第六話 〜正体〜

 閉店時間は過ぎていたが、店の扉は開いていた。

 中から電球の明かりがこぼれている。

 サヴァナシティに発電所はないが、電気が不足することは何故か無い。


「いんすたんと……めん?」


 いい具合に傾いた木の看板を見上げ、カプラが間の抜けた声を漏らす。


「こんな場所だぜ? 本当にいいのかよ」

「うん……是非も無しよ。紹介してもらえるのなら」

「……そうかい」


 ロンから先に中に入る。

 テーブル席に空のどんぶりが放置されている。

 カウンターの奥には、イノシシが椅子に座ったままいびきをかいていた。


「おい、おっさん。客だ」

「……ん? ほえ? 今日はもう店じまいだよ……って、えええ!?」


 ロンの隣に立つ美女を目にした瞬間、イノシシは一気に意識を覚醒させた。

 座っていた椅子がガタンと傾き、そのまま転げ落ちそうになる。


「うわ! うわわわっ!? ど、どどど、どーしちゃったのロン!? そんな美人さん連れてきちゃって!」


 何とか姿勢を立て直すと、マスターは眼をひん剥いてロンに迫ってきた。


「ちょっと訳ありでな……おい」

「ええ……」


 言われてカプラは前に出る。

 いままで暗がりにいたためも良くわからなかったが、やはり彼女は、眼を見張るほどの美女であった。


 その印象を一言で表すとすれば、まさに『高潔』と言えよう。

 背はさほど高くなく、短く切りそろえられた後ろ髪からのぞくうなじは、少女めいてさえいる。

 しかし全体的に、育ちの良さを思わせる品があるのだ。


 小造りな顔、スッと通った鼻筋、透き通るような青色の瞳。

 もともとの素質が良いことは間違いないが、彼女の場合、特筆すべきはその体に一切のくすみがないところだ。

 サヴァナのような殺伐とした環境で暮らしていれば、女とて生傷は絶えず、体のあちこちが擦れて黒ずんでくる。

 猫面のミーヤなどは、しょっちゅう四つん這いでいるものだから、膝の皮が擦れて厚くなっている程だ。


 しかしこのカプラという女の肌は、くるぶしから耳の先まで、むきたての茹で卵のように透き通っているのだった。

 今でこそ土埃をかぶっているが、湯を浴びて清めれば、見違えるような輝きを放つことだろう。


「ほ、ほげええ……」


 神話の世界でも垣間見たかのように、マスターは言葉を失ってしまっている。

 普段からよほど丹念に管理をしていなければこうはならない。

 日頃からの絶え間ない努力によって獲得された美質。

 カプラという女が持つ魅力は、そういった部分にこそあるようだった。


「私はカプラと言うものです。悪い人に襲われていたところを、ロンに助けてもらいました」

「そ、そうなんだ……」

「訳あって、住む場所も頼る宛てもない身の上です。どうか軒下だけでもお貸しいただけないでしょうか」


 そう言ってカプラは、深々と頭を下げた。

 マスターはしばし途方に暮れていたが、やがてロンに、無言でカプラに関する情報を催促してきた。


「すまねえな、おっさん。場の流れで助けざるを得なくなっちまったんだ」

「うん、それはなんとなくわかるよ。ロンってば、案外押しに弱いから……」

「むぐ……」


 ロンは帽子を深く被りなおすと、カウンター席に腰を下した。

 カプラは頭を下げたまま、じっと店主の返事を待つ。


「帰るところ、本当にないの?」

「はい、ないんです」

「外の世界にも?」

「……はい」

「うーん、そいつは困ったね。あんたみたいな別嬪さんが、何の庇護もなく生きていくのは難しいよね……。まあ座りなよ。いままでどうやって暮らしてきたのさ?」


 マスターに促されて、カプラは下げていた頭を上げる。

 そしてロンの隣に腰掛けた。


「踊り子をしていました」

「なんて店?」


 カプラは静かに首を振った。

 言えない――ということだ。

 マスターもまた、難しい顔をして首を横に振る。

 自らの素性を明かせない者を抱え込む余裕は、この店には無かった。


「だから言っただろう、紹介できるあてはないって」

「そうだねえ……。正直、そういうのは困るねえ……」


 さも申し訳ないといった様子で、マスターは獣面の上から頬をかいた。

 美というものは、それ相応の厄をおびき寄せてしまう。

 そのことを承知していない二人ではなかった。


「そうですか……わかりました。ではせめて一晩だけでも」


 すっかり意気消沈してしまったカプラを前に、ロンとマスターはため息をつく。

 しばし、沈黙の時が流れる。



 * * *



「んで結局、泊めるわけか」

「だって仕方ないじゃーん。僕らだって結局は人の子なんだし」


 マスターはラーメンに入れる具を刻んでいた。あとでカプラに振舞うものだ。

 その当人は今、店の奥にある浴室で体を洗っている。

 せめて身を綺麗にして、一晩ゆっくり休ませ、後は目立たない服の一つでも分けてやろうという話になった。

 それで二人の中で燻っている、なけなしの良心は救われる。


「彼女の獣面、なんて言ったっけ?」

「カカポ」


 具を刻み終えたマスターは、棚から一冊の本を取り出す。


