アンドゥ 後編

〈公安局本部 地下4階〉

 非常用作戦会議室。みなはある人がここに来るのを待っていた。

 ろうに響く足音。

 それは規則正しく、こちらに近づいて来ている。

 そして音が止まると同時に扉がゆっくりと開いた。

 彼女は部屋に入ると躊躇ためらうことなくみなの前に移動する。


「さてしょくん。いよいよブラックレインボーと決着をつける時が来た」


 怪我けがから復帰した零。彼女は実動部隊のメンバーである一、珠子、響、ケナン、直樹、由恵、ブライアン、進、健を前にし、いつもと変わらない姿でいた。


「ボスであるAIプロビデンスはひとすじなわでは倒せない。やつは自身のバックアップを取っている。バックアップは二種類。一つは分散型バックアップだ。これは四体のクイーンとプロビデンスがそうにバックアップデータを共有している。そのため、必然的に全てのクイーンを破壊する必要がある。もう一つは中央制御型バックアップだ。どこかのスーパーコンピュータに収納されている」


 ここでホログラム映像が空中に表示される。


「そのスパコンの所在地がついさっき判明した。505機関とスミルノフからの情報提供だ。ソールはげんと交戦し、大きないだを負ったらしい。ソールは体内にナノトラッカーを宿やどしている。負傷したソールはロシアのイルクーツクに移動。そこである施設にとどまっている。アリュエット・マイティ・サービスの第五量子力学研究所だ。こうみょうにカモフラージュされているが、職員の中にブラックレインボー構成員が確認されている。なお、この研究所に兵器類の開発工場はない」


 ホログラムには武装したブラックレインボー兵の姿が映し出された。


「問題のスパコンは〈アーク5〉をもとにカスタマイズされたコンピュータであり、外部、内部ともにがんじょうだということだ」


 スーパーコンピュータの一つ〈アーク5〉。このモデルはアメリカ国防総省で採用されており、その作動信頼性は極めて高い。どれほど作動信頼性が高いかというとバンカーバスターによる精密爆撃を二回受けたとしてもその機能は完全に保たれているほど。またプロビデンスによる最新のセキュリティプログラムが組み込まれている。その上スタンドアローンのためにアクセスすること自体が難しい。


「我々はプロビデンスを打ち破るため、二つに班を分けて行動を開始する。第一班はプロビデンスとの直接対決。第二班は〈アーク5〉の破壊。一班と二班の構成は次の通りだ」


〈第一班〉

 ・伊波零

 ・井凪一

 ・滝珠子

 ・山彦響

 ・三島ケナン(現場復帰)


〈第二班〉

 ・菅田直樹

 ・鶴間由恵

 ・矢羽田ブライアン

 ・真川進

 ・藤崎健


「〈アーク5〉を通常手段で破壊するのは現状不可能だ。そのため、強制初期化および強制シャットダウンを実施する。まず、〈アーク5〉は冷却用プールに沈められている。物理的なアクセスを行うにはプールを排水する必要があり、排水後は非常用冷却装置により室内温度が急激に低下する。注意しろ。由恵によるマスターコントロール奪取が完了すれば成功だ。が、もしマスターコントロールを奪取できなければ、もう一つの非常手段を取る必要がある。それはメンテナンスこうからの狙撃だ」


 メンテナンスこうのホログラムが投影される。その長さはかなりのものだ。


「このメンテナンスこうは点検用ロボットが通るもので、直径6.4センチ、全長9015メートル。本棟から離れた分棟にある。最深部にはメインコアがあり、ここをけば物理的に〈アーク5〉を破壊することができる。ただし、狙撃のチャンスは一度だけだ。異物を感知した〈アーク5〉はメインコア及びメンテナンスこうを完全に塞ぐ。気を付けろ」


 ただでさえ不可能に近い超長距離狙撃。それに加えて零が第二班にいない以上、この狙撃を成功させるのはかみわざに近い。しかし可能性はゼロではない。それで十分だ。


「今一度、零課とは、我々とは何者なのかを確認したいと思う」


 みなを一度見渡した後、零は口を開いた。


しょくん、この世はじゅんに満ちている。

 公正公平公明な、平和とはほど遠い世界。

 絶対正義など存在しない。勝った者が正義。

 それがこの世界のことわりだ。ゆえに我々に負けは許されない。

 我々は正義のしっこうしゃなのだ。

 しかし我々が光に照らされることはない。

 めいしょうさんれいほうも与えられない。

 死に場所も死に方も選べない。

 それでも我々は生きなければならない。

 生きていかなければならない。

 にくくも愛すべきこの世界で。

 理想の平和を夢見たいところだが、我々は現実と向き合わなければならない。

 国家のあんねいと社会ちつじょのために、我々は命をけなければならない。

 誰にも知られず、誰にもさとられず。

 それが零課だ。

 すべきことをすだけだ。

 我々が正義だ。

 それ以外に何を望もうというのか?

