clumsiness/another《後編》

tony.k

side-涼

「 うだうだ悩んでないで話をしてきなさいよ。そんな優柔不断とはあたし、結婚したくないわ 」

「 うん…そうだよね 」

「 あぁ、もう…じれったい。こんな理解者、そうそういないってのに。あたしって本当に良い女よね 」

「 うん、分かってる 」

 涼は思わず笑ってしまった。

 楓と別れてから約3年の月日が流れていた。涼は婚約者であるカンナと夏に予定している結婚式の打ち合わせをしていた。

 一時は、2度と恋愛は出来ないだろうとまで激しく落ち込んでいた涼にも、新しい出会いが待っていた。

 カンナは涼の就職先の5つ年上の上司だった。入社したての不甲斐ない涼をいつも傍で支え、叱ってくれていた。

 プライベートの面でもそれは同じだった。自分がバイである事、様々な人と付き合ってきた事、楓という忘れられない人がいる事-全てを曝け出した後も、カンナの涼に対する態度は少しも変わらなかった。

「 振り返ってみると自分が恥ずかしくなるような事だらけ…リアルな恋愛なんてそんなものじゃない?映画やドラマのように美しいばかりじゃないのよ、きっと 」

 あまり自分を卑下する必要はないと、楓の事が忘れられない涼を、カンナは励ましてくれた。

 気が強く、人にも自分にも厳しく接する中でも、他人を思いやる優しさを持ったカンナの人柄に、涼は段々と惹かれ始めていた。

 正式に付き合い始め、カンナとの結婚を意識するのも、そう遅くはなかった。当時はまだ21歳という若さだったが、涼のプロポーズに対し、カンナは笑顔で受け入れてくれた。

 式の招待客リストには楓と葵の名前も書いていた。しかし、涼は手元にある招待状をまだ送れずにいた。

「 賢二くんだっけ?彼に連絡して、楓くんと葵くんの事、聞けばいいんじゃない? 」

 渋る涼を説得するように、カンナは真剣な眼差しで見つめている。婚約者を元恋人に会いに行くよう促すなんて事は、普通に考えて簡単に出来るものではない。

「 そうする。ありがとう 」

 彼女の強い精神力に、涼は感謝の気持ちでいっぱいだった。

 *

「 シャインホテルの中にあるレストランでバイトしてるみたい。平日はいつも、大体22時過ぎまで働いてるって。涼が行く日も入ってるらしいよ 」

 さりげなく葵から聞いた情報を、賢二は電話で伝えてくれた。

 出張のため、東京行きが決まっていた涼は、宿泊でシャインホテルを予約し、楓に会おうと段取りしていた。

「 ちゃんと招待状も渡すのよ。必ず、スッキリとした顔で帰って来て 」

 カンナは笑顔で送り出してくれた。

 仕事を終え、ホテルの部屋に戻った涼はスーツを脱いでシャワーを浴びた後、持参した私服に着替えていた。

 部屋は少し広めのシングルルームだった。壁紙は綺麗な乳白色で、ベッドの横にはオレンジ色の明かりを灯した小さな照明器具が立てられている。窓はホテルからの夜景が一望できた。

