謝るなよ……つか何で俺に謝るんだよ」

「だってキザッシーの連れなんだろ? 言うことは聞いといた方がいいかと思って」

「素直かッ!」

 佳代と兆の声が重なる。両手を伸ばして派手にツッコミを入れる佳代、呆れたように頭を押さえる兆。ヘアピンの男子生徒はしばし呆けたように彼らを眺めたのち……小さく眉をひそめ、スラックスのポケットに片手を突っ込んだ。嘲笑うように口元を歪め、もう片方の手で首元に触れる。

「だっせーの……たかがキザッシーごときにビビるとかチキンか?」

「はぁ!? ふざけんなテメェ!」

「だからやめろと言っているのだッ!」

「お前は黙ってろッ!」

 ヘアピンの生徒が拳を握りしめ、佳代に向けて鋭くストレートを放つ。咄嗟とっさのことに反応できず目を閉じる佳代、しかし彼に拳が襲い掛かることはなくて。恐る恐る目を開けると……二人の間に、見知った姿が割り込んでいた。無骨な拳とクロスされた兆の両腕がせめぎ合い、ヘアピンの生徒がニヤリと口元を歪める。

「……ふーん。やるじゃんキザッシー」

「……ダメだ。佳代には手を出すな」

 ナイフを突きつけるような鋭い声。ヘアピンの生徒はふっと笑みを零し、拳をそっと離した。おもむろに片手をポケットに突っ込み――首筋に嫌な予感が走り、何を考える間もなく佳代は兆に手を伸ばす。

「――兆ッ!」


「――え?」

 ヘアピンの生徒の間抜けな声に、佳代は思わず手を引っ込めた。兆の背中越しに見上げると、ヘアピンの生徒は何故か宙に浮いていた。呆然とした視線の先には、見覚えのない男子生徒。七三分けにされた黒髪、銀縁の眼鏡に縁どられた鋭い瞳、口元に浮かぶニヒルな笑み、きっちりと着こなされた紺の学ラン。その左腕には、「生徒会役員」と記された緑の腕章――。

 派手な音を立ててヘアピンの生徒が墜落する。一拍遅れて上がる悲鳴に、生徒たち全員の視線が集まってきた。眼鏡の少年は指揮者のように腕を振り、更に視線を集中させ――ニヒルな笑みを浮かべたまま、玉座に座る王のように宣言した。

「諸君、今日は遠足という善き日だ。この善き日を喧嘩などという下賤なことで汚すことは、このボクが許さぬ。贅沢は笑顔でするからこその贅沢だ。よいな、諸君?」

「はーい」

「へーい」

 テントのあちこちから生返事が返ってくる。一過性か永続的なそれかはわからないが、とにかく平穏が訪れた焼肉会場。その片隅で、佳代は呆然と眼鏡の少年を見つめた。当の彼は佳代には目もくれず、自分の席に戻っていく。その後ろ姿を目で追いながら、佳代は爪を掌に食い込ませる。

(……情けないのだ……こんななりで兆を、だなんて、僕は……)

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