深紅の零RE:3『月ノ奇跡篇』

紫音×ふぅみ

第一章《ロストゼロ》

0節「零を越えた世界」

《深紅のゼロ》から1ヶ月が経過したデリス大陸。


煌歴こうれき2023年。この世界は再び産声をあげた。


東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。



―――ここは白虎帝国。兵器と軍事力の大国。


《デリス四大国》において最も侵略戦争の歴史と軍事政権の背景が強い国家。特に上層部では長年、《主戦派》と《和平派》が対立しており、現在軍部の総帥を務める女性は主戦派のリーダーでもある。


つまり過去から現在までこの国は侵略国家として周辺国から扱われ警戒されている。自衛目的ではなく一方的な主権・領土の独立と尊厳を犯し続けてきた白虎に更に政治的追い風が吹いていた。


白虎が覇となる日は近い―――。宰相ロランの言葉もまた《深紅の零》によって真実に近づくのである。


その揺らぎと前兆を感じるよう総帥……《月の女神》アルテミスはとある新設機関の所長の女性、この世界を確実に変革させるであろう嵐、台風の目になる者との密かな会談を始めるのであった。


「遠き地 《朱雀》から遠路遥々の出向、ご苦労様です……」


「いやいや、私こそかの悪名高い女神殿の直々の申し出となれば家業など二の次三の次でありましょう」


「これは……一本お取りになられまして?」


「ハハハ、ええ―――では、せっかく用意してくれたを交わしながら……宴の乾杯といきましょうか。アルテミス閣下」


「こちら最高級の赤ワイン。『ロゼ・セレナーデ』でございますわ」


意味は『赫い月の初夜』。出された100年物の蔵出しワインを、世界政府から所長として抜擢され朱雀からこの地に訪れた女性、クラリス・ロクサーヌは静かにグラスを伝わせ口に入れる。薔薇色のワインを舌で転がし、噛むようにして味わい喉を通らながら、テーブル越しに総帥から手渡された白い用紙を見通す。


「………………」


暫くの沈黙。気品ある優雅な空間。ロクサーヌは書類に記載された『リスト』に目を止めると僅かに溜め息を溢す。


「なるほど、これはなかなかどうして難しい職場になりそうだ……」


愚痴を飲み込むよう供えられたナッツを無邪気な子供みたく1度に複数個つまみ食べるロクサーヌ。そんな姿を対面でグラスを取りつつアルテミスは静かに見つめていた。


朱雀と白虎のまったく異なるタイプの豪傑、古の血を引く魔術師、貪欲なる支配者。二人の有明けの月に捧げし早朝からの宴はまだ始まったばかり……。



二人はグラス同士をカチンと合わせ、ようやく乾杯した。




※※※




都市下層。上層地域から身分の低い者や犯罪者、また徴兵などの軍からの圧力に反対した集団が住む街、貧民窟スラムのようなところを歩くひとりの白髪の青年がいた。


元零組、元銀の天秤、そして破戒のゼクス継承者『ヒロミ』。野望のため最強の力を欲する男。


真昼の陽射しが容赦なく照りつける、ヒロミは着ていた砂色ベージュのダウンコートに付いた鴉のような黒い毛皮のフードを深く被るも鬱陶しそうに目を細める。


砂漠地帯にある繁華街、商業区画テゼルト。


この一帯は他に比べ熱帯気候であり、4月中頃の季節もあって蒸し暑い。細身な体型で肌の色も髪色の白と同じくらいに白いヒロミにとっては生きづらい場所であった。汗など普段はかかない彼もこの気温では流石にそれが頬を流れる。


そんななか義手の右手で杖をつき、砂漠を歩く浮浪の旅人のような人影で街の貧民路を真っ直ぐに進む。


(クソが……)


ヒロミは酷く苛立っていた。理由はこの空から降り注ぐ暑さもあったがそれとは別のいくつかの事柄で。


1つは現在標的にしている“獲物”の行方がここ数ヵ月まるで掴めていないこと。


《アンセリオン》―――朱雀内戦の最後に現れた《盟王》時宮ロゼ率いる犯罪組織。エリシオンの意志を継ぐ光と影、そして王の集う円卓。


説明はここでは省くがヒロミはその組織の構成員のひとりである『ユリウス』という男を探していた。目的は狩るため。奴の特異の腕を己のモノにする見定めは既につけていた。


ゼクスの能力は敵のチカラを奪うこと。それは人間でも奇跡の獣でも、奇蹟を統べる神であっても例外はなく簒奪可能。


しかしそれを決行する前に逃げられてしまったのである。ヒロミはユリウスと裏で通じていた。実利の関係だけであったがもう一人、この国の宰相『ロラン』とも。ロランとはまだ諸々の契約は続いてはいるが、どうやら宰相としての仕事が立て込んでいるのか最近ロクに連絡も取れやしない。


