第12話 何度だって日は昇り、それが日常となる。

「ちゅっぱい……でも、おいちい……」


 梅干を食べた会長は子どもみたいに涙目になって口をすぼめた。それから満足そうにほっぺに手を当てて微笑む。


 これで彼女もまた、梅干し中毒の仲間入りである。


「でも……私が持ってきたエッグベネディクトだっておいちいのよ……?」


 訴えかけるようにこちらを見てくる会長。なんだか庇護欲をそそられる。


 食卓に並ぶのはアイナからもらった梅干しを中心に優月が用意した卵焼きやお味噌汁など日本の朝食らしい献立たち。そして、会長が持ってきてくれたエッグベネディクト。


 朝にしては少々多い量だ。しかし梅干は食べたい。梅干を口に放り込んで、白いご飯を目一杯頬張りたい。かと言って会長の好意を無下にするのも忍びないし、食べないとまた泣かれそうだ。


 つまり今こそ、闘いの狼煙を上げるときである。


 引きこもりが慣れない学校生活を送るにはカロリーが必要不可欠。いくら食べても問題はない! いざ行かん!


 と箸を構えたとき、出勤の準備を終えた父が顔を出した。


「おはよう。翡翠、優月ちゃん……と、そちらの方は……」


「ああ、えっと……」


 説明をしようとすると、会長が立ち上がり丁寧にお辞儀をした。


「早朝からお邪魔してしまい申し訳ありません。わたくし、夜桜学園生徒会長の音羽佑璃と申します」


「ああこれはご丁寧に……私は翡翠の父の清治と申します。翡翠がお世話になっております」


 ぺこぺことお互いに頭を下げるふたり。その挨拶の様子は、オトナを感じさせるものであるような気がした。会長は見た目からして大人っぽいが、その立ち振る舞いも高校生とは思えないほどにしっかりとしている。歳の差はひとつのはずなのに、そこには到底手が届かないほどの距離があるように思えた。


「それにしても……音羽先生の娘さんが生徒会長を……。それなら私も、いくらか安心できそうです」


「そんなこと……私は……」


 会長は少しだけ、瞳を伏せた。それは何か葛藤しているかのように見える。


 しかしすぐに、父の顔をまっすぐに見据えた。


「いえ、翡翠さんのことは私にお任せください。生徒会長として、先輩として、音羽佑璃として。誠心誠意、助力致します」


「よろしくお願いします」


 再び、父は大きく頭を下げた。


 僕としてはなんとも居心地の悪い状況で、視線を逸らして宙を見つめていた。優月もまた、箸を加えながらポカンとしていた。



 朝食を終え、家を出る。


「それでは今日も張り切って参りましょう!」


「お~! ほら翡翠君も! お~!」


「お、お~」


「お~!」


 朝食を摂取してフルパワーの優月を一緒になって拳を振り上げた。食べすぎのお腹が悲鳴を上げている。うっぷと声が漏れそうになった。


 歩き出してしばらく、会長と優月は楽しそうに談笑を始めている。少しの時間でふたりは随分と仲良くなったらしい。コミュニケーション能力には問題のない上に穏やかな性格をしたふたりだ。仲良くなるのが早いのも頷ける。


 会長としては不登校だった僕と同じく転校生の優月のことも少なからず気にかけていたようだった。


「ねえねえ翡翠くん翡翠くん」


 会話が途切れると優月がちょいちょいと手招きをする。耳を寄せてという合図だ。


「どうしたの?」


「会長さん、すっっっっごい美人だね! しかも良い人! さっきなんてわたし感動しちゃったもん!」


 さっきというのは父との会話のことだろう。


「その上、勉強も運動もなんでもござれなんだって! もうこれは大チャンス到来だよ! 翡翠くん!」


「ええ? チャンスって?」


「こんなすごい人が、翡翠くんのために朝から訪ねてくれるくらい気にかけてくれてるんだよ!? これはもう、そいうことなんだよ!」


 いつなくハイテンションの優月。


「そういうことって。だからどういうこと……?」


「だから、コイビトにどうなのってこと!」


「ぶふっ!? い、いきなり何言ってるのさ!? まだ出会って二日だよ!?」


「だからこそ、だよ! 恋はスピード勝負! 時間が経てば経つほど、関係性は凝り固まってしまうものなのです!」


「いやそんなこと言ったって……」


 会長にしせ向けてみる。さらりと流れる髪に、ピシッと伸びた背筋。美しい顔には人当たりの良い微笑を携えている。すべてがハイスペック。自分のような庶民とは生きる世界がまるで違うのではないかと思わされる。まさに月とすっぽん。こんな人と話して、一緒に登校していること自体が人生のイレギュラーだ。


「僕とじゃまったく釣り合わないって……」


「うーん、そうかなぁ。会長さん、翡翠くんのことけっこう好きだと思うけどなあ」


「そ、そんなことあるわけないって!」


 慌てて両手を振る。


 会長が僕のことを良く思っているなんてそんなこと、会長に失礼だ。


「さっきから二人は何の話をしているの? よかったら私にも聞かせてくれる?」


 混ぜて混ぜてとでも言うように会長がウキウキとした様子で会話に入って来る。大人っぽさと子供っぽさが介在している人だ。しかしそんなところもなんだか可愛らしく見える。


「ああいや、その……えっと」


「会長さんは、コイビトとかいるんですか?」


 ドもった僕の代わりに、優月があらぬ質問をする。


「ちょ、優月……っ」


「いないわよ?」


「え、いないんですか?」


「ええ。いたこともないわね」


 きょとんとした様子で答えた会長に面食らってしまう。てっきり、会長のような人なら恋愛の方もバッチリこなしていると思ったから意外だ。


 それは優月も意外だったようで、続けて問いかける。


「告白とか、されないんですか?」


「昔は何回かされたような気もするわね。でも最近はめっきりかしら」


「ええ~! 会長さんこんなに綺麗なのに!?」


「そんなことないわよ。私からすれば、野中さんの方がよっぽどチャーミングで可愛いわ」


「そんなことないですよ~わたしなんて~」


 満更でもなさそうに優月はふにゃふにゃと否定する。


 僕からすれば、二人ともモテそうなものだ。しかし男子高校生としての目線で見てみると、もしかしたらよりモテるのは優月ではないかと感じた。


 なんというか、優月の方が素朴な可愛さでとっつきやすいのだ。悪い言い方をすれば、恋人になってくれそうな気がする。


 逆に、会長は高嶺の花というイメージが強いのだろう。きっと誰もが美人だと思っているし、憧れも抱いている。しかしそれは観賞用とでも言うのか。初めから無謀なチャレンジなどしない。遠くから眺めているだけで十分だ。そんな考えに至る人が多いのかもしれない。


「翡翠くん翡翠くん」


「今度はなに?」


「やっぱり、チャンスだよ。大チャンス!」


「いやいや。なんでもかんでもそういう話にしなくていいから」


 昨日はああ言ったものの、実際まだ恋について考えるような余裕なんてない。


「あっ……ご、ごめんね。わたし、ちょっとテンション上がってたみたい……」


「知ってる」


 気にしてないよと視線で伝える。


 朝から会長の登場というのは優月にとってもイレギュラーな事態だ。仕方ない。それに異性が朝から訪ねてくれば誰であっても多少なりともそういうことは考える。僕だって、例外というわけではない。


 優月は安心したように胸をなでおろした。

 

 それからもう一度、僕の耳に口を寄せる。


「でも、コイビト候補一人目、だね♪」


 それがきっと日常の始まりであり、幼馴染と始めるコイビト探しの始まりだった。

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