第16話 剣による強制

     ◆


 長屋が見える前に、路地に人が大勢いて、騒動はすでに起こっているようだ。

 悲鳴が上がるが、ミツの声ではない。

 人をかき分けて路地を出ると、生垣の向こうで白刃が閃いた。

「殺しはしない。ミツ殿が私についてくるのならな」

 苦しげな呼吸の音は、タルサカのそれだ。

 生垣を飛び越えて、やっと全貌が見えた。

 ミツが、屈みこんでいるタルサカのそばに倒れこんでいた。頬が赤く腫れている。

 タルサカの方は、まだ先日の傷が癒えていないが、手に刀を持っていた。鞘から抜いているが、その刀を握る右腕は力を失い、すでに血で真っ赤に染まっている。肩を切られたようだ。

 こちらに気づいたハカリが視線を向け、純粋な愉悦の表情を浮かべる。

「今回はお互いに剣を抜いている。これは剣士として正しいのだろう? 流れの剣士よ」

 なるほど、正しいだろう。

 近づこうとすると、ハカリが刀の切っ先をミツに向ける。動きを止めるよりない。

「ミツ殿を傷つける理由があるのか?」

 そう言葉を向けるが、ハカリは表情を変えなかった。

「お前こそ、ミツ殿が傷つくようなことをする理由があるか?」

「おやめください!」

 ミツが叫んだ。ハカリが緩慢な動作で、彼女の方を向く。

「ついてくるか? 私に」

「参ります」

 タルサカが何かを叫んだが、動けない彼をハカリが乱暴に蹴りつける。ミツが悲鳴を上げ、兄に飛びつこうとするが、それより早くハカリが彼女の着物の襟をつかみ、引っ張り上げた。

 危険な間合だった。人があまりに密集しすぎている。容易に事故が起こるだろう。

 だから、見ているしかできない。

 ハカリが本気になれば、そして自分の命を度外視すれば、ミツだけかタルサカだけかは、確実に殺せる。もしかしたら二人ともを殺せるかもしれない。

 その時にはハカリが死んでいるわけだが、今の彼の表情を見る限り、そういうまともな勘定ができる状態ではない。

 ミツ、とタルサカが声を上げるが、その時にはハカリはミツを引きずり、長屋の前に集まる野次馬が慄いて身を引いたことでできた道を抜け、去って行くところだ。

 やっとタルサカのすぐそばに進むことができたが、タルサカは真っ青な顔をして、刀を杖にして立ち上がろうとしていた。その手が血で滑り、倒れかかるのを抱きとめる。

「お待ちください、タルサカ殿。今はご自分のことを大事になさってください」

「妹を、妹を助けてやってくれ」

「お助けします。だからどうか、落ち着いて、医者の元へ」

「そ、そんな暇はない!」

 タルサカの冷静さを期待できず、仕方なく首筋にある太い血管を押さえるという、危険な形で気絶させるしかなかった。

 ぐったりした若者を背負い上げ、刀が放り出されているのに気付き、それを鞘に戻した。刀を捨てるわけにもいかず、刀を手にとったままでタルサカを運ぶことにする。ここに至って周りにいる人が手助けをしてくれる素振りだったが、怯えているのもわかる。

 医者は在宅ですぐに診察したが、患者が意識を失っていることを嘆いていた。

「胸の傷が癒えていないのに、今度は腕だ。難儀だな」

 探るような質問に、正直に答える気になった。

 それはこの医者がヒロテツの知り合いだと気付いたからだ。ヒロテツの傷を癒す手伝いをしたのも、この医者だろう。

 よく見ると年齢もヒロテツに近いようだ。

 ノヤとハカリ、ヒロテツとタルサカとミツ、マサエイとマサジ。

 彼らの入り組んだ事情を少し説明すると、あの道場はいかん、というのが医者の最初の言葉だった。

「道場ですか。ノヤ殿の?」

「あれは殺人術を教えているようなもの。これからの世には必要ない。もちろん、そちらには馬の耳に念仏といったところだろうが」

 耳に痛い話題である。医者が手ではタルサカの腕の切り傷を縫合しながら、ゆっくりと続ける。彼の手元はすでに流れる血で真っ赤になっている。

「何人もの門人が再起不能になっている。それが必要な犠牲なのだろうが、大勢の犠牲の上で剣が上達して、それで誰が得をする?」

「戦が早く終わります」

「足軽が一人で何人を切れる? いきなり総大将の首をはねられるか? 結局、一人や二人の達人がいても、戦は早くは終わらない。そう気付けないのが、剣士の愚かさだな」

 医者の言っていることはわかる。

 こちらの表現、視点がずれているのだ。

「しかし剣が使えるものは、周りの行いを正すことができると思います」

「不愉快なものを切れる、ということかな」

「不愉快ではなく、正しいと思うことをおしつける、正しいとされていることに反する行いをするものを黙らせることができる」

 下品な話だ、と医者が一刀両断する。

「それは銭でもできる。それに一人の剣士で何になる? 足軽を三十人でも五十人でも、百人でも集めれば、それで、その正しいと思うことなどは自在に変えられるだろう」

 どこまでも剣や暴力に否定的な医者なのだと、理解が及んだ。

 それがきっと、人として正しいのだろう。

「自分勝手なことを口にしました。申し訳ありません」

 頭を下げると、剣士とは勝手なもの、と応じて、ハサミで医者は糸を切った。

 それから医者は、タルサカが意識を取り戻すまで、彼を隣の間に寝かせておくべきだろうと提案した。銭を余計にもらうが、というので、自分の財布から取り出して銭を渡した。

「戦がなくなれば平和なのだよ。剣がなくなっても、平和。しかし」

 手を洗いながら、医者がぼやくように言った。

「平和な世界が来てしまえば、こうして銭を受け取ることもなくなってしまうな」

 どう答えるか迷っているうちに、医者は手ぬぐいを揉みながら、

「これもまた自分勝手」

 と、笑うのだった。こちらからも、笑みを見せるしかない。力のない笑みになっただろう。

 夕方になり、ヒロテツは気を取り戻した。

 血をだいぶ失ったからだろう、体の動きは緩慢だった。

「妹を、助けてくれ、頼む、頼む……」

 ええ、ええ、と応じて、タルサカが再び眠るのを見てから、やっと立ち上がることができた。



(続く)

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