(あのクソ野郎……ユリウスを切ってもいいとは言ってやがったがオレに全投げとは、いいご身分じゃねえか)


そして2つ目は朱雀内戦において《零組》と共闘したことである。これに関しては自分からした事であるが何故奴等を助けてしまったのか……その疑問がいつまでも分からずにいた。


辻本ダイキの宿す《ゼロ》こそが野望に近付くためずっと追い続けていたモノ、しかしそれも今や……。


(…………振り出しに戻る、すごろくでこいつが出ちまったってワケだ)


利用するためだけに造ってきた足場、それに足をすくわれるとは情けない……。


自身を酷評しながらも徐々に苛立ちから冷めてきたヒロミは右折して市場マーケットに入る。ここまで人ひとりいなかった通り道だが、急に人の声や雑踏で賑わいだす。



冷凍ミカンを買った。この暑さで溶けそうだったのと、小腹が空いたからと、無性に果物にかぶりつきたくなったから。甘いのは嫌いじゃない。


屋台の店員のオヤジに150Gギルを投げつけ代わりにクーラーボックスから取り出したミカンにヒロミは早速一口かじりつく。衛生面も決してよくはなく産地不明なくせやけにお高い値段で売買されるそれを遠慮なしにかじった。


白虎は階層社会で最下層地域ではデリス大陸全土の共通通貨Gではなくスカラベと呼ばれる甲虫が金銭の役割を持つ場合も。


そんな光景は……古代の記憶で視たな。ヒロミは宿す《ゼクス》を感じつつマーケットの中心地へ。


『奴隷市場』の光景。


謎の皮・魔物の肉・骨骨・肉脚爪・子供・血腕腕顔死体・足・眼球・裸のオスメス・体液血血血血血


そして……。


「ンンンン……ンンンンぐぐぐ……」


「はぁはぁはぁ……ぎひぃ!!!!!」


「いやああああああぁぁぁーーー!!!!」


賑わいと市場の中心では『奴隷マーケット』が開催されていた。


業者の用意した水槽に浸けられ魚の餌になっている奴隷。その道のプロと思わしき女性複数から鞭打ちを受け犯される奴隷。木製の十字架に磔にされ周りには毒虫や毒蛇が数十匹、それらを傷だらけの身体に絡みつかせ……。


他にも目を疑うような狂気染みた拷問、享楽が道行く側で当たり前のよう繰り広げられている。


奴隷にはどいつも首輪に値札がかけられており。


ヒロミはそんな惨劇、奴隷劇場に眉ひとつ動かすことはなく、むしろこの辺りから死体や人体の焦げ腐った異臭の方でたまらなく嫌そうにする。せっかく買った冷凍果実が更に不味くなっちまう……。


事業などで失敗し金のため犬になる大人。また生きるための資金に替えられ親からマニアックな変態共に売られた憐れな子供達。


経済、貧富格差はデリス四大国のどこにでも少なからず問題にあるが白虎は特に顕著である。軍事絶対主権の政治からの圧力もあってか軍人を擁さない家族はこのように遣り繰りを誤れば貧困層へ、最下層にまで落ちぶれてしまえばもうこの有り様。


(あー臭せぇ……ここを通ればとりあえずはマトモな街があるんだが……ッ?)