 夜景を眺めながら、久しぶりに楓に会える喜びと、会ってくれるだろうかという気持ちが入り交じり、落ち着かなかった。

 涼は鞄から香水を取り出し、軽く2回だけ自分に吹き掛ける。この香水は誕生日にカンナからプレゼントされたものだった。仕事以外の日はよくつけていた。

 深呼吸をして香りを鼻から取り込むと、カンナの顔が思い出され、まるで精神安定剤のように気持ちが和らぐ。

 携帯を手に取ると、時刻は22時34分と表示されていた。そろそろか-涼は電話帳から楓の番号を拾い暫く見つめた後、少し震える指で発信ボタンを押した。

 コール音と共に、涼の心臓はバクバクと早まっていた。楓が自分の番号をまだ残してくれている保証もなければ、残していたところで出てくれる保証もなかった。

 緊張から身体が限界を迎えそうな程震え出した時、プツッとコール音が途切れ、少しの沈黙の後、声が聞こえた。

「 ……はい 」

 楓の声だった。たった一言で、昔の思い出が溢れるように一気に頭の中を駆け巡っていった。

「 あ…楓?良かった、出てくれて。ごめんね、いきなり電話なんかして 」

 涼は少し声まで震えていた。

「 ううん、久しぶりだね。どうしたの? 」

 電話の向こうの楓の声からも、緊張が伝わってくる。

「 うん、実は俺、仕事の関係で今東京に来てるんだ。シャインホテルにいる 」

「 えっ? 」楓は驚いていた。

「 楓、まだ、ホテルにいる? 」

「 うん、いるよ 」

「 622号室にいるから来てくれないかな。後で事情はちゃんと説明するから 」

 楓がここにいることを何故知っているのか不思議でならないだろうと思った。しかし、あまりの緊張に、涼は順序だてて上手く話す事が出来ずにいた。楓に恐怖心を与えていないか心配だった。

「 分かった。直ぐ行くから待ってて 」

 電話を切り、涼はふうっと大きく息を吐いていた。

 静けさを増す部屋の中で、涼は昔の事を思い出していた。楓に会うのは別れた日以来になる。5分程待っていると、部屋のインターホンが鳴った。

 涼はドアへと駆け寄り、返事もせずにゆっくり扉を開けた。すると、その先に楓が立っていた。

「 久しぶり。来てくれてありがとう。良かったら入って 」

 涼の言葉に微笑みながら頷く楓は、昔と変わらず美しかった。少し大人びた表情に、3年の月日を感じられる。

 部屋へと案内した涼は、楓と向き合い話し始めた。

「 賢二に連絡して相談したんだ。どこに行けば楓と会って話せるかなって。そしたら楓がこのホテルのこの時間にバイトしてること、教えてくれて。時間が無くてギリギリの連絡になっちゃったから、いきなりで怖がらせたよね、ごめんね 」

 涼は必死に弁解していた。

「 大丈夫。俺も会えて嬉しいよ 」

 楓は強く首を振りながら答えた。

「 賢二には最近の楓と葵の事も聞いたんだ。2人が付き合ってる様子は無いって… 」

 楓は何も答えなかった。付き合うどころか、恐らく、自分の気持ちを伝える事すらしていないのだろうと楓の表情を見て悟った。

「 楓、こっち見て。聞いて 」

 暗い表情で視線を落とす楓に、優しく語り掛ける。その言葉通り、楓は涼の顔をもう一度見た。

「 もし、楓が自分を責めていて、葵に何もしないのなら、それは違うよ。ダメだよ、そんなんじゃ。俺は楓と付き合えて嬉しかったよ。それに、俺の方から勝手に離れて行ったんだし、楓は何も悪くないよ 」

