鬼神の葬式

にゃんしー

第1章 鬼神はあたしが殺したかった

1

 ババアが死んだとき、あたしはセックスをしてた。

 おかしいよね。

 ブスの揺れ方で人生の意味に気がつく、とうたった草食系ミュージシャンは、曲をつくるとき、死とセックスのことしか考えてないという。あたしは美人だから、人生の意味に気がついたりもしないし、死とセックスのことも分からない。

 そもそも、何もつくってない。曲も、子どもも、運命も。

 命を運ぶと書いて運命と読むならば、あたしはまだその人を知らない。子どもも、恋人も、血のつながった両親も、あたしにはいない。たったふたりの妹も、命を運んだりはしない。


『美子、ババアが死んだで』

 末妹の恵子からその電話があったとき、あたしは騎乗位でまたがったまま、

「よっしゃー!」

 とガッツポーズを決めたのだった。

 そのいきおいでペニスが膣からもろん、と零れ落ちた。ぎんぎんのペニスが名残惜しそうにラブホテルのどぎつい照明をみあげる。ゴムはきもちわるいからつけない。ピルでちゃんと避妊はしてるけど。子どもなんてまっぴらだ。というふうにセックスのやり方には人生のやり方が現れるし、だから笑っちゃだめなんだろう。

 でもあたしは、わらってほしいよ。ババアに教えられたこんな人生のやり方なんて。ババアのせいで、眠るときは電気を点けっぱなしにしてる。だからセックスをするときも部屋は明るいままだけど、どんなひかりに照らされても、あたしの美しい身体はひるむことがない。

 ざまーみろ。あたしの名前は美子という。ババアはあたしに「美しく生きるやり方」それだけを教えてくれて、それはあたしにそれなりの豊かな人生を与えてくれたけれど、それ以外は何も教えてくれない人だった。


 おとこから身体を離し、ベッド脇に腰かけてせわしなく足を組み、左手首をひねって腕時計の時間を確認した。いますぐにホテルを出れば、東京から関西に向かう最終の新幹線に間に合うはずだ。

 うちは三人姉妹で、ババアはいちばん下の妹の恵子と、京都でふたり暮らしをしている。銀閣寺の近くにある百年来の古びた一軒家で、高校を卒業するまであたしたち三姉妹はそこでババアと暮らしていた。あたしは就職で、次妹の智子は進学で京都を離れたけれど、末妹の恵子だけがババアの世話のためあの家に残った。

 恵子は女子高生作家として高校在学中にデビューした小説家なので、あの草庵(という言い方もおおげさだが)のほうが都合がよかったのかもしれない。ちなみに次妹の智子は、高校の成績が頭抜けてよくて、高校を卒業するなりケンブリッジ大学に現役合格し、イギリスに飛んだ。あたしはといえば、高校のあいだに大阪ミナミの芸能プロダクションが主宰したアイドルオーディションに合格し、見習いのようなグラビア写真の仕事を経たのち、高校卒業するとそのまま上京して女優になった。


 ほんとどうでもいいことだけれど、高校では「ハイスペックシスターズ」と呼ばれていた。ユニットにしてももう少し名前のつけかたがあるだろう。捻れよ。

 かなり堅めのカトリック系の女子高にいたので、もちろん先生には悪い意味でめちゃくちゃ目を付けられていた。実際のところ、バイトは禁止だし、アイドルだとかモデルだとかもってのほかで、SNSでの自撮りアピールですらバレたら告解(なんだそれは)させられるし、オーディションに受かったあたしはそのあと一週間の停学をくらっている。その件については、「ハイスペックシスターズの頭脳」こと智子が先生を言いくるめてくれたし、恵子が内部告発すれすれのエッセイを文芸誌に掲載してくれたこともあり、なんとか一週間で済んだ。


 しかしババアはあたしたちのことを決して認めようとはしなかった。あたしの美貌も、智子の智謀も、恵子の恵…(思いつかない)も、ババアにいわせりゃ溜息まじりの「仕方がない」。で、そのあとは必ず恒例の「私の若いときはもっと……」が始まった。思い出すだけで苛々する。

 ババアの名前は美智恵らしく、その一文字ずつとって三姉妹の名前をつけたわけだ。じゃあ三文字がぜんぶ入ったババアは美貌も智謀も恵なんちゃらもそなえた完璧超人か? 捻れよ。

 とにかくババアがあたしに「美」を、智子に「智」を、恵子に「恵」を異常なほどに求めた完璧主義者であることは疑いなかった。あのひとに褒められた記憶なんて全くないし、それは智子も恵子もないだろう。叱られた記憶だけはめちゃくちゃあるし、それは智子とも恵子とも共有してる。


