第8話 覚悟はできてんのか、あぁ!?

「……疲れた……」

「ふん、何をこの程度で疲れているのだきざし

 机に突っ伏す兆に、佳代は涼しい顔で鞄を背負いながら口を開く。一高時代の重い鞄とは比べ物にならないほどの軽量の鞄を揺らしてみせ、パンにマーガリンを塗るように続ける。

「一高に比べたらこのくらい、大したことはないのだ」

「そりゃ勉強の内容は一高に比べりゃ大したことあるわけねえだろ……そういうことじゃなくて、精神的に疲れたんだよ」

「ふむ?」

「ふむ、じゃねえ!」

 カバのように顔を上げ、兆は椅子を派手に蹴立てて立ち上がった。きょとんと目を見開く顔に勢いよく顔を近づけ、その耳を引っ張りながら叫ぶ。

「お前が毎度毎度向こう見ずに突っ走っていくから! そういうとこ昔っから本当に変わらなくて、見てて危なっかしいんだよ! 頼むから大人しくしてろ!」

「い、や、な、の、だっ!」

 兆の手を払いのけ、佳代はタコのように頬を膨らませた。腕を組み、パスッと音を立てて頬から空気を抜く。

「僕はこの高校を変えたいのだ。それに、それに僕は兆、お前を――」

「……るっせぇよ」

 吐き捨てるように言い放ち、兆は鞄を肩にかけた。一度蹴った椅子を元に戻し、足早に教室を出ていく。その表情にはどうにも拭いがたい影が張り付いていて、佳代は伸ばそうとした手を思わず引っ込めた。苦悩に耐えるように俯き、その表情をアイボリーブラックの前髪が隠す。

「今日は野暮用があるから一緒には帰れねえ。真っ直ぐ帰れよ。くれぐれも余計なことに首突っ込むんじゃねえぞ」

「……場合によるのだ」

 呟くように言い放つ佳代の前髪を、窓から吹き込む風が揺らす。兆はそんな彼から視線を外し、足早に教室を出ていった。



 傾いた日差しが差し込む時間帯、誰も寄り付かないような廃ビル。その扉を押し、下っ端の『ライドラ』メンバーに軽く目配せをする。ヤクザ映画のように恭しく一礼する彼から視線を外し、兆は床に散らばる割れたガラスを踏みしめた。水晶を崩していくような音を聞きながら、階段を上る。

 ――『ライドラ』こと『Rising Dragon』は、昇龍二高を代表する喧嘩チームだ。頭領を中心に一枚岩構成でできているこの団体の中で、兆はほぼ中堅といった立ち位置にいる。そんな彼はゆっくりと二階の広間に続く扉を開け、控えめに声をかけた。

「……うーっす」

「お、来た来たキザッシー」

 赤メッシュが入った黒髪が揺れる。彼はニヤニヤと意地悪げな笑顔を浮かべ、兆の肩をがっしりと掴んだ。大きな瞳が意地悪げに細められ、兆の三白眼を舐めるように見つめる。ハスキーな笑い声を聞きながら、兆は吐き捨てるように呟く。

「……なんだよ、国近くにちか

「お前、あの編入生とえらく仲いいじゃん。クラスでも評判だぜ? 実際どういう関係なわけ?」

「……ただの幼馴染だ」

 吐き捨てると、胸に何か引っかかるものを感じた。脳裏に電撃のように走るのは、弓矢のように真っ直ぐな佳代の瞳。それは決して汚してはいけない聖域のように思えて、兆は赤メッシュ――国近を横目で睨む。

「つか、離せよ」

「やなこった。あの編入生……佳代ちゃんだっけ? しょーじき八手とか石ノ森より迷惑な面はあるけどさ、焼肉奢ってくれたことは称賛に値するよねぇ。ルール守るだけでいいもん食えるとか安いもんじゃん」

