世界から消えた日

 暗闇の中にいた。


 学校という場所に行けなくなった私は、世の中全てから拒絶されたかのような絶望感に襲われ自分の殻に籠るようになっていた。


 自分がみんなのいた世界から消えたのか。

 みんなのいた世界から、自分が消されたのか。


 悪い方向に自意識過剰が働いていて脳内は最悪だった。

「あいつ不登校だってよ」と好奇の目で見られているようで、みんなが自分を笑っている、バカにしてると感じていた。


「落ちこぼれの弱い奴」

「腐ったみかん」

 耳を塞いでも目を瞑ってもやまない嘲笑に疲弊していた。


 部屋の窓と雨戸を全て閉め、昼も夜もない暗闇の中でただひたすら、息を殺すように過ごした。

 記憶すら曖昧な時の流れの中で、ただひたすら死んだように生きていた。

 私という人格は、この時一度死んでいるのかもしれない。



 普通に生活していた当時の自分を眩しく懐かしく思い、あの頃に戻れたらいいのにと強く願う。


(タイムスリップ出来たら、私はバレー部には入らないのに)

(もっと上手くやれるのに)


 タイムスリップなんて出来るはずもなく、現実に引き戻されると、過去の自分さえ何も知らずにヘラヘラとしてバカみたいだと急に醒めた気持ちになる。


 夢を見てうなされることも増えた。



 中学校の校門の前に立つ私は、校舎を眺めながら早く行かなくてはと思う一方で、足がすくんでその一歩が中々踏み出せない。極度の緊張感の中、心拍数が急激に上がり吐き気を催しやっぱり行けないと自覚する。

 校舎から生徒の声が響いてくる。それを遠い世界のことのように立ち尽くし聞いていた。


 そこにいるはずの自分。

 そこにはいない自分。


 場面は変わり放課後の部活の風景だ。私が壊れたきっかけにもなった場所だが、夕暮れ時西日で赤く染まる体育館の中、ひたすらボールを追っていた。

 ボールを追っている自分には高揚感があった。


(やっぱりバレーボールは好きだな)

(もっとボールを触っていたいな)


 バレーが怖いと思う前の、純粋に楽しんでいた時の感覚だった。ワクワクしながらボールを追っていたが、頭上をボールが飛び越える。


(ダメだ取れないっ!)


 そこで意識が覚醒する。

 ぐっしょりと汗をかき喉が乾いて張り付き、呼吸が荒くなっていた。

 ふわふわと夢と現実の境をさ迷いながら、幸せだった時は過去で今ではないんだと思うと眠ることさえ怖くなった。

 どこにも自分の心の休まる場所なんてなかった。




 鏡を見なくなってしばらく経つが、久しぶりに見たその顔は目には光がなく、表情筋は下がりきって動かなくなっていた。


 その顔には、どこか見覚えがあった。



 中学入学当初、久しぶりに道場さんを訪ねて家に行った時、道場さんの様子が明らかに変わったと感じた出来事があった。


 道場さんは呼びかけても振り向かず、ひたすらゲーム画面を見つめてそこに友だちなんて来ていないかのような態度だった。

 おばさんが一生懸命声をかけるが、それすらも聞こえていないような素振り。

「ごめんなさいね」

 とおばさんに謝れ苦笑いをし、一言も話せぬままトボトボと帰った覚えがある。


 道場さんの目は私たちを映そうとはせず、彼女の世界から私たちが消えたかのようだった。

 目に生気がなく、あんなに仲良く過ごしていたはずの私たちのことも信用していないと突っぱねられたようだった。

 掛ける言葉も見つからず、ただおずおずと帰ることしか出来なかったあの日、道場さんがとても遠くに行ってしまったように感じた。


 でも、今なら道場さんの気持ちがよく分かるような気がした。


 これまで何気なく生きてきた世界から、自分が消えていなくなったのだ。

 全てが敵に思えて、ヤマアラシのように針を逆立てて身を守ることしか出来なくなる。

 人を信じることなんて出来ないんだから。


 何気なく言ってしまった無神経な言葉も含め、自覚のあるものからないものに至って道場さんを傷付ける存在に自分がなっていたことに改めて気付かされる。

 そして、自分に起きたこと全てがいつかの道場さんの姿と重なった。



 子どもの世界は狭い。

 世界は広くて大きいだなんて聞いても、現実的に自分がこれまで生きてきた世界が全てだ。

 snsなんてない時代、現実的な繋がり以外のコミニティなんてない。


 学校という唯一外との接点である場所に行けなくなってしまったら、もう人生終わりだと思ってしまうのも無理はない。

 レールに沿って進むことが最善で唯一の選択で、脱線したらゲームセットなのだ。


 行けなくなる子どもや家庭に問題があるとされて、学校側の責任はあまり追求されない。

 体罰的な教育が日頃行われていて、それが正しかろうが間違っていようが大多数の生徒はそれを受け入れる。

 いじめも、いじめられた方が悪いと言われる。何故なら、いじめられる原因があるからいじめられるんだと。


 全てがそんな風に片付けられる。

 不登校というものに理解がある人がほとんどいない、そういう時代だった。


 毎日が針のむしろだった。





 深海魚になりたいと思っていた。

 暗い暗い海の底で、ひっそりと生きる深海魚のようになりたいと。

 誰も自分のことを知らない静かな世界で、化石のようにただそこにいる。

 それすら叶わないなら、いっそ泡のように消えてしまいたかった。

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