エピローグ2 〜永久〜

 翌朝、金の山羊は姿を消していた。

 今ひとつ実感が湧かず、ロンは広い部屋の中をあちこち探し回った。


 いつもの悪戯心を発揮して、どこかに隠れているのではないか。

 そう思いつつ、キッチンの下を覗き、バスルームをくまなく調べ、カーテンをまくってその裏を見た。

 ありえないとは思いつつも、天井の換気口まで、尻尾を振り振り覗き込んだ。


 しかし、髪の毛の一本も落ちてはいなかった。

 綺麗さっぱりなんの痕跡も残さずに。

 カプラは消えてしまったのだ。


「…………」


 わかっていた結果ではあるが、改めて突きつけられてみると、やはりやりきれないものがあった。

 しばし部屋の片隅でうなだれた後、ロンは仕方なく服を着た。

 そしてテーブルの上に置いてあった、お気に入りのウェスタンハットを被る。


「……ん?」


 するとその下に、一枚の紙切れが忍ばされていた。

 手にとって開くと、カカポの歌の三番が書かれていた。



……♪

 The bird sings in the voice of whistle

 Looking far awey, the endless blue sea

 Spread twin wings and take off paradise

 To that sky, to the unseen eternity



 ロンは眉を顰めながら、幾度かその歌詞を読んだ。


「…………」


 しばし遠くを眺め、それから火をつけて灰皿の上に置いた。

 それは間違いなくロンに宛てた最後のメッセージであり、感謝の言葉であった。


 ロンは柄にもなく物思いに耽った。

 結局、ひどい歌じゃないか。

 綺麗な言葉で飾られてはいるが、消えゆく運命が綴られていることに変わりはない。


 だがそれでも、彼女なりに納得して消えていったことだけは伝わってきた。

 それは考えようによっては、サヴァナにおける最高の勝利とも言えよう。


 実際、カプラは強い獣だった。

 ロンの知る限り、ありとあらゆる人物に比しても。 


「……けふっ」


 紙を燃やしたせいで部屋の中が煙たくなった。

 ロンは窓際に向かうと、無駄に豪華なその窓を開ける。


「さて……」


 そして、身を乗り出しつつ呟いた。


 ここは66階。

 尻尾がすくみ上がるほどに高い。

 頭上には、相変わらず無感情な不死鳥が、真っ白な輝きを放っている。


「何を願えばいい……?」


 金の山羊を抱いた以上、願い事を言わなければならない。

 大事に使うようにと念押しもされている。


 窓際に肘をつき、じっと空を見上げて考える。

 しかし、これと言ったものを思いつかない。

 どれもこれも、一つの命を天に捧げてまで願うようなことではない。


 そのうち頭が痛くなってきた。

 ロンは、己のオオカミ頭を撫で回す。


「むうう……」


 この獣面にも何だかんだと世話になった。

 そうロンは、柄にもなく謙虚になる。


 どこまでも殺伐としたサヴァナ。

 この獣面がなければ、とっくに野垂れ死んでいただろう。

 尊厳なんてものは微塵もない、儚く惨めな生涯だったに違いない。


 だがそれでも思い起こされるのが、育て親レオの仕打ちだった。

 ロンが被っていたカラス面を無理矢理はぎとり、代わりに腐った匂いのするオオカミ面を被せてきた。

 それは今でも、思い出す度に胃が煮えたぎる記憶だ。


 獣面を剥ぐことは、その相手に対する最悪の侮辱。

 あのオヤジは、一体何を考えてそんな暴挙に及んだのか。


 そもそも、何のためにわざわざ俺を拾ったのか。

 それがロンには、未だに理解できない。


 何がエターナルだこんちくしょう。

 せめて洗濯くらいしておきやがれ――。


 思い出すたびに、そんなムシャクシャした気持ちに苛まれるだけだ。

 盗まれるとまずいから、迂闊に脱げないのはわかる。

 それでも人に渡す気があったのなら――。


「せめて綺麗に洗っておきやがれ……!」


 それが常識というものだろう。

 そう――常識。


「……ん?」


 いや違う。

 そんな常識はサヴァナにはない。


 獣面とは、汚れて腐った匂いがするのが普通だ。

 なのにこんなことを考えてしまうなんて、俺は一体どうしちまった――。


「あっ……」


 その瞬間だった。


「ああっ!?」


 ロンの全身に稲妻が走った。


 突然のように思いついた願いごと。

 というか、何でいままで誰も思いつかなかった――!


「うおおおーー!?」


 なんだか無性に嬉しくなって、ロンは思わず飛び跳ねた。

 今まで生きてきて、これほど愉快に思ったことはない。


 俺はこの願い事を叫ぶために生まれてきた。

 そう思わずにはいられないほどに、その胸は高ぶっていた。


「なんで誰も思いつかなかった!」


 ロンはそのまま、高らかに金の山羊の願いを叫ぶ。



   * * *



 そのころ――。


 相変わらずがらんとした大広間。

 その中央に座する、スーツ姿のジョー。

 大型ディスプレイを睨みつけ、さて今度はどこのスラムを破壊しようかと思案中だ。


――カチリ。


 ライオンの左ボタンをクリック。

 画面に表示される警告メッセージ――本当に取り壊しますか?


