第25話 波乱の日々

     ◆


 夕日が差し込む頃、通りを歩きながらシユが説明してくれるが、彼女は一度、女郎屋に戻って着物を変えて化粧を整えたので、あまりに目立つ。

「マサエイ様の前妻がタキという方で、この方の妹が私と兄の母親でね、まぁ、元は遊女で、剣士に見初められて、私たちが生まれたわけ。そこまでは幸せだったのが、タキさんがマサエイ様との間に子を生さなかったのだから、不幸はとっくに始まっていたか、約束されていたのかもねぇ」

 しずしずと歩くので、なかなか先へ進まない。

「マサエイ様はタキさんを放り出して、後妻としてイトさんという方をお迎えして、その時でも親と子ほどの年の差があったようだけど、何はともあれ、イトさんは子供をお生みになった。マサジ様ね。その頃から、イトさんはおかしくなっていて、マサジ様のためと言って、好きに振る舞うようになった」

「その中でタキさんの家系を皆殺しにした?」

「そうよ。私の父も母も殺されて、兄と私はマサエイ様の口添えでかろうじて生き延びることができたのよ。兄は道場に養子に入り、今は師範代になっているのは、あなたも知っているでしょ。私はまともな商家に雇われたけど、どうにも合わせられなくて、自由な遊女になった」

 何年前のことか、と聞こうと思ったが、それはマサジの年齢を考えればわかる。

 マサジの年齢が十代後半とすれば、ノヤとシユの兄弟も十代で波乱の人生を歩み始めたんだろう。

「マサエイ様を恨んでいるのではないのですか?」

 そう問いかけると、忍笑いが返ってくる。

「兄はなんと言っていましたか?」

「ノヤ殿は、マサエイ様には恩義があると口にされました。だからマサジ様だけを狙うと」

「愚かしいこと。男はみんな、生きるか死ぬかですもの」

 達観するには若すぎるが、シユが言っていることは、正しくもある。

 女性の剣士という存在もいないわけではないが、やはり数は少ない。女性には闘争心がないというものもいるが、女性にだって闘争心はあるだろうと想像していた。

 では何が男と女で違うかといえば、選択肢の幅、というしかない。

 男はともすると戦うことに傾倒し、他の選択肢を捨ててしまう。無名の人間として生きていくこと、凡庸な生き方を選ぶくらいなら、剣を取ろう、と思ってしまう。

 同じ場面でも女性だったら、一歩、引けるのではないか。剣を取る以外の選択肢が視界に入るし、焦点を向けることもできるように、観察しているとそう映るのだ。

「スマ様は私がマサジ様を暗殺すれば、それで決着すると思うかしら?」

 ちらりと肩越しにこちらを見るシユの瞳は、すぐに前に向き直ってしまったので、よく見えなかった。

「もしシユ殿がマサジ様を殺してしまえば、ノヤ殿は何もせずに済むかもしれない。ですがマサエイ様はシユ殿を放っておかないし、ノヤ殿も放っておかないでしょう。二人ともを生かしておく理由がないですから」

「まさに、その通り。だから私には兄を助ける気はないわよ。そこのところを忘れないように」

 心します、と応じると、やや斜め上を見て、こぼすようにシユが言った。

 なんでもっと自由になれないのかしらね。

 答える言葉が見つからないまま、二人でオリカミ屋敷に着いた時には、すでに日が暮れかかり、そこここで明かりが灯されていた。オリカミ屋敷の正門にも明かりが出たところだ。

 オリカミ家の門衛が正門の左右にいて、シユに頭を下げた。シユも丁寧ない態度で頭を下げ、そして「こちらの方は従者ですので」と口にすると、門衛が、もう一度、頭を下げる。それだけの問答で、そのまま中へ入っていくことができた。

 屋敷に上がる時、玄関にいた剣士がこちらを見て「刀をお預かりします」と口にしたが、シユが何事かを耳打ちすると、その剣士は「失礼いたしました」と一礼して、剣を取り上げることはなかった。

 上がって、廊下を進みながらシユに確認すると、「マサジ様が剣術を見たがっているとおっしゃっていた、と嘘をつきました」と平然とした顔で彼女が答える。

 変に揉めなければいいが、と思ったが、どうしようも無い。

 勝手知ったる様子で奥へ進んだシユについていくと、前方の広間から笑い声が聞こえた。マサジの声だ。他にも高い声の男たちの嬌声も聞こえる。

 シユが広間へ入るので、廊下で控えることにして、膝をついた。

「おお、シユか。なんだ、遅いじゃないか、何をしていた」

「着物を選ぶのに手間取りまして」

 シユがそう応じると、活発で騒々しい男たちがシユにあれこれと話しかけては、大声で笑う。他にも女がいるようでもある。

 男たちの中にこちらを気にする者はいないようだが、最初にマサジが見咎めた。気にしない方がおかしいというもの。自分が呼んだ女が男を連れているのだ。

「そこにいるのは、何者だ? どこかで見た顔だが暗くてよく見えぬ……」

 確かに部屋の中の明かりは廊下までは届かない。

「スマと申すものです」

 シユが代わりに答えた時、ああ、とマサジが声を上げた。

「ノヤが連れてきた男だ。父上が興味を持っておられたが、そのような場所で何をしているのだ?」

 往来でのノヤとの決闘を中断させたことを忘れているのではなく、どうやらそれは秘密にしたいらしい。同席している男たちとの兼ね合いかもしれなかった。

「スマ、答えなさい」

 今はシユの付き添いなので、シユの方が立場が上にしておくべきということは、道すがらに打ち合わせしていた。

「旅を続けるための銭を得るため、短い期間ながら、菱屋で働かせていただいています」

 菱屋というのがシユが所属している女郎屋の屋号だった。

 旅も楽ではないのだなぁ、などとつぶやき、それきりマサジは関心を失ったようだった。

 それから何人か明らかに遊女の身なりの女性がやってきて、部屋に入っていく。付き人らしい少女も部屋に入っていくが、明らかによからぬことが起こる、それが目に見えていた。

 どうにかしてこの広間から離れたいな、と思い始めた時、背後から足音がして、声が投げかけられた。

「ここで何をしているのかな、旅の方」

 座った姿勢のままで振り返ると、そこには酒瓶を片手に、リイが立っていた。

 そして彼の腰には、刀があった。



(続く)

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