第2話 剣術道場

     ◆


 夜の闇の中で老人と話をした三日後、イチキという町にたどり着いた。

 この街の中心にはオリカミ屋敷という巨大な建物があり、平城だ。ここが周囲一帯を治めるオリカミ家の本拠地だと言う。

 イチキの街は古くからあったようだが、オリカミ家がここを本拠地と定めてから、発展したとも聞いた。小さな茶屋で働く幼い娘が説明してくれたのだ。団子を買って欲しいような雰囲気だったので、四串ほどを頼み、三本はその場で食べた。娘は嬉しそうに銭を受け取っていて、もちろん、こちらも不服ではない。

 団子を食べながら街を歩くが、どの建物も新しく、なるほど、娘の言葉の通り発展したのは最近のようだ。

 剣術道場を探したのはほとんど習慣で、どの街でも探してしまう。剣術道場は戦乱の世が再びやってくることを期待するかのように、小さな村にさえある有様だった。

 乱世なら剣の一振りだけでも大きな栄達が望めるからだろう。

 世の中の人々の大半を占める農民は、乱世でもなければ未来は暗い。毎日のように田畑で仕事をして、しかし実った作物から手に入るはずの収入の大半は、土地を持っているものと統治する立場のものへ差し出さなければいけない。

 それがもし戦で手柄を立てれば、一転して統治する立場か、それに仕える立場になれる。そうなれば農作物や銭を納める側ではなく、取り立てる側に変われるのだ。

 イチキの街にも例に漏れず、剣術道場が見つかった。

 時間は昼で、道場の中からは声がする。町人が何人か、通りに面した建物の格子の向こうを気のない様子で見ているのに、並んでみた。

 さすがに小さな街でもないからか、稽古をしている男たちの稽古着も綺麗なものだ。藍で染めてあるか、そうでなければ真っ白である。これが小さな村の道場になると、薄汚れてほつれているような道着もどきで稽古するものばかりになる。

 目の前で展開される剣術自体には、見るべきものがない、と評価するしかなかった。

 稽古をしているのは若者ばかりで、稽古をつけている師範の立場らしい男性も若い。

 それよりも木刀で打ち合ってるのに、まるで気迫がないのが気にかかる。これだったら竹刀というものを使った方がいいだろう。木刀で打ち据えることに対する遠慮や甘えが露骨だったからだ。竹刀で打ち合う方が、木刀よりは思い切れる。

「どちらから来なすったね」

 いきなり、横にいる中年の町人に話しかけられた。身なりからすると商人だろうか。あまりわからない。

 視線を返すと、胡乱げな顔がある。

「旅のもので、その、遠くから」

 濁して答えたせいか、男の表情から疑念は消えない。

「こんな街に剣術を見に来たのかね」

「剣術はどの街でも見るようにしています」

 そうかね、と男性は頷くと耳打ちするようなそぶりをしたが、声は少しも低くも小さくもならなかった。

「この通りの先にね、カジハラという道場がある。そちらに行くと良い」

 それはどうも、と頷き返すと、やっと男が嬉しそうに笑う。

「あちらが本家でね、オリカミ様もたまに稽古をご覧になられる」

「オリカミ様? ご領主様がですか?」

「嫡男のマサジ様がですよ。マサエイ様はもうお歳だから」

 やや失礼な物言いを感じながら、礼を言ってそこを離れた。

 マサジという人物が次期当主なのだろう。マサエイという人物はその父親なのかもしれないが、剣術を学べないほど高齢なのか。やや年齢的な齟齬を感じなくはない。

 通りを進むと、前方に先ほどの道場よりも立派な構えの建物が見えた。やっぱり町人が中を覗いている。ただこちらに群がっている町人は、先ほどの道場を見物していたものよりも、どこか浮ついているように感じた。

 まさしく見物で、見世物小屋を前にしているような雰囲気なのだ。

 そこに加わって中を覗くと、確かに本気の稽古という感じではある。

 見ている前で幼さが残る青年が肩を木刀で痛打され、屈み込んだところをもう一撃され、昏倒した。それは大勢の中のただの一組で、広い板の間には他にも一対一で向かい合っている門人が三十人はいる。

 その中から次々と打ち倒されるものがいて、次は打ち倒したもの同士が向かい合う。

 打ち倒されたものも、意識があれば乱取りに復帰し、気を失ったものはまだ幼い少年たちに引きずられて奥へ消えてしまうが、少しすると真っ青な顔で戻ってくる。全身が濡れているので、水をかけられているようだった。

 しかしここまで悲惨な稽古も珍しい。度が過ぎれば大怪我をする者もいるだろう。

 稽古で剣が振れなくなるようでは、本末転倒だ。

「情けないぞ!」

 そう声が聞こえた。声を発したのは、真っ白い道着の若い男だ。涼しげな面立ちで、怒声を発してもどこか上品である。

 稽古の動きを見ている中では、その男の動きは際立っている。

 ただし、今、その男の前に屈み込んでいる男は、傍目から見ても普通の状態ではない。右手首を押さえ、脂汗を流して震えているのだ。骨が折れているのかもしれない。

「敵が今のお前を前にして、斬り殺さない道理があるか! お前は既に一度、ここで死んだのだ! 立ち上がらなければ、何度でも殺されることになるぞ!」

 屈んでいた男が立ち上がろうとするが、その前に木刀の一撃が肩を打ち、立ち上がる動きは崩される。

「二度目の死だ! 三度、死にたいか!」

 見物している町人たちが嬉しそうに会話をしている。彼らはまさに、この暴力行為を見物しているのだ。

 不愉快さからもう見ている気になれず、離れることにした。

 スッと身を翻した時、目の前に一人の剣士が立っていた。身なりは立派で、腰には大小二本が見える。しかし笠を目深にかぶっていて、顔は鼻から下しか見えない。

 立ち止まったのは、その男から発散されているものが殺気と呼べるものだからだ。

「どちらから参られた?」

 ひっそりとした声は、他のものには聞こえなかっただろう。

「旅のものです。ご免」

 横をすり抜けようとした時に、光が瞬き、同時に甲高い音が鳴り、それでやっと通りを行き来するもの、何より道場を見物しているものが、事態に気付いた。

 笠の男は刀を構え、こちらに相対している。

 それに対して、男の最初の一撃、不意打ちの抜き打ちを払った剣を構え直し、こちらもじっと相手を見据える。

 刀を不規則に構えたまま、笠の男がジリッと、足の位置を変える。

 殺気は変わらない。

 本気の気迫が刀から立ち上っていた。

 不可視の何かが滲み出すように、ゆらめいている。



(続く)

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