「……お前、佳代のことなんだと思ってんだよ」

「うーん、小うるさい金蔓?」

「やっぱりか……!」

 心配していた通りになってしまった。思わず頭を押さえる兆に、国近は赤メッシュを揺らして顔を寄せた。大きな瞳を意地悪げに細め、ハスキーな声で言い放つ。

「ってわけでキザッシー、佳代ちゃんのこと、ちゃーんと見張っててよね。幼馴染の名に懸けて、なんちゃって?」

 それだけ言って兆を突き飛ばし、国近は短い黒髪を揺らして歩いていく。有象無象をかき分けて向かうのは、リーダーの定位置の隣。一年生の時点で幹部クラスに食い込んでいた彼に逆らうのはそれこそ自殺行為だ。普段はつかみどころのないふるまいをしている辺りも気味が悪い。そんな彼を半ば俯いたまま見送り、兆も定位置へと歩いてゆく。



 ザッ、ザッ、とスニーカーがアスファルトを擦る音。全校生徒の約5分の2が在籍するとされている『Rising Dragon』、その全員が揃う集会。道を開け、ヤクザ映画のように頭を下げるメンバーたちの中心を歩むのは、華やかなアッシュゴールドの髪をした少年だ。輝くような色をした髪は全体的に左側に流され、右側は頭皮に沿って編み込みがされている。露わになった右耳を飾るのは、鈍い銀色のフェザーピアス。紺の学ランとYシャツは前開けにされ、血のように赤いTシャツが見えていた。腰履きにしたズボンのポケットに手を突っ込んだまま、アッシュゴールドの少年は気だるげに、しかし堂々と歩く。

 一番奥のスペースに辿り着き、彼は金髪を揺らして振り返った。軽くカールした毛先が蝶のように揺れる。自身を崇めるかのように跪く生徒の群れを睥睨し、彼はドスの利いた声で叫んだ。

「――立てッ!」

「はいッ!」

 まさに鶴の一声。雷電が奔るように響き渡った第一声に、男子生徒たちは渦潮のように次々と立ち上がる。西日が射し込む廃ビルの広間に、アッシュゴールドの髪が華やかに輝いた。彼は全員が立ち上がったことを確認すると、大太鼓のように声を張り上げる。

「……初めて会合に参加する1年もいるだろうから、簡潔に自己紹介させてもらう。昇龍二高3年1組、勝浦かつうら圭史。この不良グループ『Rising Dragon』を統べる者だ。お前たちは少なくとも、俺が卒業するまでの1年間は俺の下につくことになる」

 一言一言が雷のような威力を伴って少年たちを貫く。彼の声そのものが爆弾であるかのように。誰もそれを避けようとせず、ただ甘んじて受け止めている。ナポレオンの演説を聞くかのように、彼らは静寂を貫く。雷のようなリーダーの声を掻き消すまいと、聞き逃すまいと。

「――まず最初に言っておくが、このグループは人の『居場所』となるべく作られたものだ。だから裏切り者は許すな。他人の『居場所』を奪うような真似だけはするな。『居場所』を失った人間がいたら、できるだけ速やかに俺のもとに連れてこい。そして……ここ以外に『居場所』がある奴は、すぐにこのチームを去れ。それが俺たち『Rising Dragon』の絶対の掟」

 少年――圭史の瞳がすっと細まる。西日がアッシュゴールドの髪に反射してきらめく。少年たちの誰かが喉を鳴らす音、レーザーが張り巡らされているかのような緊張感――そしてそれらをぶち壊しにするような、圭史の絶叫。

「テメェらぁ! 覚悟はできてんのか、あぁ!?」

「――はいッ!」

 真っ先に響いたのはハスキーな少年の声だった。国近の大きな瞳が圭史を真っ直ぐに見つめ、赤メッシュが入った黒髪が西日を浴びて輝く。その首筋に冷たい汗が流れ、ひどく乾いた喉仏が動いた。その一声で、幕が切って落とされたかのように次々と返事が響く。その中には……兆の忠犬のような声も混じっていて。

 一通り声が収まると、圭史はふっと笑みを浮かべた。それは天使のように慈愛に満ちて、しかし獅子のように獰猛で。彼は叫ぶ、旗を掲げるように、騎士が名乗りを上げるように。

「なら、何も異論はねえ。そんじゃあ、これから一年間、よろしくな!」

 燃えるような夕方の光に、アッシュゴールドの髪がきらめく。それはまるで闇の中に灯る一本の蝋燭のようで、兆は乙女のように輝く瞳でそれを眺めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る