第3話 誘い

     ◆


 剣の構えを変えないまま、じっと相手を見た。

 細身で、力こそ強くはなさそうだが、俊敏さや機敏さでそれを補うのだろう。

 笠の影からの視線が感じ取れた。油断はない。

 ジリジリと脚が滑り、そのまま側面に移動されるのを防ぐため、こちらからも横へ移動する。右へ右へ、お互いが円を描くように進む。

 周囲には町人たちが逃げるでもなく、人垣を作っている。

「名前は?」

 声が向けられる。呼吸を読まれても構わないという姿勢か。しかし、そう、今は間合いがやや広い。一歩の踏み込みでは詰められず、両者から踏み込んだ時にやっとお互いの刃が触れるだろう。

 相手の腰の位置、膝の曲がり、重心を把握するが、間合いを一瞬で詰める雰囲気ではなかった。こちらの攻めを待っているのかもしれない。

「名前を聞いている」

 そう繰り返される。

「スマと言います」

「スマか。私はハカリという。打ち込んでこられよ」

 誘いとも呼べない露骨な誘導だった。今までこの言葉に乗って打ち込んで、逆に切り倒されたものの存在が如実だった。

 逆襲、というより迎え撃つ技を使うのだろう。

 じっと待ちを選んで、お互いがただぐるぐると同じ場所を巡っている形になる。

「臆したか、スマ」

 器用にも嘲弄を言葉にするハカリという男は、策士かもしれないが、それよりもこれは卑劣、卑怯だろう。剣士の誇りを傷つけ、冷静さを奪うつもりかもしれない。

「臆したのは、そちらではないか」

 それでも言葉が口をついた。そうやり返された当の臆した剣士から、笑い声が返ってくる。引きつるような、卑屈に感じる声だ。

「そう思うのなら、打ち込んでこられよ。臆病者を切れずに相手を臆病と言えるのかな」

 口だけは達者じゃないか。

 やる気になってしまった自分が愚かだと感じながら、さっと剣の位置を変える。中段から下段に変え、切っ先を横から背後へ。

 それに対してハカリも刀の位置を変えた。

 今しかない、とハカリは気づかなかったのか。

 踏み込んだ時、間合いは半分に。

 まだ遠い。

 ハカリが反応し、飛び込んでくる。悪くない速度だ。

 こちらが二歩目を踏み込むのに合わせるように、ハカリが前進。

 そう、この時、足を送る瞬間にどうしても動きが制限される間隙が生じる。

 ハカリの狙いもそこなのだ。こちらが動きの自由を失ったところを逆に切り捨てる。

 しかしわかっていれば、どうとでもなる。

 足の送りを無理矢理に遅くし、迂回までしてハカリの攻撃をずらす。

 空を切るハカリの刀の切っ先が目の前を横切った時に、そのハカリが傘の下で目を丸くしているのも見えた。

 一瞬の中の一瞬の停滞から踏み込みを再開し、振り抜いた刀を引き寄せようとするハカリの眼前で、こちらの剣が突きつけられる。

 必殺の刺突がまさに今、繰り出されるところだった。

「それまで!」

 声に驚くわけではない。

 その声に込められている気迫、殺意にこそ反応する必要がある。

 刺突の動きを変化させ、ようやっとこちらに向けられたハカリの刀を牽制し、転がるように間合いを取る。

 いつの間に出てきたのが、先ほど、道場の中で門人を打ち据えていた白い道着の男がそこにいた。

 左手にまだ鞘の中の刀を持ち、右手はその柄に触れている。すでに鯉口は切られていた。

 距離があっても男からは安心できない雰囲気があった。

「ハカリ! 何をしているか!」

 男がそう怒鳴ると、わずかに息を飲んでから、ハカリが刀を鞘に戻し、片膝を地面についた。

「申し訳ありません」

「みだりに刀を抜くなといつも言っているだろう。刀を抜く時は、己か相手かの命が失われる時だ」

 諭すというより詰ると表現した方が正しいような口調だった。

 ハカリはもう刀を振れる姿勢ではないし、もう一人の男もわずかに抜くそぶりだった刀を音を立てて鞘に戻し、すでに抜くようではない。

 こちらもそっと剣を鞘に戻し、一礼して、これで終わりにしようと示してみたが、後から来た白い道着の男がそれを止めた。

「弟弟子が失礼をしました。名のある剣士とお見受けしますが、お名前は?」

「名乗るほどではない、旅のものです。これにて」

「私はノヤと言います。どうか、旅のお話をお聞きしたい。そちらの道場で師範をしているのです」

 どう断ろうかと考えているうちにも、どうぞ、こちらへ、とノヤは聞き入れるようではない。それとは別に、ハカリは隠そうともせずに明らかに殺気立っていて、このままこの場を去るのもややこしくなりそうだった。ハカリの誤解を解いて、ノヤの関心を満たす。それが正しいかもしれない。

 それでも、イチキの街をすぐに出るのなら、そんなことをする必要はなかった。

 この時、心の片隅でイチキに留まろうと思ったのは、実はノヤの剣が気になったからでもあった。

 剣を抜かずにあれだけの気迫を示す剣士は珍しい。粗野で乱暴な師範というだけではない何かがある。そもそも、今の受け答えには礼儀正しさと冷静沈着な性格が表に出ている。

 そう、ハカリの刀よりも血生臭いものが、あの右手が添えられただけの刀にはあったようにも思った。

「では、少しだけ」

 結局は話を受けて、いつの間にかノヤに続いて通りに出てきた大勢の門人の前で、道場に招き入れられ、板の間ではなく奥の狭い部屋に通された。

 先ほど、気を失った門人の世話をしていた少年がやってきて、お茶を入れた。簡単なもので、ノヤは気が咎めないようにしているのかもしれない。その少年にノヤは声の一つもかけなかった。

「ハカリを切るつもりでしたね?」

 旅の話などではなく、ノヤは実際的な話から始めたいようだ。

「あちらから刀を抜かれたのです。ノヤ殿が口にされたように、命のやり取りを求めていたと見えましたが」

「あなたがハカリを切っていれば、私があなたを切るしかなかった」

 お茶の入った湯飲みを手に取りながら言葉には反応せずにいると、さすがにノヤも興味を失ったようだ。

「どちらから参られたのかな。いや、まずはあなたの名前をお聞きしなくては」

「スマと申します。北の地から参りました」

「北の土地。それは、オリカミ様が興味を持たれる話題です。どうです、明日にでもお屋敷へ行ってみませんか」

 何の話だ?

 切る切られるの話の時はあれほど平然としていられたのに、さすがにノヤの方をまじまじと見てしまった。露骨な視線だったので、真意を疑われていると悟れないはずがないが、彼は悠然と笑っていた。

「これでも、オリカミ様に剣術をお教えしています」

 嘘だろう、と危うく言いそうになったが、ノヤは今までで一番、自信を見せているように感じられた。言葉にもどことなく、力がこもっている。

 しかし、彼の剣は殺人術に見えた。領主がそれに近いものが学ぶとしても、使う場面はない。

 もし使うとしたら、それは味方がほとんど壊滅した時だ。

 どう答えることでもできないうちに話は進み、翌日、本当にオリカミ屋敷へ行くことになってしまった。

 こういうのを、まったく、油断というのだろう。



(続く)

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