どさっ!とした音と共にヒロミは腰に微弱な衝撃を受けた。その正体は―――。


「ぐうううああら!!!ママ!まま!!ままままぁ!!!」


狂犬……ではなく大の男が四つん這いのまま逃げ出していたのだ。半狂乱だった奴隷の男にぶつかられた反動で食べかけの果実を落としてしまう。


「チッ…………あん?」


ヒロミの舌打ちと同時に犬のおっさんは銃殺された。ヒロミは直ぐその銃弾を放った本人を発見する。どうやらこの奴隷の飼い主らしい。劣悪環境についに耐えられなくなり発狂、逃亡したところを撃たれた男。その血はヒロミの服装にもべったりとかかっていた。あの叫びから察するに母親の下に帰りたかったのだろう。


「すまねえ兄さん、弁償じゃねえが何か見ていってくれよ!へへへ……」


「チッ、どうせあったとしても雑魚召喚獣の入った魔石程度だろ?釣り合わねえーよ」


ヒロミは渋々血染めの服で呼び掛けた飼い主の男の下へ。どうやらこの店は奴隷以外にも食料や燃料など一通りの物は売っているみたいだった。魔石のような石ころも小汚ない袋からゴロゴロと出てきた。


「あー……ダメだこりゃ」


「……ひゃ!」


少女のびっくりしたような悲鳴。売り物のタグが付けられた奴隷少女が別の商品『金色の鞘』をテーブルに乗っける際、高さまで上げきれずに地面に落としていたのだ。


鞘は意外に重いからな、特殊な魔力が掛けられているならば余計に。ヒロミはそんな事を考えながらふとそれを睨む。そして閃きが走る。待て……“あの鞘”……まさか、


「おい、今のはなんだ!?」


「このクズが!……あ、こいつかい?兄さんもしかしてロリコン《幼女嗜好者》?」


「ちげェ!そいつが落とした物ブツだ、見せろ」


血染めの客の真剣な眼差しに圧されて店の男は奴隷少女を殴るのも止め金鞘をテーブルに出す。他の商品とは圧倒的に格が、いや魔力が違う。


ヒロミはこの段階でほぼ疑いは確信に変わっていた。


「こいつぁ多分刀の鞘だな、数日前に白紋様が混じった黒コートのイケメンの兄さんが―――」


説明を終える前に男の首がヒロミの銀棘で吹っ飛ばされる。胴体だけがしばらくたたずみ血がポンプのよう吹き出すと時間差で漸くそれが地面に倒れ……。ドロドロとした血溜まりを作る。


殺人を目の当たりにした売り物の奴隷達や周りの客達、業者らが戦慄する。血塗れの青年が“自分達よりも狂っている”事に気がついたのである。市場を利用していた客達はすぐにその場から逃げ出すなかヒロミが狂喜の笑みを溢す。


「ようやく蛇の尻尾をつかんだぜ……ははァ!!」


「こ、こいつ……!!」


「裏社会の掟ルールってのを教えてやれ!」


即座にヒロミは業者達と雇われの狩猟団数名に囲まれる。 奴隷殺しは日常茶飯事だが人間殺しは立派な犯罪だ、とこの下層市場でしか通用しない法律を翳して。


雇われ用心棒5名がそれぞれ拳銃、また馬鹿デカい包丁や調教で使用していた鞭を構えた。隙のない態勢でじりじりとヒロミを追い詰める。一方戦闘経験の無さそうな業者の男3名はその辺に売り物としてあった刃物やボウガンをとりあえずで遠距離から構えている。


ヒロミは男の首を切った銀棘、袖から伸びうねうねと触手のよう蠢くそれは左掌に集うと“双刃剣”となって鋭いうねりを上げた。

双刃剣、柄にも刃の付いた刀剣の事。東方では天秤刀とも呼ばれる得物。


銀劔リーサル・シルヴィア”―――。


ふーふー、と威嚇と恐怖の吐息を漏らしている周りの敵に対してヒロミは剣をクルクルと廻すと小さな声でこう言った。


「……反吐が出る、クソみてえな悪だ」


(ああ、やっと思い出せた……)


「これから起こる惡に較べたら…………」


(……そうだ、オレは全てを略奪する王)


「ダークサイドはこのオレ様だけで十分なんだよあァァァァ!!!!!!」


風切り音が思考を断ち切る。殺戮が常識を塗り替える。


奴隷少女の瞳に映っていた世界は、真っ赤な鬼のような悪魔(救世主)であった。


心の弱さ故に憎悪や欲望、恐怖に屈する悪魔。あの人もそうなのかな……?


あのお兄さんも……寂しいのかな……?