 涼の言葉を聞く楓の目からは、涙が次から次へと溢れ出していた。

 それを見た涼は、楓を優しく抱き寄せた。楓はしがみつくように涼の背中に手を回していた。

「 俺、楓の事が本当に好きだった。けど、葵を好きな楓に気付いてて、自分の気持ちを素直に言えなかったんだ 」

 泣いている楓の頭を撫でながら、強く抱き締める。涼はそのまま話を続けた。

「 好きだと言えなかった事も、楓を傷付けたりした事も後悔してた。でも、今となっては良い思い出だよ 」

「 …俺の方こそごめん。涼の気持ちも知らずに無神経だった。それでも、涼と付き合えて…色んな初めてが涼で良かったって…今でも思ってるよ 」

 今の涼にとって、これ以上の言葉は他に無かった。

「 マジ?…すげー嬉しい。もう何も悔いは無いな 」

 クスクスと笑いながら涼は答えた。相変わらずの楓は可愛くて堪らなかったが、恋愛とは違う、自分の感情の変化に気付いていた。

 ボロボロ泣きながらグズグズ言っている楓は子供のようだった。涼は楓が泣き止むまでずっと抱き締めていた。

「 あ、そうだ 」

 涼は楓から離れると、椅子の上にある鞄から招待状を取り、差し出した。

「 はい、これ 」

 楓はキョトンとした表情でそれを受け取った。

「 実は俺、結婚することになったんだ…あ、女の人とね 」

 悪戯っぽく笑いながら言った。

「 彼女は全部知ってるんだ。今日も行ってちゃんと話して来いって言ってくれて。結婚式には楓と葵にも来て欲しいから…直接渡せて良かったよ 」

 すると、楓はまた泣き出してしまった。

「 良かったね、涼。おめでとう 」

「ありがとう 」

 そう言って、涼は楓の頭を撫でていた。

「 俺、ちゃんと幸せだから。楓も幸せにならなきゃ駄目だよ 」

 零れる涙を拭きながら、楓はうんうんと頷いていた。

 3年前から止まっていた時間が、また動き出したような気がした。楓の顔にも笑顔が戻っていた。

「 もし、葵の気持ちが分からない時は彼に触れてみて。きっと何か分かると思うから 」 

「 …え? 」

 楓は不思議そうな顔をしていた。

「 きっと大丈夫だから 」

 立ち止まったままの楓を知る事で、地元に帰る前に葵と会って話をしようと涼は思い付いていた。それが自分に出来る、楓への最後のプレゼントだと考えていた。

 *

「 あ、葵、待ってたよ。座んなよ 」

 カフェに現れた葵に対し、涼は自分の真向かいの椅子に座るよう促す。近くにいた店員を呼び、葵の分のホットコーヒーを頼んだ。

「 俺、夕方の便で地元に帰るから羽田空港にいるんだ、今。まだ時間があるし、帰る前に葵と話がしたくてさ。来てくれるよね 」

 楓と会った次の日の昼過ぎに、涼は葵に電話を掛けていた。電話での葵の話し方は明らかに苛立っていた。

 その様子から、楓は今までの事全てを葵に打ち明けたのだろうとすぐに理解出来た。

 涼は空港にある保安検査所前のカフェを待ち合わせ場所として指定した。

 コーヒーを運んで来た店員が立ち去ると、涼は読んでいた雑誌を閉じて自分の残りのコーヒーを飲み干し、葵をじっと見つめた。

「 招待状、楓から貰ったでしょ? 」

 葵は何も答えなかった。それに構うことなく涼は話し続けた。

「 楓に葵の分の招待状を渡したのは間違いだったかな。やっぱり、郵送にすれば良かったかも 」

 葵は涼の目を真っ直ぐ見つめている。

「 聞いたんでしょ、俺と楓のこと 」

 無性に腹が立っているのか、葵は睨みを利かせていた。そんな葵の本音を引き出そうと、涼は頬杖をつき、恰も余裕があるよう演じてみせる。

「 葵はずるいよね。」

「 は?」

「 葵ってさ、自分が楓を縛り付けてるってこと自覚してないでしょ。文学的な表現で言えば、籠の中の鳥ってやつだよ。好きな時だけ可愛がって、あの子がやりたい事、言いたい事なんか理解してあげようともしないんだ 」

「 …意味が分からないけど 」

 葵の苛立ちは更に増しているようだった。

「 俺が楓と付き合ってる時、夜は必ずマスクを付けようとするから聞いたんだ。つい癖で、って言ってたけど。ここまで言えば何の事か分かるよね? 」

 涼が何を言いたいのか、葵は理解しているようだった。

「 高校生なんだし、自分の身は自分で守れる歳でしょ。仮に、声を掛けられたとしても、ついて行くかどうかなんて楓が決める事で葵が決める事じゃない 」

 葵の表情がみるみるうちに沈んでいくのが伺える。涼は構わず話し続けた。

「 付き合うのは俺が初めてって聞いた時も、それまではさり気なく葵がガードして生きてきたんだろうなって思ったよ。自分は色んな女の子と遊んでた癖にさ。だって…あんなに綺麗な子が未経験だなんて、有り得ないでしょ、普通に考えても 」