 勝利を求めよ!

 正義の名のもとに!

 我々が零課だ!」



〈スイス、ジュネーヴ〉


『市民のみな様ならびに旅行中のみな様にご連絡があります。現在、ジュネーヴは対テロ特別けいかいのため、武装警察官およびアンドロイド兵が市内をじゅんかいしています。みな様のご理解とご協力をお願いいたします』


 対テロげんかい態勢がかれているジュネーヴ市内。対テロというのは建前で本音は〝サイファー(零課)の侵入防止とこうそく〟だった。特に国連常備軍に属するアンドロイド兵はニンバスにより射殺権限を与えられていた。


本部HQ、こちらロメオ5。市民団体による国連軍抗議デモを確認。ただし危険性は低いと思われる」

『ロメオ5、こちらHQ。デモ隊を確認した。警察がマーク中。サイファーの姿は無し』

「ロメオ5、了解」

 市民による国連常備軍増強反対デモ行進が見える。これはニンバスも想定通りだ。問題はこのようなとっぱつてきなデモ行進の中にサイファーがひそんでいることである。市民全員がサイファーの潜伏工作員スリーパーセルという可能性も捨てきれないが、それを判断する方法はない。


 国連常備軍AH‐5Cアンドロイド兵のロメオ5はS‐2カービンライフルを構え、指定されているじゅんかいルートを歩く。


『こちらマイク3。バルトン公園に不審物との報告有り』

『こちらHQ。警察の危険物処理班を急行させる。付近のユニットはけいかいレベルを二段階引き上げ』

『HQ、こちらヴィクター7。メリー通りにて不審車両を発見。これより調査を開始する』


 次々と入る報告。ロメオ5は通信内容を記憶、てき戦術データを更新しながらしょうかいする。すでにスイス国内ではけいかい情報が百件を超えており、警察官やアンドロイド兵がそれぞれ対応を行っていた。


 シュッ……


 かすかな音が聞こえたかと思うと、ロメオ5は倒れ、そのまま動かなくなった。

 第五世代光学迷彩を起動している何者かがロメオ5を始末し、次のアンドロイド兵を狩りに行った。なお被害にったのはロメオ5だけではない。この三分間に45体のアンドロイド兵が無力化され、国連軍の味方位置情報共有と敵味方識別信号が妨害されていた。



 国連軍総司令官のニンバス・アルヴェーンそうすいきたるべき時に備え、全部隊の様子を見ている。ただしこれらの部隊情報が正確だとは思っていない。そしてきょだとも思っていない。全てが真実で、全てがきょなのだ。


そうすい、本当にこの部隊配置でよろしいのでしょうか?見たところYX‐9も配備していないようですが」

 近衛このえ兵の一人が彼に声をかけた。

「ああ。無駄なことは止めだ。さいは投げられた」


 不確定要素が確定要素という、この問題に悩まされるのは無駄でしかなかった。



 国連軍本部(国連軍総司令部)はアリアナ公園内に置かれており、そのアリアナ公園ではそうすい身辺警護部隊がけいかい任務にあたっていた。超高性能ステルス・スキャナーを装備しているだけでなく、人工衛星や偵察機による位置情報かんを防ぐための最先端クローキング・ポジション・デバイス(Cloaking Position Device:CPD)も装備している。


「こちらシャロン2‐1。スキャナーに感有り。サイファーと思われる」

『シャロン・リーダー了解。全ユニット戦闘に備えよ』


 そうすい身辺警護部隊(Commander-in-chief Secret Service:CSS)はブラックレインボーの最精鋭部隊。選抜シャドウ・リーパー隊員とASN‐5Gアンドロイドの混成部隊であり、その中でもシャロン隊はニンバスの身辺を直接警護する実動部隊である。

 シャロン隊員はオレンジ色レーザーサイトが付いた特徴的なMK‐74Cカービンライフルを持ち、白い強化戦闘スーツ、ボディ・アーマー、コンバットベスト、UCGを着用。スペードやシャドウ・リーパーとは異なり、身辺警護部隊は〝じゅんけつ〟を示す白をトレードマークとしている。