築かれた死体の山、血の海。恐怖に引きつった顔でその場を走り去る飼われ犬たち。市場の中心に残ったのは鞘を落として撲られた奴隷の娘と、自分達を救ってくれた“英雄”であった。


「……お兄さん、あり……が、とう」


普段会話を禁じられていたためか、久し振りにヒトの言語を口にした娘は掠れそうな声でお礼を告げる。笑顔のやり方は随分前に忘れていたけど、精一杯のありがとうを。


広場でのやり取りの間は気にならなかったが少女は特徴的であった。見た感じ十歳程度。瞳の色は青で、他を寄せ付けない深い闇のような黒髪のぼさぼさショートカットは長時間太陽に曝され続けていたためか若干肌と共に日焼けし栗毛のよう。顔立ちは端正で目を引くが使い古しの貫頭衣を纏い金属製の鎖のついた革の首輪をつけられていては哀れみしか生まれない。


「………………化物に礼なんてするんじゃねえ、殺されたくなければ失せろ」


双刃剣を銀棘に再び解除し腕の血管を伝うよう身体へと啜られてゆくなかただそれだけを呟きヒロミは市場を去る。


しかし少女もまるで着いていく事が当然のようにこどもの狭い歩幅で早歩きして懸命に化物の背中を追う。さっきまで奴隷だった娘には人権も、名誉も、自由も無かった。この首輪の鎖を引っ張っていたご主人様はもういない。だからこの人に着いていくしかない。生きるために。


でも何もなしで追いかけるのはいけないだろうと娘は地面に落ちていた食べかけの冷凍ミカンを拾い、回り込んで青年にどうぞとばかり差し出す、


(……そりゃ元々俺のモンなんだよ、クソが)


毒づきながらも無愛想に受け取る。気まぐれで救ったことになった名もなき少女、ヒロミにとっては無価値な存在。あっても冷凍フルーツ半分の値、相場で50G程度。


オレは他人から奪ってきた物の全てを駒として利用し最期はゴミのように切ってきた。きっとコイツも適当なとこでボロ雑巾のように捨てられる運命だろう。憐れなガキだ。


家族も、仲間も、恋人も、守るべきモノもない。


虚空の略奪王にあるのは野望、来るべき時に備え今もチカラを蓄え続ける。


当面の目的はユリウス―――テメェの抹殺だ。


「さあ、闇のゲーム、その第3フェイズの始まりだぜ!!!」


その後ヒロミは謎の奴隷少女、のちに記憶喪失である事を明かし名前も無かったモノに『ミカ』という初めての“意味”を与えた。

ミカンの2/3くらいの価値だからミカ、侮蔑的命名に奴隷少女は太陽のように眩しい笑顔を見せた。




※※※




夕刻。太陽が地平線に沈み空が紅に彩られる夕焼けの頃。


朱雀聖都ザルクヘイムから外国に向けて行き来する特急列車が走る、赤レンガて造られた巨大な駅の前。辺りは生々しく残る内戦の傷痕。災厄の爪痕。そんな復興中の首都を旅立つ『英雄』の青年が見送りの女性と使い魔達と話している。


「―――わざわざお忙しいなかでありがとうございます、もう夕方なのに」


申し訳なさそうに照れ笑う凛とした表情の青年、『辻本ダイキ』が頭をかく。朱雀内戦時では一時的に《ゼロ》との完全共鳴となって戦った彼であったが現在は元通りの黒髪、最初の状態に。


変化しているのは服装。ここ朱雀魔導国を中心に拡がった大陸異変深紅の零。今から一月ほど前に聖都で起きた“災厄”に立ち向かった時はアルテマ軍学校朱雀零組の学生として制服に任務用深紅のコートを羽織っていたが現在は―――。


「ウフフ、似合っているじゃないの。キミは見た目が良いからきっとでもモテモテよ?」


『うん……とてもカッコいい、ダイキ』


『マジメだけが取り柄そうなお前には案外良いんじゃね?人間の複雑な事は分からないけどさー』


就職先から数日前に送られてきた『上官用の制服』を纏う辻本。


海軍の軍服を思わせるような白地のロングコートに黒のラインが施されている衣装。所々に金の装飾品も付けられており、デザイン考案者の拘りが感じられる出来であった。ちなみに考案者は彼と同じく4月から職場の所長に任命された女性らしい。


『英雄の誓い(ヒロイック・オース)』。これが辻本や所長を含めた職員勢、『指揮官』に捧げられた制服の名前。


「話したことはありませんが、らしいネーミングとデザインだとは思いますね……」


辻本は訝しむ様子で着ている汚れなき純白の制服を撫でる。これから行き着く場所、環境に疑心を覚えるのは仕方ない事だろうと銀髪の妖艶な女性、『時宮マナ』は腕を組み直した。そして話題に出ている“あの人=所長”について入手した最新の情報を提供する、