 享年八十一歳。指折り数えてた。やっとだ、やっとババアが死んだ。ババアが死んでどれだけ嬉しいか、智子と恵子だけは分かってくれると思う。セックスしてる場合じゃない。すぐにでもババアのいる京都に飛んで間抜けな死に顔を指さして爆笑してやろうと、アイフォンをもってないほうの手で不器用に下着をはこうとしていると、

『美子、いま東京やろ? うちら京都にいてへんから、いま出ても間に合わんと思うし、明日でええで』

 という恵子の声が制した。

 拍子抜けしたあまりアイフォンを取り落としそうになり、あわてて右手でつよく握り直し、口に近づけて叫ぶようにいう。

「え、なんで! どこにいるの! 大切なおばあちゃんの最期を看取れないなんて、あたし、耐えられない!」

 モブ役ながら月9に出演したこともある、いちおう今をときめく女優である。語尾をうまいぐあいに湿らせて、一世一代の名演技をアピールしてやった。「泣きたいときにすぐ泣ける女優」というのはこの世界にくさるほどいる。それぞれに「泣くためのオリジナルなメソッド」を持っているんだと思うけれど、あたしのそれは「テレタビーズのラーラのグラスをうっかり床に落として割ってしまった」というしょうもないものだ。ババアの死なんか思い浮かべるはずもないし、そんなのあたしはうっかり笑っちゃう。なお智子や恵子の死はどうかといえば、怖すぎて泣くどころではないし、そもそもイメージできない、したくない。

『……ちょお、声でっかいわ。耳いたなるやん。よういうわ、美子、ときどき演技わざとらしいで。たぶん他のひとには分からん思うけど、うちと智子さんにはぜったい分かるで。あとババア、もう死んでるしな。まあええけど。テレビ、がんばりや。あんな、うちらが今いてるのは、ユダの病院や。ババアがここで死にたいいうて、昨日越してきたばかりやねんけど、まあ来てすぐにこの通りや。なんやここに来て安心したんかもしれんな』

 恵子はいつもこのようにして説教くさい。作家という職業柄か、それともそうだから作家になれたのか、なったのか、人のことをよく見てると思う。そして決まって見たものを言葉にしたがる。昔からそうだった。恵子の高校のときのデビュー作は、思い切りあたしのことを書いた作品だった。あの女子高で酒は飲むわ煙草は吸うわ喧嘩するわセックスするわ学校さぼるわ、殺人と売春と薬以外は何でもやった問題児として有名だったあたしの生活がセキララに書き立てられていた。「美子のことそのまま書くだけでいいからむっちゃ楽やったわ」とあのとき恵子は悪びれない口調で言った(美子、という主人公の名前は、書籍化するときにさすがに直してもらった。恵子は「直したところで今さらやん」と不服そうだった)。まあ奔放ではあるのだが、それは三姉妹とも同じだし、いちばん周りのことを考えてるという意味では、末妹のはずの恵子がいちばん姉としての役割を果たしていたように思う。長姉のはずのあたしがむしろ妹のような身分で、だいぶ迷惑をかけたし、自由をさせてもらった。恵子もババアは大嫌いであるはずなのだが、文句を口にすることなくちゃんと地元に残って余生の世話をする位置に収まったのは、まさしく彼女の〝姉〟らしさだと思う。遺産目当てという見方もあったかもしれないけれど、昔の生活から振り返るかぎり、家にお金がそんなにあったとは思えないし、今となってはあたしも智子も恵子も、そんな小銭に頓着しないでいいぐらいのお金持ちだ。あたしたちは今をもっても「ハイスペックシスターズ」なのだ。ババアは決して認めないだろうが。

 そのババアがユダの病院にいるという。あたしはカトリックの熱心な信者ではなかったが、いちおう高校でそれなりの教育を受けてるので、ユダ、と聴けば真っ先に十二使徒のひとり、イスカリオテのユダのことが思い浮かぶ。ヤスさん(ババアの影響であたしたちはイエスのことをこう呼ぶ)を裏切った、裏切りの代名詞だ。ババアはあたしよりも智子よりも恵子よりも熱心なカトリック信徒だった。彼女が裏切り者の名をつけられた病院にいるというのは、いったいどんな事態なのか。

「……え、ユダって、イスカリオテのユダ?」

 あたしは声を潜め、遠慮がちに尋ねる。

 アイフォンの向こうからどっと笑う声がした。恵子はこのようにしてよく笑う。三姉妹のなかではいちばん笑いが似合うと思う。よく泣くのは智子だ。あたしはなんだろう……怒り、かな。たぶん。