「カカポね……カカポ、カカポ……っと」


 サヴァナシティ虎の巻。

 かなりの厚みがあるその本には、獣面の一覧も載っている。


「あった、カカポ。戦闘力指数は……うわ! たったの2だ……」

「はあっ? ネズミより弱いのかよ?」


 弱者の代名詞とされるネズミでさえ、その戦闘力指数は3。

 カカポはそれよりさらに弱い。

 面無しと一対一で戦うことさえ危うい能力である。


「特徴はね……脚力が強い……だって。翼はあるけど空は飛べない。あと、いい匂いがする」

「しょうもねえな……」


 確か、足を踏みつけられたハイエナ男が飛び上がっていた。

 恐らくはあれが、カカポの唯一の武器なのだろう。


「うひゃー、しかも外の世界では絶滅危惧種なんだって!」

「良いとこ無しじゃねーかっ」


 世の中には救いがたい事実が様々あるが、全財産を叩いて手に入れた力がそれとは。

 ロンは、獣面の中が痒くて仕方ない。


「そうだねえ、ある意味レアだけどこれは使えないね……。なんでこんなの被ってるんだろ?」


 戦闘力としては無いよりはマシかもしれない。

 だが悪目立ちする分、かえって身を危うくするだろう。

 実際あの獣面が原因で、ハイエナ達に睨まれてしまったようなものだ。


「顔に傷でもつけられたんじゃねえか?」


 と、冗談まじりに言って見るが、自分で言ったその言葉に思わずハッとなる。


「ロン、それはありえる話だ」

「そうだな……」


 あんな綺麗な女の顔に、もしも醜い傷があったとしたら――。


 それは、なんともやりきれないことだ。

 サヴァナには人の数だけ不幸がある。

 二人は改めてため息をつき、彼女はその中でも、飛び切りの不幸を抱えているのではないかと想像した。


 店の奥からはチョロチョロと水が滴る音が聞こえてきている。

 コンクリートうちっぱなしの朽ちた浴室には、水桶とじょうろで作った粗末なシャワーをぶら下げてある。

 コンパネを打ち付けただけの引き戸はかなり歪んでいて、最近では閉じることすらしない。

 その水音のする方向に目を向け、マスターはやれやれと首を振った。


「掃き溜めにケツァールってのは、このことだ」

「……カカポだけどな」

「随分ゆっくり入ってるね……お湯、足りるかな?」


 と言ってマスターは、戸口から顔を出して浴室の方を覗き込むが――。


「ぶほっ!?」


 突如、盛大に噴き出した。


「ちょ、ちょっとロン……! 大変大変……!」

「な、なんだよ……?」

「いいからいいから! ちょっと……静かにこっちきて……!」

「ああ?」


 言われてカウンターの奥に移動する。

 マスターは鼻息が荒く、耳の先まで赤かった。

 まるで興奮したブタのようだ。


「静かにね……ソーッとね? いいもの見られるから……ぶひひ」

「うむむむ……」


 何となく事情がつかめたロンもまた、首の辺りを赤くする。

 二人はそのまま顔を二段に重ね、静かに浴室の方を覗き込んだ。


「……おお」

「……人助けはするもんだねえー」


 なんと、浴室の扉は半分以上開いていたのだ。

 恐らくは建て付けが悪いために、上手く閉じられなかったのだろう。


 その奥の、水に濡れて黒々としたコンクリート壁に浮き立つように、女の艶かしい素肌が見えていた。

 服を着ていたときより一回り膨らんだかのように見えるその姿は、まさに完成された大人の輪郭だった。


 浴室には煌々と灯りがともっている。

 ならば、向こうからこちらは暗くて見えないはず――。

 二人はそう高を括る。


 もしバレたとしても、今宵限りのこと。

 オオカミ男は遠慮がちに、イノシシ男はしげしげと、その眼福な光景を堪能した。


「……ん?」


 だがすぐに、ロンはある異変に気付く。


「獣面を外してやがる……」


 それは命の次に大事なもの。

 殆どの者は、湯に浸かるときも脱がずに身につける。

 しかしカプラは気にもせずに、生まれたままの姿で湯を浴びているのだ。


 必然、ロン達の視線は女の顔に向く。

 いつしかその胸に、祈るような気持ちが生じている。

 どうかそこに醜い傷がありませんように――と。


 そしてマスターがいよいよ涎を垂らし始めた頃、カプラが一瞬、横を向いた。

 彼女の素顔があらわとなり――。


「……な!?」

「……ぶひ!」


 二人は、同時に仰天することになった。


「う、嘘だろ……?」

「そんな……!」


 すかさず顔を引っ込める。

 愕然とした表情で、互いに視線を交わす。

 先ほどまでの高揚感が、一瞬にして吹き飛んでしまった。


 そして、何故ハイエナ達が執拗にカプラを追い回していたのか。

 ロンはその理由を知ることになる。


「……み、見たよねロン?」

「ああ……生えてたな」


 二人はカウンターの奥にへたり込み、天井にぶら下がっている裸電球を見上げる。

 そして同時に呟いた。


『……ヒゲが!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る