 葵は何も言い返せず、黙って涼の話を聞くことしかできなくなっていた。

「 葵が楓の事を好きならまだいいよ、それでも 」

 そう言うと、涼は軽く腕を組み、さっきまでとは全く違う冷ややかな表情で続けた。

「 そうじゃないなら、もうあの子を自由にしてあげてよ 」

 葵の表情はすっかり暗くなっていた。視線は完全に下を向いている。

 2人がお互いを想い合っている事に何故気付けないのか、涼にとっては不思議でならなかった。

 今まで見た事のない葵の表情も可笑しくて堪らなかった。涼は思わず、声を出して笑っていた。

「 へ…? 」

 葵は、突然の涼の変化についていけず、変な声が出ていた。

「 あはは……はぁ…ごめん、ごめん。だって、そんなに落ち込む葵、初めて見るからさ、可笑しくって 」

 笑いが止まらない涼に対し、葵は唖然としていた。

「 葵が感情剥き出しだったから、ついからかいたくなっちゃって…シリアスな言い方しちゃった。ごめん葵、許して? 」

「 え…なに? 」

「 だって、2人とも鈍感で不器用過ぎるんだもん。21年も一緒にいてなんで気付かないのかなぁ… 」

「 どういうこと? 」

「 お前ら、どう見たって好き同士でしょ。俺にはそうとしか見えなかったよ。いくら幼なじみとは言っても、2人みたいにはならないよ 」

 涼は明るい表情になっていた。言いたい事がやっと言えたと、満足していた。

 一方の葵はというと、話の展開が早過ぎて頭が混乱しているようだった。

「 後は自分でよく考えて処理しなよ。俺ができる事はここまで。態度悪く呼びつけてごめんね。わざわざ来てくれてありがとう 」

 涼は優しく微笑んだ。一刻も早く、2人の気持ちが通じ合う事を願うばかりだった。


「 結婚式は楓と必ず2人で来てね 」

 出発ゲートまで見送ってくれた葵と最後に握手を交わした。涼はカンナの待つ地元へと帰って行った。

 *

 夜の20時過ぎ、空港のロビーをタクシー乗り場まで歩いていると、涼の携帯電話が鳴った。カンナからだった。

「 あ、もしもし、涼?もう空港着いた? 」

「 うん、着いた。今からタクシー拾うとこだよ 」

 電話の向こうから騒がしい音が聞こえてくるが、返事が無かった。

「 もしもし?カンナ? 」

 すると、涼の背後から声が聞こえた。

「 涼!こっち! 」

 振り返った先には、携帯電話を片手に手を振るカンナの姿があった。

「 どうしたの?…まさか、迎えに来てくれたの? 」

 涼はカンナの元へ駆け寄り、驚きを隠せずにいた。迎えの約束はしていない筈だった。

「 うん、来ちゃった 」

 照れくさそうにカンナは答える。そして、涼の顔を見ながら小さく呟いた。

「 やっぱり顔だけじゃ分かんないや 」

「 え? 」

 カンナは不安げな顔の上目遣いで、涼に問いかけた。

「 …あたし、貴方と…涼と一緒になってもいいの? 」

 初めて見る表情のカンナを目にした涼は、一瞬驚き、彼女を力強く抱き締めた。

 強い心持ちの性格とは言え、不安な気持ちが全くない訳では無かったのだろう。涼を想い、そんな素振りを見せまいとカンナは強がっていただけだった。

 これからの人生は、カンナを愛し、彼女と共にずっと生きていこうと、涼は改めて心の中で誓っていた。

 人が溢れるロビーの中で、涼はカンナを抱き締めながらキスをした。そして、耳元で小さく囁いた。


「 愛してるよ 」

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clumsiness/another《後編》 tony.k @tony-K

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