「ふうむ……」


 ジョーはしばらく考えてから、その恐るべき行為を取りやめた。

 そしてライオンホイールをくるくると回し、スクリーン上のサヴァナシティを広角映像に切り替えていく。


 俯瞰される都市の全貌。

 以前よりもずっと景観が整い、全体としてのコンセプトも明確になってきた。


 それまでゴミ山のようだったスラムの中に、小奇麗な店や住居が建ち始めていた。

 コロシアム周辺の緑化地帯には、鍛錬にいそしむ獣闘士達の姿も見える。


 10棟のタワーを完成させ、多くの富裕層を外の世界から呼び寄せ、その収益でさらに都市開発を進める。

 そして、セントラルコロシアムで繰り広げられる野蛮な祭典を、その軸とする――。


 もう、建物の取り壊しは不要だろうとジョーは思った。

 お膳立てはもう十分だ。

 サヴァナシティは自らの力で成長を始めている。

 このまま放っておいても、この都市はいずれ、ジョーの美意識を遥かに超えた姿を見せてくれるだろう。


「ふふ……」


 ロンとの一戦を終えて、ジョーの胸にもまた、謙虚な気持ちが生じていた。

 微笑みながら、殴られた頬を手でさする。

 まだ、拳の跡が残っているような気がする。


 あの拳は本当に痛かった。

 色んな意味で痛かった。


 そして自分は負けた。

 少なくとも自分で決めたルールの範囲内においては――負けてしまった。


 だが不思議と気分は爽快で、まるで悔しさを感じないのだった。

 むしろ獅子は、これを望んでいたとさえ思っている。


 正直、あのカプラという山羊を抱くことには、少なからぬ気後れを感じていた。

 これはジョー自身にも上手く説明できないことだが、己の美意識に真っ向反する行為に思えたのだ。


 だから、あのオオカミ君のものになってくれて本当に良かったと思っている。

 恐らく自分は、そのためにこそあのイベントを企画したのだろう。


 ついでに新たな教訓も得た。

 よもや獣面を脱ぐという行為が、一戦術になりうるとは――。


「ふうむ……」


 感心するような思いで、獅子は再度、獣面の上から殴られた場所をさすった。


――モフモフ。


 何度も何度もさすった。

 顔を殴られることなど、彼にとってはそうそう有ることではない。

 だからついつい、何度もさすってしまう。


――フサフサ。


「む……?」


 だがそのためにに、ジョーは誰よりも早く『その違和感』に気づいてしまった。

 なんだこの感触は……。

 まるで、洗いたての毛布に包まれているような――。 


「――はっ!」


 直後、ジョーの全身に電撃が走った。

 ガタンと椅子を倒して立ち上がる。

 そしてその事実を確かめるように、さらに何度も『獣面の感触』を確かめた。


――モフモフ、モフモフ。


 肌触りが良い。

 汗ばんでない。

 脂ぎってもいない。


 たてがみもトリートメントをかけたようにフサフサだ。

 そして何やら良い匂いまでするではないか……。


「う、うおおおおーーっ!?」


 まさに驚天動地だった。

 全身に駆け上がる武者震い――そうか、あのオオカミ君か!


 と言うか、どうして今まで誰も思いつかなかった!?


「何十万年サヴァナをやっている!?」


 気付けばジョーは、獅子長の間を飛び出していた。

 階段を駆け上がり、屋上に出る。

 地上400mの高みに位置するピラミッド構造をさらに駆け上がり、頂上部分に突き刺さっている巨大なアンテナにしがみつく。


「……フオオオオオ!」


 大きく息を吸い込み、狭くも広くも感じられる、直径15kmのサヴァナ世界を見下ろす。


 そして、この素晴らしい願い事を届けてくれた者達に向かって、あらん限りの咆哮を解き放った――。



   * * *



「おーい、ロン!」

「待ってたにゃー!」


 ロンがキングタワーのエントランスを出ると同時に、ミーヤとマスターが駆けつけてきた。

 これまた随分とタイミングが良いことだ。


「ああ? 何で今出てくるってわかったんだ……」

「にゃふふー、猫館の情報網を侮ってはいけないにゃあ」


 といって、酷い笑顔を浮かべるミーヤ。

 ロンの背筋は一瞬にして凍りつく。


「まさか……おまえら……!」

「大丈夫にゃ、みんなやってることにゃあー!」

「う、うぐがああー!?」


 ロンは頭をかきむしった。

 迂闊だった。

 66階だと思ってすっかり安心していた。


「まあまあ落ち着いてよロン。今朝ヤマネコさんから連絡があってさ……ブヒヒ。そろそろ出てくるって」

「あの変態ババアー!」


 一体どうやって……。

 ロンは頭を抱え、しばらくその場でのたうち回った。


「上手くいって何よりだよ」

「これで少しは大人になるといいんだにゃー」

「ぬああああああー!!」


 そうしてしばらく苦悶の時を過ごす。


 まもなくロンは、二人とともに帰路についた。

 景色はいつもと変わらぬゼブラ色だ。

 サヴァナの大部分を構成する面無達が、その日の糧を得るために歩き回っている。


 数十万年にわたって獣達が暮らしてきたサヴァナの大地は、その積み重なる営為によって中央部分が盛り上がっている。

 故にこの辺りは景観が良く、サヴァナの辺縁までしっかりと見渡せた。


――GAOOOOOOOOOOOOOOOO!!


