山頂付近

 小さな沢を岩伝いにいくつも超え、朽ちた木の中からカブトムシを見つけフギンにけしかけて遊び、ぬかるんだ土に足をすべらせ尻もちを付き、桑の実をウマウマと摘み喰いながら進み、お目当ての九合目までもう少しというところまではやってきた。


 が、フギンの言った通り、日が傾いてきてしまった。


「ありゃ〜。これは、まずいね〜」

「ほれ見たことか」


 山は急激に温度を変える。過ごしやすい気温になってきたかと思ったら、あれよあれよと気温が下がり、Tシャツのままでは肌寒い風が吹いてきた。とんがり帽子の広いツバが風を受け飛ばされそうになったので、改造してつけた首紐をきゅうと締めた。腰に巻いたゴアテックスのウィンドブレーカーを羽織って、荷物を背負い直す。箒の先端に取り付けた、コールマンのセンサーライト付きランタンが点灯して、夕方の始まりを告げた。


「こりゃ、今日中は無理っぽいね。九合目でトカゲを見つけられても、帰りが危ないかも……」

 山には当然ながら街灯はひとつもない。夜の山道は真の闇である。一応、ヘッドライトもランタンも持参してきているが、使わないに越したことはない。

「お前さんがのんびりしとるから」

「いやあ、何だか途中で楽しくなってきちゃって」

 長い間、家の中でグンニャリとした生活をしていた、お出かけそのものが新鮮な気持ちになってしまったのだ。それに、一攫千金にむかって歩いているのだ。浮かれてしまうのもしょうがないというものだ。


「陽があるうちに一旦、てっぺん……山頂まで登って、いつものトイレ付近でキャンプの準備をしよう。早朝に9合目まで下って、捕獲の方がいいかも」

「野営か。そうだメイジ、わしの寝床持ってきた?」

「ちゃんと持ってきてるよ」

「えらい」

「だから、ちょ〜っと着火剤探してきて。松ぼっくりなら5個ほど」

「えぇ……」

「手分けして集めた方が早いでしょ! お願い!」

「えぇ……」


 フギンは不満をたらたら漏らしながら、ようやく左肩から飛びだった。私も軍手をはめて、乾いた枝を探しながら山頂を目指す。連日の晴天のせいか、乾いた枝も松ぼっくりも、問題なく簡単に見つかった。両手いっぱいに十分な量が揃った時、山頂まで登り切ることができた。


「ひゃー……着いたー」

「おー」


 夕暮れに染まる大きな空の向こうに、霊峰富士の三角のシルエットがハッキリと見えた。風がびゅうと通り、木が揺れる。なんといい景色なのだろう。空がとても高く感じた。


「……いいねえ」

「いいなあ」

「うん」


 この景色は、あの家に移り住んでからもちろん何度も見たことがある。少し大掛かりな依頼があると、何だかんだとこの山に登っている。ここで採れるものだけで、生活していると言っていい。でも、この山を登りきるたびに、胸の中が、肺の細胞のひとつひとつまで、綺麗に洗われた気持ちになる。眼下に広がる夕暮れ色に染ったちっぽけな町は、段々とシルエットになりつつある。小さな生活の灯りがぽつぽつと灯り、天頂はまだ昼の余韻を残している。富士の裾の湖は、夕焼け色を映して空が溶け込んだようだ。なんと素敵な光景だろう。


「風が涼しいね。クーラーなんて要らないくらい」

「儂はクーラーは嫌いだ」

「それ言う人が熱中症で搬送されるんだよね」

「儂は動物病院も嫌いだ……」

「ぶはっ」


 じーちゃんの使い魔時代を推察されて、思わず吹き出した。なんだか久しぶりに笑った気がする。この長寿の使い魔は動物病院で熱中症の治療を受けたのだろうか? ぴゅうと風があたりを通ると、汗が風で冷やされて、気持ちがいい。


「さあ、悠長にはしてられん。さっさと野営の準備でもするか」

「……そだね」


 暗闇がやってきて、夜目の効かないフギンがあちこちに激突するようになってしまっては大変だ。設営だ。


「……とその前に、一枚写真でも撮りますか」

「そうだな」


 山頂の標高を記すモルタル看板の前に、一人と一匹は、スマホのインカメラで、やる気の無いセルフィーを撮った。使い魔の目は、大きく修正されていた。



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