第23話 浄化の練習

「ああ、待って」

 黒い靄をメス状の気でよし子から切り離そうとした瞬間、由良からストップがかかる。


「それだと、よし子の体まで切ってしまって、身体に負担がかかる。まず、その黒いやつの核を見つけるんだ。核以外のものは、悪い気に吸い寄せられた弱いやつだから、一つ一つばらせばすぐ浄化できる」


 由良に指示してもらいながら、手でじかに黒い塊に触れる。

 生暖かくてピリピリした感触が伝わる。


 粘土をこそげるように、少しずつ上の方をはがし、よし子の体と区別していく。

 自分の気を温存するために、良い気を湛えた神社の雰囲気を頭に思い描き、それと同じ空気を指先にまとうようイメージする。


 核から離されて靄のようになった黒いものは、指先の気に反応して蒸発するように消えていった。


「いいぞ、その調子だ。もうすぐ核だ。……たぶん、死んだ人の想念だな。恨みとか憎しみとか、それ系の」


 黒い粘土状のものをかき分けた先に、女の人――の想念――がいた。

 百年以上前に殺されたようだ。恨んでいるというより、苦しがっている。他の黒い靄を取り除いたからかろうじて人の形に見えるが、このままだと「人であった」面影もなくすだろう。


 もはや言葉も発することができず、異様に丸い双眸がこちらを見ている。

 いつきは汚れを拭き取るように、彼女を撫でた。タールのようなものが取り払われ、彼女の記憶が断片的に見える。


 殺されて池に沈められたこと、暗い水の底で相手の一家を、顔も知らない子孫すらも呪い続けたこと。家が貧しかったこと、年に一度の村祭りのときに、米粉のお団子を食べられることを何より楽しみにしていたこと……。


 ――あんたの名前は、食べることに困らないように、ってつけたんよ。


 まだ記憶の底に残っていた彼女の名前を、いつきは声に出して呼びかけた。


「ヨネさん」


 その途端、こびりついていた黒いものが霧散し、彼女は生前の姿を取り戻した。その表情はもう誰かを恨むことに疲れ、光を求めている。

 

 これなら、彼女を天に上げられる。いつきは頭の中で祝詞のりとをすばやく組み立てた。


「掛けまくもかしこ産土うぶすなの大神、ヨネのみこと御霊みたまの大前に申さく」


 唱えている途中で、彼女は濡れた髪や着物が乾いてじめじめした感じがなくなり、明るい気に包まれ出した。やがて輪郭がぼやけ、浮力を得たかのように宙に浮かび始める。


 天井を突き抜けていく瞬間、ヨネは「ありがとう」と言って消えた。


「あー、よかった、うまくいった」

 いつきが溜め息をつくと、「まだだぞ」と由良に小突かれる。


「よし子の身体を見てみろ。悪い気が入っていた部分が穴ぼこになっている。放っておくとよくないものが入ってしまうから、これを埋めるところまでがワンセットだ」


 確かに、黒い塊が張りついていたよし子の左肩には、穴が開いている。もちろん、観念の穴だから、普通の人が見ても何もないのだが。


「良い気で埋めればいいの?」

 いつきがよし子の肩に手を当てようとすると、由良が首を振った。


「自分の気を使ってばかりいたら、すぐに気枯けがれて病気になるぞ」


 気枯けがれる、という言葉に、びくりとする。

 母のことが脳裏をよぎった。


「よほどの大病や大怪我でない限りは、本人の気を引き出せば応急処置になる」

 再び、由良の指示に従ってよし子の肩に手を置く。


「まず、よし子の身体の奥に残っている良い気を探るんだ」

 細くした気を自分の手から出し、懐中電灯で照らすように体内を探る。


「あ、あった。これかな」


「じゃあ、その気の性質を覚えるんだ。よく木火土金水もつかどこんすいというだろう。気にも種類がある。血液型のようなものと思っておけ。で、その気を穴まで引っ張り上げるんだ」


 よし子の脊髄から、慎重に気を引き上げる。左肩の穴が少し埋まる。

 だが、まだ完全にはふさがらない。


「足らない分は、気を複製して使うんだ。近くに良い気があれば、それをよし子の気と同じになるよう調整すればいい。その方が、自分の気を使うよりダメージが少ない」


 部屋に置いてある観葉植物がすがすがしい気を出していたので、それを引っ張ってきて練り、よし子の気に合わせていく。

 少し「継いだ」感じは残ったが、とりあえずよし子の穴はふさがった。


「まあ、上出来だろう。継いだ部分の気は、よし子が自分でならしていくだろうし」

 及第点が出て、いつきはようやくほっとする。


「いつきちゃん、ありがとうね。だいぶ楽になった」

 よし子がほほえむ。初心者の自分にもできたことに、少し得意になる。


「今回あっさり処理できたのは、今までよし子が自分の体内で少しずつ浄化してきたからだぞ。最初の状態で渡されたら、いつきにはまだ無理だな」


 由良に言われて、しゅんとする。


「ううん、いつきちゃん上手よ。穴を埋めるのが下手な人の方が多いのよ。全然違う気を入れられて体調崩すこともあるし。それに、問答無用で地獄送りにしちゃう人がよくいるんだけど、近くで見てて嫌な気分になるから、あの人をちゃんと上げてくれて嬉しかった。そのために、あたしは多少つらくても自分の中に引き受けているから」


 よし子がほほえむ。相変わらず周りに気を遣う性分だ。


「まあ、密教系や雑密系の行者は、どうしようもないやつは地獄送りにすることが多いな。地獄で心から反省したら上がってこれるから、残酷ってわけでもないんだが。神道系は、地獄送りというより遠流だな。こっちの方が残酷だ」


 本人はもう恨みを捨てていても、吸い寄せてしまった悪い気でがんじがらめになっている霊もいるだろう。それを切り捨てるのは、確かにかわいそうだ。


「そうだね。できる限り、浄化するようにする」

 アヤナに憑いていた黒い塊は、まださほど大きくないから、何とかなりそうだ。


「そうだな。あと、霊視したものを『こうですよね』と言い当てるよりも、相手が自分から話すようにうまく相づちを打つといいぞ」


「言い当てちゃいけないの?」


「いけなくはないがな。『パワハラを受けて悩んでいるんですね』と言うよりも、『毎日あんなに怒鳴られて、つらいんじゃないですか』と水を向けると、『そうなんですよ』と相手が自分から話し出す。話すことで抱えている問題がクリアになって、対処しやすくなる」


 コツをつかめばうまく対処できそうだ。そう思っていると、由良が釘を刺した。


「ただ、どうしても対処できないものもある。無理だと思ったら、地の底へ送るんだ。絶対に迷うな。自分が救ってあげられると考えるのは、ただの奢りだ」


 人の身には出過ぎたこと、という母の言葉を思い出す。

 黙り込んでいると、「耳が痛いなあ」とよし子が笑った。


「まあ、いつきちゃんも目が開いて浄化の基本所作もできるようになったし、そろそろ隣で待ちくたびれてるみんなのところへ行こうか」

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