「あるルートの情報では昨日の夕刻に今のキミと同じように特別列車で彼女は白虎に向かって行ったらしいわ」


「へぇ……あの人クラスの御仁なら専用飛行挺の一隻くらい平気で持っていそうですが、列車で向かわれたのは意外です」


必要以上に警戒されたくないのでしょう。マナはそう返すと辻本も納得する。


《深紅の零》後のデリスにおいて朱雀国はあまりに立ち位置が悪すぎる。1歩交渉を誤ればその日のうちに全面戦争を仕掛けられ大国に呑み込まれてしまう程に。


そのなかでの“要請”。自分自身もそうだがそれ以上に彼女は断れるはずがないだろう。白虎帝国の言いなりとまではいかなくてもそれに近い関係は……。


『ダイキ、大丈夫……?不安でいっぱいなら行かなくていい』


『まあ……嫌々はよくないし……!」』


ゼロの使い魔妹『デウ』が覗き込み主の顔色を伺う。瓜二つな姉の『ヘウ』も若干遅れを取った様子で見てやる。双子の熱い視線を受けた辻本は笑みを見せ大丈夫だと答えた。


(この娘たちにとって命よりも大切であったはずの“主ゼロ”を守れなかった俺に……)


(……俺は本当に、繋がりに恵まれているんだな)


夕陽の光が射し込む聖都。徐々に影を落としていくザルクヘイムでそんな事をふと考え感謝していた辻本にマナがずっと持っていた黒塗りの妙に縦に長いケースから“ある物”を取り出した―――それは鞘に納められた太刀。


「ぁ……それは……!?」


少年のような眼差しで興味を惹かれている辻本に対してマナはクスクスと微笑みそれを辻本に手渡す。


ここに見送りに訪れる直前にマナは生前(厳密にはエクシアになる前)に深い付き合いのあった刀鍛冶に“これ”を依頼していたのである。


「それがついさっき完成したと連絡が入って、腕は確かな刀匠の逸品―――」


夕焼けの耀きに呼応するよう光を放つ刀身。辻本とマナは互いにその太刀の真名を呼ぶ。


《黄昏ノ太刀》トワイライトソード。


ちょうど紅空には黄昏月が見えていた。黄昏時に見える月。


まるでこの地で数ヵ月前起きた天変地異、《黄昏の審判》に《深紅の零》を乗り越えた彼を祝福するように光輝く太刀は新たな主を認め、辻本の手によって鞘に戻される。


「フフ、ダイキ君の進む新たな道への餞別。それと私の修行を終えたご褒美と思ってちょうだい」


「ありがとうございます―――マナさん。まさか貴女からこんな素敵な贈り物を」


「この一月、こうして毎日修行をつけてくれていた事……ほんのすこし前の俺達なら絶対にあり得なかった」


「……ええ、“姉さん”もビックリしてるでしょう」


優しい表情で笑うマナにはたしかに『サキ』の面影があった事を辻本はこの場で再認識する。


不変ほどつまらないものはない、と修行の合間にマナは語ってくれた。それは研究者としての定義か、それとも人生観の意見か。


本当に“この道”が正解なのか迷っていた辻本に対しての励ましの言葉。


もし戻れるのならば、零組の日常に戻りたがっていた自分が常にいた。


あの頃に、零から―――。


でもそれはダメだと教えてくれた人達がいた。たとえどんなに苦しくても、たとえどんな結末を迎えたとしたも。選んだ道を否定してはいけない。


(だからどうか、今を諦めずに―――


私の代わりに“このセカイ”を―――


真っ直ぐに進んで “未来”へ―――)