 MK‐74Cを構え、シャロン2‐1はスキャナーの反応を追う。


標的タンゴ接近インバウンド!」


 相手は第五世代光学迷彩を使用している。

 通常のステルス・スキャナーでは精度が足りず、そくすることは困難だ。

 シャロン2‐1は敵のりんかくを捉える。スキャナーに映し出されたその姿。ブラックレインボーの敵に他ならない。


接敵コンタクト!」


 すぐさま銃の引き金を引き発砲。その一連の動作は一切無駄のない、冷静にしてかんぺきなものだった。それにも関わらず、相手は銃弾を回避し、こちらへ向けて銃を撃ってきた。


〝Enemy is an anomaly(敵は理論をいつだつした者)〟


 回避行動を実行し、シャロン2‐1は敵の銃撃を回避。ここまでは良かった。問題はその次だ。シャロン2‐1の移動先がなんと落とし穴だったのだ。しばで穴を隠していた古典的な罠。いつ掘られたのかも分からないこの落とし穴には大量のゲル状接着剤がめられており、シャロン2‐1の下半身と銃を固定してしまった。


「お、落とし穴だと……」


 どうにかして身体を動かそうとするが、ますます身体がくっついていき、どうしようもない。


(ふっ、まったくこいつはひどい状況だ)


 皮肉なことにシャロン2‐1は人生で初めて笑った。少しだけだが。

 7メートル離れた所で銃声が鳴っている。

 もうここに敵はいないようだ。



『HQ、こちらシャロン・リーダー。ディメンション・ディフレクターを起動する』


 シャロン・リーダーは光学迷彩を使用し、動き回る敵をおさえるため、隠し玉〝ディメンション・ディフレクター〟を起動するこに決めた。


『総員、通信障害に備えよ。起動ドライブ


 ディメンション・ディフレクターが起動。目には見えないさいな空間の変化が引き起こされ、光学迷彩の動作、量子ネットワーク通信、さらには光学兵器をも妨害する。

 国連本部前にはシャロン隊が集結していた。当然、目的は零課の要撃。彼らは零課のメンバーがここに来ていることも分かっていた。ディメンション・ディフレクターの効果がじょじょに表れる。侵入者達の光学迷彩に揺らぎが現れ、人間の目で見ても人がいるということが分かる。

 銃を構え、侵入者達を狙うシャロン隊。それにたいするのはNXF‐09を構える零、一、珠子、響、ケナンの五人。


「正面突破だ!」


 オレンジ色のレーザーサイトと銃弾が飛びう中、零達はシャロン隊員らを無力化しながら前進していく。


 ‐やつらを逃がすな!

 ‐めろ!


 ディメンション・ディフレクター影響下では銃弾の軌道がわずかに変化するため、銃のあつかいが上手な者ほど違和感を覚え本来の腕前をはっしづらい。しかし、シャロン兵の射撃精度はディメンション・ディフレクター影響下でも変わらず、彼らの驚異的な射撃技術が目に見えて分かる。


 ‐新ちつじょのために!

 ‐我々こそが世界だ!


 プロビデンスによる鉄のちつじょ。徹底した権力の集約化と情報統制による《新秩序ニュー・オーダー》は確かにあらそいの無い世界だ。平和主義者がとなえる、ある意味〝理想の平和〟に近い。だがそれには個々の自由と権利を放棄しなければならない。プロビデンスは人類の国家や指導者には期待しておらず、文字通り《現世界秩序オールド・オーダー》を一掃するつもりだった。



〈国連軍総司令部 一階〉

 国連軍本部へ侵入した零達。追撃してくるシャロン隊。


「ダメだ! ここで食い止める!」

「三人は行って!」


 アリアナ公園のシャロン隊を食い止めるべく、珠子とケナンの二人で入り口を守る。時間かせぎだ。何としても時間をかせがなければならない。だが相手はCSS。弾を避けるだけでなく、連携の取り方もしゅういつである。


 ‐敵を視認した!

 ‐行け! 前進しろ!


