山の上の病院

 市立病院から紹介状を出してもらい、精神科で有名な先生がいる病院へ通うことになった。

 家から車で一時間程かけて向かった病院の道中は、昭和の町並みが色濃く残っているような場所だった。

 たどり着いた病院は山の上にあり、診療時間外なのか人の気配もまばらでとても静かで暗い印象だった。


 通された先には五十代くらいの男性医師がおり、親と別々に呼ばれ面談をすることになった。

 初めの診察の際に絵などを見て何に見えるか質問に答えていき、これが何らかの検査に関わるもののようだった。


 私は「なぜ学校へ行かないの?」とか、学校に行けないことに関して何か言われるのではないかと身構えていたけれど、そのことに特別深く触れることなく、今何をして過ごしているかなどとりとめのない会話が終始続いた形だった。

 …と言っても、私の状態的にちゃんとした会話になっていたかは定かではない。


 最後に医師は言った。

「最終日のこない夏休みだと思えばいいよ。焦らずにやっていこうか!」

 私はこれから六年もの歳月、この病院に通うこととなる。


 入院での療養についての打診もあったけれど、そこは断り通院で様子を見ることになった。

 医師の指導のもと、まずは乱れきっていた生活習慣から見直す提案が出された。

 何時に寝て、何時に起きたかを記録して月に一度の定期診察の際に報告する。

 そして通院し始めて間もなく、一人の女性医師を紹介された。


「初めまして、臼井うすいと言います!」

 二十代の初々しい雰囲気があり、小柄で可愛らしい印象の人だった。

「今日から岡田さんの担当になることになりました。よろしくお願いします」

 そう私と親へ人懐っこい笑顔で挨拶をした。


 五十代の男性医師が忙しくなり、長い目で見て一人の担当医師にしっかりフォローしてもらうことが良いと判断されたようだった。

 けれど、私にとってはこの臼井先生との出会いはかえっていい方に転んだ。

 比較的歳の近い女性医師だったこともあり、威圧感なく柔和な雰囲気で話しやすく、何でも相談することが出来た。

 長い歳月通った中で、もう嫌だ、もういいだろうと思ったことも一度や二度ではなかったけれど、それでも続けて通えたのはこの先生の力によるところが大きかったと思う。

 何の薬だったのか定かではないけれど安定剤のような薬も処方され、気休め程度に飲みながら通院を繰り返すことになった。


 普段家に引き篭もり、陽の入らない部屋でひたすらじっと過ごしていた私にとって、病院に行く道すがらのドライブは映り変わる景色をぼんやり眺める意味でも気分転換になった。車中でかかっていた当時の音楽を聞くと、未だにその時の記憶が蘇ってくる。


 診察後に近くのショッピングセンターへ立ち寄ることも多々あった。

 当時の私は、人目を気にする余り地元ではほとんど出歩くことが出来なかったので、誰も知っている人のいないであろうこの土地では、うつむき加減ではあるが多少出歩くことが出来た。

 母の付き添いで行くこともあれば、父だけの時、両親と妹、祖父母総出で出掛けたりすることもあった。


 この当時妹はまだ四歳で、姉がなぜ部屋から出てこないのか、病院には何のために行くのか理解すら出来ていなかったと思う。

 姉が不登校だったことを理解する頃、妹には出来れば普通の学校生活を経験してもらいたいという親の強い思いがあったはずだ。

 自分だけがなぜ学校へ行かなくてはいけないのかと葛藤したことも多かっただろう。

 私たち姉妹は年の差があったので、姉の不登校が妹に直接大きな影響を与えた訳ではなかった。けれど、年が近いと大抵どちらかが不登校になるともう片方も不登校になるケースは例外なく多かったのではないか。





 この頃、引き籠っていた自分を支えていたものがあった。

 物心ついた頃から私には夢があり、絵を描いたり物語を創ることで何かを伝える人になりたいと思っていた。

 それが漫画という形で自己表現へと繋がっていて、もし漫画家デビューすることが出来たら人から認められ、自分の居場所が出来るのではないかと考えていて、憑りつかれた様に漫画を描いていた。

 これがいいのか悪いのか野心というような信念に変わり、生きる力になっていたことは間違いない。

 当然独り善がりな作品は人に評価されるものでは決してなかったけれど、それでも自分の内側にあるものを表現しようとしたという意味でも、必要なプロセスだったんだと思う。


 承認欲求は、自信の無さの表れなのかもしれない。

 そもそもが、認められていて自分に満足していればわざわざそれを人にアピールする必要がない。

 ある意味、人を介して認められることでしか自分の存在を肯定することが出来ないのかもしれない。


 世界から消えた私は、自分の生きる場所を必死で探していた。

 不登校になった私でも漫画家デビューしたら、居場所が出来るのではないかと思い込んでいた。

 作品には共通して所謂いわゆるヒーローのような人物が登場する。窮地に立たされている主人公が、ヒーローによって救い出されるというような内容のものが多く、まさしく私はヒーローの存在を待っていたのかもしれない。

 この居場所のない暗い世界で、自分の光になってくれるような存在を待ち望んでいたんだと思う。




 それからしばらく引き籠って漫画を描いたりゲームをしたり、本を読む生活をしていた私に、思いもよらぬ所から声がかかった。

 どこかで私が不登校になったという話を聞いた道場さんのお母さんから、家に連絡が着たのだ。


 道場さんとは一年近く会っていなかったし、元々母と道場さんのお母さんに特別接点はなかった。

 不登校になって保健室にも通えなくなり数カ月。回復の見込みもなく、そろそろ進路の話も出てくる。

 このままではずっと引き籠ったまま社会にも出られないかもしれないという不安を常々抱えていた両親は、病院でも度々相談していた。


 道場さんも同じ状態を繰り返していて、一向に状況は変わらないという。

 しかし最近市の運営する適応指導教室が開設され、そこに行けば学校へ行った時のように出席日数にカウントされる旨を説明された。当然試験を受ける訳ではないので、成績表の評価はつかない。けれど出席日数があるだけでも違うという話で、道場さんもそこに通い始めたからサルちゃんもどうかという連絡だった。


 私はあまり気乗りしない中、適応指導教室に一度だけ行ってみることにした。

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