その言葉が、“彼ら”の決意と覚悟を決めた。


―――サキ、君がくれた今日を生きるために。


囚われたユナの手掛かりを見つけてみせる。


「ヘウ、デウ。“こいつ”は預けておくよ」


辻本はマナの餞別品の太刀を腰に差すと、代わりに今まで使っていた異界の混沌太刀ケイオスを返却した。


『『ぁ…………』』


ゼロの使い魔2体は同じタイミングで声を漏らし一緒に太刀を受け取る。予想以上に重量があったのか、わわっと慌てながらしっかりと受け止め、


「彼ゼロを失った今の俺にそれを振るう資格はない。でも必ずまた―――取り戻した時に共に戦ってくれ!」


『……言われなくてもだ、辻本、お前は危なっかしいからなー!』


『付き添えなくて不満だけど、ダイキの事情もあるってマナが……だから待ってる……!』


「ありがとう、キミ達が彼の、いや俺の使い魔で良かった」


辻本に抱きしめられ頭を撫でられた使い魔、恥ずかしそうなヘウと幸せそうなデウ。辻本の乗車予定の特別列車の発車時刻がそろそろな事をマナがさりげなく伝えると、別れの挨拶には不似合いなニヤついた悪戯な笑みで、


「そうそう、この娘たちの代わりではないけど機関に“キミのお目付け役”を送っておいたわ」


「お目付け役……?えっと、初耳なんですが」


「初めて教えているから当然。キミの事情を唯一知っている運命共同体の“相棒パートナー”、とでも言えばロマンチックかしら?」


それはどういった人物?という辻本の当然の疑問にマナは整った銀の長髪をふわりと靡かせ、彼女が元は魔女エクシアだと思い出させるようなくらい妖美に人差し指を唇に当てると、


「それは後のお楽しみよ♡まあ頑張ってね、ダイキ君」


(激しく不安になってきた……この人の惑わし癖みたいな発言はいつもの事で馴れたけど)


「では、行ってきます―――!!」


朱雀の英雄、ゼロの先導者の旅立ち。迷いを振り切って辻本ダイキは新たな道へ―――白虎古都『リューオン』に設立されたデリス初の四大国連合新設組織、『四聖秩序機関コスモスールフェイン』に走り出す。


まだ見ぬ未来、道なき道を切り拓くため。


「キミに女神イデアの加護を」


夕暮れの下で、マナはふと一言。辻本にはおろか隣にいた使い魔にさえ聴こえぬくらいの声量で“世界創世神話に登場する柱の名”を呟いた。




※※※




宵闇。深林の木の枝に凭れるよう座りこの醜い世界を照らし出す月を見上げている黒の青年。そして焔の使い魔。


『レオ』と『オルトリリス』は白虎領土にて一夜を過ごす。茶色めいた黒髪が目元を隠すもレオの瞳の色の火焔のよう燃え滾る灼眼は今も抑えられずに輝いていた。

『暗くなってきたわね……月明かりがあるとはいえあまり暗いと魔物に襲われちゃうかも』


《アイン》継承者のレオの周りをふわふわと飛び回る使い魔オルトリリス。主と対称的に落ち着きのない性格なのか先程からずっと話しかけている少女姿の魔物。



『そうだわ、わたしが火を付けてあげる!感謝しなさいよレオ、ふふふっ♪』


ボッ!と音を立てオルトリリスは掌から揺らぐ魔炎を現出させる。彼が火傷しないくらいの小規模な炎の灯り、これでよしとオルトリリスはレオの隣に腰掛けると、


『貴方、これからどうするの?今の人間界の事はあまり分からないけど……』


(貴方自身の事もわたしは分からないけど……)


少し前、アインの試練を受けていた頃から見守り続けてきたレオの瞳。哀しみに満ちそれでも強く燃え上がる焔にオルトリリスは常に疼いていた。


無事に試練を終え、正式な継承者と使い魔の関係になって以降も。レオの強さに対する拘りと執着は歴代のアイン継承者と比べてもあまりに強大であろう。


この子の過去に一体何があったのか、この子は果たして光の勇者か、英雄か、はたまた闇の騎士か、


与えたのは《アインソフアウル》―――Ⅹ魔眼。


煉獄のよう熱く、冥府のよう冷たい、その双眸。


ここまで無言で夜の月を睨んでいた主、レオは瞬きと共にようやく使い魔に返答する。とても低い声で、まるで触れればそれだけで焔に身を焦がしてしまいそうな怒気、“復讐心”を全身に包ませ。突き刺すようにこう言った。


「火は人を狂わせ、月も人を狂わせる」


「…………おかげでにすみそうだ…………」


この瞬間から、彼の地獄は始まった。




動き出したそれぞれの『英雄たち』。


『辻本ダイキ』『レオ』『ヒロミ』


彼らはこの先知るであろう


たとえ進むべき道が違えていたとしても


それでも見上げる月は同じなのだと――。

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