第21話 帰り道

 二日酔いで痛む頭、重い体を引きずりつつ、納屋の種を小さめの鉢に蒔き、書斎に持ち込んでCDをかけた。曲目はノエルのチョイスで、ヴィヴァルディの『四季』。

 『四季』は四十分ほどの楽曲だが、杖なしに魔術を維持できるとも思えず、ジリアンは生長促進の魔方陣を用意した。文字通り、時間を早送りする魔術だが、陣は小さく、効果は限定的だ。大きな陣を用意すれば範囲を広げられるが、植木鉢ひとつならば、これでじゅうぶんだろう。

 ノエルもまたどんよりした様子で、低い声で楽曲について教えてくれた。有名な『春』は嵐ののち穏やかに過ぎるが、『夏』は一転して厳しい暑さが表現される。酷暑、強風、雷鳴。嵐に脅かされるのはひとの生活だけでなく、作物もだ。麦が雹にやられてしまう。当時の飢えへの恐れはいかばかりか。

「あ!」

 第二番『夏』、第三楽章。ヴァイオリンによる夏の嵐が吹き荒れるなか、表土を持ち上げて薄い緑が顔を出した。ノエルはしかし、難しい顔のままだ。

「発芽はするんです。まだ一度も花が咲いていないのが問題で」

 第三番『秋』、茎がすっくと立つ。特徴的な節からして、ゼラニウムらしい。促成以外には、魔術での介入は必要なさそうだ。魔術的手綱を引き絞って、生長をさらに早めると、第四番『冬』で蕾がついた。

 「強い北風が吹く冬です」と天気予報ばりの解説が不穏で、どうかもってくれと念じる。いくら魔術に通じていても、いのちが尽きてゆく流れは変えようがない。医療現場で活躍する治癒術師や、死者を招く死霊術師とて、死に抗うわけではないのだ。

 ノエルも不安だったのだろう。『冬』が終わるや、すぐさまリピート再生した。二度目の第一番『春』第二楽章がはじまったところで、蕾のひとつが身じろぎして開花した。

「咲いた!」

 歓声をあげたのはふたり同時だった。開花とともに囁きのようなため息のような何かが耳を掠めた気がしたが、飛び上がった瞬間にラグに足を引っかけ、変に捻ってしまったせいで立ち上がれず、血相を変えたノエルに病院に運び込まれる、といった騒動のせいで、感動も感激もうやむやになり、落ち着いて話せたのは病院からの帰り道だった。

「ひとまず、開花にこぎつけたのは進歩です。安定した再現に向けて頑張りましょう。足がよくなるまで家事は私がしますから、きみは花の方を頼みます」

 ジリアンは助手席から鼻筋の通った横顔を見つめながら、気がかりだったことをもう一度尋ねてみた。

「歌う花を贈りたい方がいらっしゃるんですね」

 ふむ。ノエルはしばし黙り、信号でブレーキを踏んだ際に、吐息とともにこぼした。

「誰かのためと、自分のために……私が何かを為した証しに、歌う花を遺したかったのと、半々です。お察しの通り、相手には届けたくとも届けられないのですが」

 それとも、とかれは薄く笑んだ。

「きみのために遺しましょうか、歌う花を」

「縁起でもない、よしてください。そんなの……僕は嫌です!」

「そうですね。……大丈夫、まだ死ぬ予定はありませんよ」

 車は静かに走り出した。ノエルの声は穏やかだ。

「ジリアン、ここに来て初めて、ノーと言いましたね」

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