「……ん?」


 そのような見晴らしの良い坂道を下っていると、不意に空から、野太い音が響いてきた。


「なんにゃ?」

「カミナリ?」


 しかし本日は快晴である。

 雷が落ちてくる様子もない。


 首を傾げるマスターとミーヤ。

 しかしロンには、それが獅子の咆哮であるとすぐにわかった。


「……もう気づきやがった」


 流石だな――。

 胸の内でほくそ笑みつつ、緩やかな下り坂を降りていく。


 すると、ロンの目に一軒の屋台が飛び込んできた。

 そこでは小奇麗なアライグマの獣面を被った若い店員が、ホットドックを売っている。


 店の看板にでかでかと描かれているのはゴリラの絵。

 フードチェーン『ゴリザラス』の路上店舗だ。

 ロンはヒューと口笛を鳴らすと、その店へと近づいていった。


「美味そうだな、兄ちゃん」

「へいまいど、一つ80サヴァナですぜ」


 鉄板の上でジュウジュウと音をたてているフランクフルトソーセージ。

 見ているだけで腹が鳴る。

 ロンは腰のポケットをまさぐると、そこから小銭を引っ張り出した。


 そしてミーヤとマスターを顔を見てから――。


「三つくれ」


 と言って注文した。


「に゛ゃっ!?」

「ぶひっ?」


 すると、二人同時に飛び上がった。

 よほど驚いたらしい。

 アライグマの店員はさくさくとパンに具をつめると、紙包みにくるんで三人に渡した。


「まいどありっ」


 ポカンとして見ている二人をよそ目に、ロンはさっそく齧り付く。

 そして、さっさと歩いて行ってしまう。


「オオカミにホットドックおごってもらっちゃったよ!」

「どうなってるにゃ!?」


 慌てて二人がついてくる。


「なんだよ、文句あるのかよ?」


 しかしロンは、憮然とした態度でホットドックを咀嚼するのみ。


「ロンがロンじゃなくなっちゃったにゃ!」

「本当にどうしちゃったの!?」


 どうにも腑に落ちないといった様子で、ミーヤとマスターは顔を見合わせるが。


「……はっ」

「……にゃっ」


 やがて同時に息を飲んだ。

 二人とも、その上機嫌の理由に気づいたのだ。


「ねえロン! どんな願い事をしたの!?」

「したのにゃ!?」


 しかしニヤリと笑うオオカミ男。


「……ふふふ、秘密だぜ」

「き、気になるにゃ!」

「一体どんな良いことお願いしたんだよー!?」


 だがロンは何も答えず、ただ己の獣面をさすった。

 フサフサのサラサラになったそれのことを、ロンはあくまでも教える気はない。


 だって、気づいた時の衝撃が薄れるじゃないか。

 先ほどの獅子の咆哮を思いだし、ロンは改めて愉快に思う。


「すぐにわかるよ」

「に”ゃ~~~~! だったら今すぐ教えるにゃ!」

「ひーみーつー」

「ぶひぃー! 意地悪ー!」


 街角に響き渡る賑やかしい声。

 三人の獣が、洗いたての香りを振りまきながら坂道を下っていく。


 都市の景色は明らかに変わっていた。

 道路も、建物も、獣達の着ている服も、何もかも以前と変わらず汚れているが、『一番大事なものだけ』が綺麗になっているのだ。


 道すがらロンは思った。

 もしかしたら、これがエターナルってやつかもしれないと。


――なあ。


 どこへともなく問いかる。


――あんたも見てるか?


 その問いに対する答えはもちろんいない。

 消えてしまった者達は遥か彼方。

 こちらからは、けして窺い知ることの出来ない場所にいる。


 だが、それでも構うことはなかった。

 何故だか今は、その言葉が届いているように思えるのだ。


 やがて三匹の獣は、都市の人混みの中へと飲まれていく。

 行き交うゼブラ達の隙間を、悠久の風が吹き抜ける。


 人は何故生まれ、そして死んでいくのか。

 それは、永遠に解き明かされることのない神秘だ。


 しかしそれでもサヴァナの民は、これからも望みの限りに生き続けるだろう。

 終わり無きものを、求め続けるだろう。


「あれ? なんかいい香りしない?」

「言われてみれば、そんにゃようにゃ……」


 ロンはホットドックを頬張りつつ、ひたすら気分が良くて仕方がなかった。

 願い事の内容に気づいた時、果たして二人はどんな反応をするのか。

 想像しただけで、薄笑いが止まらない。


 やがてオオカミは天を見上げる。

 そこにはいつもと変わらぬ永久の光が――。


「――へへっ」


 微笑んでいる。

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永久なるサヴァナ ナナハシ @inu-x

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