Episode.2

第11話 引きこもりは癒しを求めている。

 ――――むにゅん。


 手のひらに心地よい感触がして目を覚ました。しかし目を開けるのは億劫で、微睡む頭が求めるままに手のひらでムニムニとその感触を楽しむ。


「んっ……」


 女の子のくぐもった声が聞こえた気がした。


 さらに、その柔らかいものを揉む。


(なんだろこれ……マシュマロみたいに柔らかくて、心地よくて……すごく癒される)


 永遠に揉んでいたいと思ってしまうような気持ちよさ。


「あっ、……うみゅ……そんな、らめぇ……」


「……え?」


 瞼を開く。


 目の前にあったのは熱い吐息を漏らす幼馴染の顔。


 視線を下へ向けると、当然のように本日も下着姿。またしてもベッドに潜り込んでいたらしい。あれだけ恥ずかしがっていたのに、懲りていないのだろうか。


 そして僕の手はその胸を鷲掴みにしていた。瞬時に、生存本能のままに、その手を離してベッドの端へと飛びのく。


「ご、ごごごごめん優月!? 寝てたんだ! 寝ぼけてんだよ! だから何もやましいことはなくて!」


「ふぇ……翡翠くん? あれ……またわたし寝てたぁ? じゃあ、あれは夢……夢ぇ!?」


 優月もまた、寝ぼけていたらしい。


 一瞬、胸を揉んだことがバレていないのかと思ったがその考えをすぐに振り払う。


 優月の顔が一気に赤く染まったのだ。


 羞恥に悶え、それから下着を隠すように手を伸ばす。その手が伸びた先は、なぜだか胸元ではなく下の方。


「こ、これは違うの! 違うんだよ!? わ、わたしえっちな子なんかじゃないんだからね!? ちょ、ちょっとシャワーお借りしますぅ~~~~!」


 優月は先日と同じく制服をかき集めると部屋を飛び出していった。


 しかしそのセリフは以前と異なっていた。


 また叫ばれて、今回こそビンタくらいは受けることを覚悟していたのだが、優月の口から出たのは弁解のような言葉。


 察するに、胸を揉んでいたのがバレたわけではなかったらしい。その表情に宿っていたのは怒りではなく、羞恥だ。


(それにしても……なんでシャワー?)


 疑問ばかりの朝。初めての感触を忘れられない右手だけがワキワキと握って開いてを繰り返していた。




「……見た?」


 シャワーを浴びて戻って来た優月の最初の一言がそれだった。その顔は火照りからか、羞恥からか、未だに朱く染まっている。


「な、なんのこと?」


「見てないのならいいの。本当に、見てないんだよね?」


「……下着なら昨日に続いて、少々」


「それはいいの。それはもう慣れっこちゃんだから!」


「いや慣れていいことじゃないと思うよ?」


 しかし、それなら本当に優月はいう「見た?」とは何のことだろう? 気になるのは、下着についてはもう慣れっこだと言っているのに反してその下着の一部分を必死に隠そうとしているように見えたこと。


 そして、寝言のように呟いていた優月の色っぽい声。優月はどんな夢を見ていたのだろう。もしかしたら誰かに胸を揉まれる夢、とか? 実際に揉んでいたのは僕なのに。しかしそれを話したらまたややこしい話になりそうな気がする。


 少し、モヤモヤした。


 僕の疑問も他所に、優月は安心したように頷いて息をつく。


「それじゃあ、朝ごはんの準備するから待っててね!」


「う、うん」


 優月はキッチンへ去った。


 

 リビングにて、朝食の出来上がりを待つ。再開してからほぼ毎日、優月は朝ごはんを作りに来てくれている。さすがに悪いと思って手伝いを申し出たこともあるのだが、僕は控えめに言って料理が得意ではない。邪魔になってしまうだけだった。


 手伝うことが出来ないのは不甲斐ないばかりだが、男二人の我が家ではありがたいことこの上なかった。優月のおかげで、父さんも朝からしっかりとしたご飯が食べられる。


 もう少しで朝食という頃、インターホンの音が鳴り響いた。


「あっ、翡翠くん。わたし出るよ~」


「いや、いいよ。僕がでるから優月はご飯の準備してて」


「そーお? ほんとに大丈夫? 何かあったらすぐ言ってね?」


「うん。ありがとう」


 少し緊張しながら、玄関へ向かう。こんな朝から、誰だろう。父さんは仕事で忙しく、息子である僕は引きこもり。近所付き合いなど出来ているわけもない。


 引きこもっている間は基本的に居留守を使っていた。しかしそれも改めよう。


 再び、インターホンが鳴らされる。


 僕はそれに応えるように、玄関の扉を開いた。


「はーい。どちらさまですかー? って、会長!?」


「はい。生徒会長の音羽佑璃おとわゆうりです。おはようございます、甘党君」


「あ、はいおはようございます……じゃなくて。なんで会長がここに?」


 来訪者は夜桜中等教育学校、生徒会長の音羽佑璃先輩だった。彼女は綺麗な髪を朝のそよ風に揺らしながら、これまた美しく微笑む。


「なにって朝ごはんを作って来たのよ? 甘党くんの家は二人暮らしだから炊事も大変だと思って」


 会長は何やら小包をこちらに見せるように掲げた。昨日と変わらず、彼女の浮かべる笑みは完全に善意からなるものに思えた。


「あーえっと、それはすごくありがたいんですけど……」


「歯切れが悪いわね。どうかしたのかしら……?」


「翡翠くーん? 大丈夫~?」


「あ」


 朝食の準備を終えた優月が玄関に顔を出す。


「あら? そちらの方は……もしかして野中優月さん、かしら?」


「あ、はい。そうです~。えっと……生徒会長さんですよね? なんで生徒会長さんがここに……?」


 のんびりとしながらも、ほんの少しの警戒を覗かせながら優月は問う。


「私は甘党君と朝食をと。あと一緒に登校出来たらと思ったのだけれど……野中さん、あなたは?」


「わ、わたしも同じです……で、でもわたしは翡翠くんの幼馴染なので! なので!」


 なぜか対抗意識でも燃やすかのように幼馴染を強調する優月。


「……なるほど。幼馴染ですか。そうですよね。それが必然かもしれません」


「……え?」


 会長は顎に手を当てて何かを考えていたようだったが、得心がいったように深く頷いた。 


「いえ、なんでもありません。それより朝食、ご一緒しても? 野中さんとも生徒会長として話をしてみたかったの」


「え……? はい、いいですけど……」


「それでは、お邪魔します。美味しいエッグベネディクトを用意したのよ?」


「「え」」


 僕と優月の声が重なる。


「あら、どうしたの? もしかして、ふたりともエッグベネディクトはお口に合わないのかしら……」


「あ、いえ……その……エッグベネディクトが何なのかも正直分からないですけど……たぶん美味しいんだろうなとも思うんですけど……」


 優月と顔を合わせる。そしてお互いにこくんと頷いた。


「「朝は梅干しご飯を食べないとなんです!」」

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