第十話 純粋

「君も死ぬんだって?」


 男は青年の驚きもままならぬ間に声を発した。落ち着いた、透き通った声である。

 青年はたじろぎながらも、男の持つ茶封筒を指さす。

 男は青年のその反応を以てしてかにやりと笑い、ともかく中に入れてもらうよう催促した。

 青年は「気が利かなくてすみませんね」などと歯の浮くような台詞を吐きながら、その内心湧き出る期待を抑えきれずにいた。


 タバコの匂いが染み付いた部屋の中央に背の低いテーブルを一つ置き、青年と男は向き合った。

 青年が灰皿をテーブルの上に乗せ目で合図すると、男は露骨に嫌悪の色を見せたので仕方なく灰皿を引っ込めた。

 青年は内に秘めた好奇心や期待とともに疑問があった。それは何故この男が自殺をするのかということであり、青年にはこの男が人生を窮するほどの何かがあるとは到底思えなかった。

 

 男は伊達という名だった。青年と同じ大学に通い、青年より数段難関な学部に所属している。

 さらに社会奉仕を行うサークルの代表であること、そこでできた一つ下の恋人がいること、青年が聞けばおよそ殆ど伊達が答えてくれたが、その度に青年の中の疑念は強まるばかりだった。


「それで、伊達君。何で君は死ぬつもりなんだ」


 青年はいよいよ核心をつく心づもりで切り出した。やはり表面的な会話では目の前の男を解することはできない。

 伊達は眉一つ動かさず、ただ表情は朗らかなまま、答える。


「————純粋な「死」をしたいんだ」


「純粋な死?」


「そう。純粋な死。全くの自らの意思と情熱による死。劇的で儚く死ぬことがこの伊達一郎という存在を強くこの世界に刻み込める。

 そのためには、事故死や病死なんて受動的な死は選べない。だから、この薬を使って自殺をするのさ」


 伊達はひらひらと「安楽死用」の薬が入った茶封筒を見せつけた。

 青年は困惑を隠せない。


「存在の発露がどうして自殺を招くんだ?生きる最中に君自身を世界に刻み込むことだってできるだろうし、自殺がその目的を達成するとは限らないだろう」


「……つまらないことを聞くね。生きることで存在の発露なんてできやしない。生から残せるものなんて、所詮システム上の利益に沿ったものでしかない。それはただの数字だ。その存在の意思や情熱の介在はない。

 線香花火はその終わりが最も美しいように、人は死の瞬間が最も美しい。美しさの根源はその意思や情熱の発露だよ。そして、より美しい死は人々の記憶に残り、後世にもその存在が語り継がれるんだ」


 青年はとりあえず神妙な面持ちを保っていたが、その内心は穏やかではなかった。

 伊達が主張する純粋な死は、青年のジレンマの脱却の可能性もあればその逆もあり得る。そもそものこの思想の疑問も未だ解消されていない。

 しかし、それぞれの理屈は別にして、彼の中には再び決意の灯火が垣間見える気がした。


「————それで、どうやって死ぬつもりなんだ……ただの自殺では明日の話題にすらならないさ」


 伊達はにやりと笑い、「勿論」と呟き、言った。


「ただの自殺は、皆見飽きてる。その意思や情熱を理解しようとさえしない。

じゃあ、鮮烈な衝撃を残すような死、それでいて何かどうしようもなく記憶に残る死の形式とは何か……」


 伊達は一呼吸置いて不気味な笑みを浮かべた。


「集団自殺さ」

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