『美子は面白いなーもー。テレビ見てても思うけど、けっこう天然よな、昔から。バラエティ映えするからええな。ちゃうよ、ユダいうんは地名やんか。覚えてへんの? ババアの地元やん。うちらが産まれる前ぐらいまでいてたらしいで。まあ今となっちゃ身内もいてへんし、帰る意味があったんかよう分からんけどな。それにしてもイスカリオテのユダ、て。ひさっびさに聴いたわ。美子、意外と信心深いとこあんねやな。ほんま、おもろいわ』

 恵子はわらいながらそう教えてくれた。

 ババアの地元だというユダのことをあたしは覚えてない。たぶん、聴いたこともないと思う。ババアが死に際、恵子にだけ明かしたんじゃないだろうか。とにかくその病院の住所を恵子は教えてくれて、あたしは手帳にメモを取ったあと、明日の早朝に向かうと約束し、電話を切った。いつだったか、ババアは西日本の育ちだったとだけ聴いた覚えがある。その記憶のとおり、ユダは西日本の端にある町らしかった。


 おとことはその場で別れた。セックスをしている場合じゃないのはたしかだった。「大切なおばあちゃんが亡くなったの」とウソ泣きを交えていうと、かれはずいぶん心配してくれて、ラブホテルの会計も請け負ってくれることになった。まあかれとはもう会うことはないだろうし、後腐れは皆無だ。いつものワンナイトラブである。初めてセックスをした高校三年生のときから、寝たおとこは間違いなく百人を下らない。どれもゴムはしなかった。けど妊娠したことは一度もないので、ロッテの小坂もびっくりの守備率である。ちなみに智子は中日ファンで、恵子は日ハムファン。みんな守備の堅い渋いチームを推している。テレビ以外何もない家で育ったから、たまに観る野球は好きだったけど、それ以外では誰もおとこに興味がない。

 智子はあたしの知るかぎり処女だ。恵子はたしか編集者と付き合っていたと思うけれど、遠距離恋愛だし、結婚する予定はまったくないと珍しく強い語気で主張していた記憶がある。あたしはといえばいわゆるヤリマンだが、それもおとこに興味がないことの裏返しでしかない。

 あたしにとってセックスとは、自分の美貌をチューンナップするための指針だ。ああペニスはこちらを向いてるのかと確認するためのコンパスであり、おとこの欲望によって担保されているあたしの美貌を確認するための公器だ。智子や恵子にとっても公器なのかもしれないと思う。智子にとっては智謀を確認するための、恵子にとっては恵なんちゃらを確認するための。それにしても恵なんちゃらは長いし言いにくいので、以降はこれを恵俊彰と呼ぶことにする。恵子もある意味「ハイスペックシスターズ」のツッコミ担当だし。あたしはボケだな。智子が小ボケか。どうでもいいが。


 家に向かうタクシーのなかでアイフォンが鳴った。見ると、恵子からのメールで、そこにはメッセージはなく、ババアの死に顔だけが映っていた。タイムスタンプを確認すると、たったいま撮られた写真らしい。そこには美貌も智謀ももちろん恵俊彰も現れていない。のにあたしはわらってしまった。あたしに笑いは似合わない。あたしはたぶん、本当は怒っていた。ババアはあたしが殺したいと、ずっと思っていたから。

 部屋についた。都内でも有数の億ションの最上階。全面の窓ガラスからはまばゆいほどの夜景が見える。星はひとが死んだ姿だというけれど、夜景のあかりのひとつひとつは生きてる姿だ。東京に死は似合わない、し、あたしは死のことがよく分かんない。仕事柄、芸能人の死に立ち会ったことは何度もあるけれど、泣いてるフリこそできてもあたしは全く悲しくなかった。ババアの名前から「美」の字をもらい、美しくなるよう育てられたあたしは、それ以外のなにもかもをババアから教えてもらえなかった。「智」を与えられた智子も、「恵」を与えられた恵子も、そうなんだと思う。「ハイスペックシスターズ」は死のことがよく分からない。ブスの揺れ方で気づくという、人生の意味というやつも。

 化粧を落とし、床に座ったまま、壁にもたれかかる。仕事が忙しくなってから覚えた、短時間の仮眠をとるためのやり方だ。明日は一番はやい新幹線でユダに向かうつもりだった。ババアにされた意地悪を思い返してるうち、あたしは簡単に眠りに落ちた。この体勢で寝ると眠りが浅いため、夢をみることがよくある。けれどあたしはこの日、夢をみなかった。それなのに現実感がまったくなくて、この人生がそのまま夢であるかのような、そんな心持ちだった。

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