水トカゲの涎

 《水トカゲのよだれ》はその名の通り、水辺に生息するトカゲのヨダレのことだ。


 ひんやりした冷気を感じる魔力が含まれている。清涼感を得るならハッカで代用する事も可能だけど、水トカゲはハッカよりも香りが円やかで花の様に甘く華美なことから、ナチュラリストの間で愛用されている。また、保湿成分も含まれているので、主に夏場のコスメにぴったりの魔法素材として一部の間では有名らしい。


 私の中でも、このアイテムは有名だ。なにせ、高い。売れたら、高い。小指の長さしかないような、一番小さな号数の瓶に一本分、たったそれだけで、三万円だ。三万円といえば、《月写つきうつしの清水せいすい》の三十倍近い価格である。たった一本で、郵便局まで運ぶあの往復距離×三十回分と同価値なんて、なんと高価なのだろう。


 三万円もあれば、何でも買えると強気で言いたい。いや、プレイステーションはちょっと買えないかもしれないけれど、スイッチが買える。精密機械だ、芸術の結晶だ。何百時間だって遊んで過ごせるエンタメの塊を手に入れる事ができる。三万円もあれば、ついつい後回しになりがちな下着だって上下そろった可愛いのが買えるし、おそろいのキャミソールだって買える。モスに寄ればオニオンリングに加えてモスチキンだって付けられる。それはもはや、貴族だ。貴族の振る舞いだ。


 いや、それよりも、直近の生活費だ。電気代ガス代の請求に怯えなくて済む。エアコンの温度だって、鼻歌交じりに気兼ねなく下げられるというものだ。庭先の家庭菜園用に新しい苗が買えるし、憧れのスノーピークのソロテントにも手が届く。じーちゃんの書斎に置きっぱなしになっていた、古くて動作の重いデスクトップPCに見切りをつけて、タブレットを買うのも悪くない。三万円の持つ魔力というのは凄まじい。


 それに、万が一、億が一、……運良く《水トカゲ》の生体を生け捕りにできれば……と考える。生け捕りにして、家で上手く飼育ができれば……、涎の採取が安定してできるというとこだ。それは、三万円の安定収入にありつけることになる。なんということだろう。宝くじよりも堅実な一攫千金である。ナウゲッタチャンスだ。


 人によっては、「トカゲ」のしかも「よだれ」なんて、気持ち悪いと感じるかも知れない。けれど、魔法使いの使うアイテムというのは、《ネズミの尻尾》だとか《コウモリの羽》だとか、少し不気味なくらいの方が「らしい」と喜ばれる節がある。しかも、自然素材が主なので「効果がありそう」「体に良さそう」と有難がられたりして……。魔女である私からしたら、そこらへんは科学薬品も上手く利用して、効果対費用の良いものから素材選びをしたらいいのに……と思うのだけれど、製品のイメージや付加価値なんてものは大人が決めるもの。しがない若輩魔法使いの私は、ただ目の前のお仕事をきっちりとこなすだけだ。


 が、そう簡単には行かない。結局、高価なマジックアイテムというものは、それ相応の努力と時間を対価に差し出し支払らなければ手に入るものではないのだ。




「ぜえ……はあ……ぜえ……はあ……」


 装備を整えて、意気揚々と裏口から出てきた私と一羽だったが、山道入口付近で早速息が上がってきた。車が一台がやっと入れるくらいの、辛うじて舗装ほそうは形だけしましたといわんばかりの細い坂道は、生い茂る木々にあっという間に飲み込まれた。今歩いているのは獣道か登山道かあやふやな道だ。一応茂みは切り開かれているが、登山道と呼ぶには頼りない。このルートで果たしてあっているのだろうかと不安になった頃に、突然思い出したように土留めの木で出来た階段が現れたりする。登頂へはいくつかルートがあり、獣路もあるため、山に慣れた近隣住人ではないとすぐに迷うだろう。注意深く、朽ちかけの看板を指差し確認し、登っていく。


 小柄な自分の体を殆ど覆い隠してしまう80Lの大きなバックパッカーに、必要そうな道具をアレコレ詰め込んだので、なかなかの重さだ。久しぶりに履いたトレッキングシューズがやけに重く感じる。持ってきたほうきを杖代わりにして、ゆっくりと登っていく。


 蝉の声が上からシャンシャンと降ってくる。日除け兼、採集許可証である大きなつばのとんがり帽子をかぶり直して、大きく深呼吸をした。生い茂る木の影になった道は、炎天下なのにほんのり湿っていた。そこを通る風は涼しく、吸う空気が濃く美味しいのが救いだ。


「メイジ、この調子だと日が暮れるぞ」

「へえへえ、わかっとります……っ」

 鴉は頭上から高みの見物だ。良い御身分だよなあ……と、こめかみに伝う汗を首にかけた冷却タオルでぬぐった。

「久しぶりの、外出だから、余計にしんどい気がする……っ」

「飛べば早いぞ」

 フギンは目の前をすいっと旋回してみせた。そりゃ、生まれながらに飛んで生きてきたやつはそうだろうさ。自分は生まれながらに二足歩行動物で、最適な移動方法は二足歩行で、偶然魔力を持って生まれただけの凡人だ。ワールドクラスの逸材となれば『地球一周飛行の旅』とか偉業をやりきって武勇伝が書籍化・平積みされてる魔法使いもいるだろう。でも、こんな片田舎に暮らしている、どこにでもいる成長過程の高校一年生に、過大な期待を抱くのはやめてもらいたいものだ。


「だから、脇腹、痛くなるってば」

「飛ばないから、飛べないんだろが。鍛錬が足りん」

「飛べないわけじゃないよ。魔法で行ったら、お腹すくでしょ。捕獲のためにも、温存しないと」

「口ばっかり達者だなー。魔筋を動かせ魔筋を」

「魔筋ってなんだよ……っ、はあ……っ、はあ……っ」

 鴉は何かと私に魔法を使わせようとするから困る。使えば上達すると思っているみたいだ。目線をフギンに合わせ上を見上げると、視界に良いものが飛び込んできた。


「あッ! 発見!」

「なんだ、もうおったか、どこだ!」

「桑の実だ!」

「なんだ、間食おやつか……」


 上の方を指差すと、フギンも頭上を仰いだ。桑の実は手榴弾のように小さい粒をぎゅっと集めた形をした実だ。噛めばプチプチした触感がして、さっぱりと甘くて、夏のおやつにぴったりなのである。

「ちょっとフギン、取ってきて」

「出たー〜言うと思った〜」

「赤いのじゃなくて、ちゃんと熟れて黒くなったやつだけとってきてね! こう、両手に抱える分くらい欲しいな〜」

「こんなもん幾ら喰っても腹の足しにならんだろ」

「ないよりかマシでしょ。あんまり文句ばっかり言ってると、早朝にオオクワガタ探しさせるよ。好事家こうずかに高く売れるって聞くし」


「おいメイジ、儂は身をやつししても使い魔だぞ。そんな魔法と関わらん事はせん」

「じゃあ、魔法と関わるトカゲを捕まえるための、魔法使いの食べるおやつを、取ってきて!」


 ごねたフギンの懐柔方法は、この半年で段々わかってきたのである。使い魔は、『命令口調』には逆らえない。『お願い口調』ではだめなのである。どうしてもというシーンでは、心苦しくても、心を鬼にする必要がある。うん。桑の実のために、頑張ってほしい。


「やれやれしょうがない。メイジも手の届く範囲のところは自分で取れよ」

「分かってますって〜!」


 私は背中のバックパックから、こんなこともあろうかと用意していた、大きめのジップロックコンテナを取り出した。


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