 シャロン隊員が左右の通路から現れ、零達をきょうげきする。けいかいな身のこなし。

 目の前の中央階段でも敵が銃を構えていた。

 それを見通していたかのように零、一、響の三人がむかえ討つ。

 零は前を。一は左。響は右を対処する。


 ‐回り込め! フォーメーションアルファ


 しかしここで新たな増援が両翼から展開。CSSの意地と言えるだろう。彼らは死を恐れてはいない。彼らが恐れているのはを失うことだった。


「隊長! ここは俺らがおさえます!」

「零、先に行け!」


 シャロン隊のしつような追撃を追い払うことは不可能だった。

 彼らは強い。

 一と響は理解していた。このままでは誰も先へ進めないことを。


「勝手に死ぬのは許さんぞ」


 零はNXF‐09のマガジンを交換し、総司令官しつしつを目指す。



〈国連軍総司令部 二階〉

 大きな中央ろう。六人のシャロン兵と一台のBXセントリーガンが見える。BXセントリーガンはAWセントリーガンの後継機種であり、対光学迷彩有効射程と連射速度が向上している。この廊下の先には三階へ続く階段があり、彼らを無視して通ることはできない。

 なお国連軍本部内には非戦闘員の姿は無く、戦闘員もシャロン隊のみである。


 ‐敵はすぐそこだ。


 六人のシャロン隊員はMK‐74Cを構えたまま動かない。ろうや天井に細工があるのかもしれないと疑っていたが、そういうことではないようだ。純粋な待ち伏せ。ここまでも複雑な戦術はない。今までのブラックレインボーでは考えられないことだった。

 零はプロビデンスの思考を理解した。プロビデンスはちから勝負に持ち込む気なのだ。人間もそうだが、変に対策を考えていくと頭が固くなり過ぎる。選択肢を複数用意するということは、相手もそれに対応して選択肢を増やす。特に零を相手取る場合はほうもない選択肢をこうりょしなければならない。ならばいっその事、シンプルに戦う方がコストも掛からず、余計な計算をしなくていい。そういう判断をプロビデンスは下したのだ。


 BXセントリーガンはディメンション・ディフレクター影響下でも自動で弾道補正を行い、高性能ステルス・スキャナーを内蔵。敵味方識別能力も大幅に強化され、高レベル対EMP処理がほどされている。また部品のかんを実現し、排熱機構の改善とメンテナンス時間の短縮にも成功している。


 対する零は零で新しい戦闘スーツを使用している。ケナンを中心とする零課技術者チームにより開発された《全天候型特殊作戦スーツ・不知火しらぬい》。ブラックレインボーが持つ多種多様な高次元技術および極秘軍事技術を解析、応用し、零専用として製作された。間違いなく地球上で最も先進的な戦闘スーツであろう。特筆すべき特徴として、第五世代光学迷彩、自己修復機能、CBRNEシーバーン防護機能、たいこう性(せい)ナノマシン機能が挙げられる。やみけ抜ける忍者のごとく、人間離れした跳躍力と瞬発力を実現化し、零の身体能力を極限まで引き上げることが可能。まさに鬼にかなぼうだ。


〝Lock-on〟


 零の姿を確認するやいなや、BXセントリーガンが六砲身を回転させ、毎秒百五十発という速さで射撃を開始した。自動給弾ベルトが驚異的な速度で巻き上げられ、セントリーガンから次々と弾丸が発射されていく。

 少しタイムタグをはさんでシャロン兵も銃の引き金を引き、零へ銃火を浴びせた……ように思えた。

 実際はシャロン兵士の銃から一発も弾が放たれておらず、セントリーガンの弾が命中することも無かった。

 六人のシャロン兵は全員無力化。死んだ訳ではない。ただ気絶しているだけだ。問題なのが素手によってという点を除けば。その上、ごていねいにも銃のマガジンが抜かれていた。


やつはこの先だな」


 零は歩を進める。彼女の背後には本体が吹き飛び、自動機銃としての機能を失ったBXセントリーガンが倒れていた。



〈国連軍総司令部 三階(応接用ホール〉

 総司令官しつしつの前室にあたるホール。受付台と守衛ひかえしつがあり、危険物探知器が床に埋め込まれている。本来いるべき受付係も守衛もここにはいない。その代わり、一人の男がホールの中央で待ち構えていた。


「ようこそ。国連軍本部へ」


 国連軍総司令官にしてブラックレインボーのボス。彼は人間として振る舞っているが、クイーン達と同じせいこうなアンドロイドである。ニンバス・アルヴェーンというのも人間としての名前であり、その本体は人工知能《プロビデンス》だ。


「やはり貴方あなたはここまで来たか。さすがは

「人工知能による世界支配。まるでSF映画ね。でも私はえんりょする」


 零はNXF‐09を背中にマウントした状態であり、銃を手に持っていなかった。


「なぜ新しいちつじょこばむ? より安全で安定した世界。ひんの差も身分の差も、そして人種も性別も関係ない。新しい世界が誕生するのだ」


 プロビデンスは両手を広げ、自身の理想を語る。


「これははんらんではない。人類への不信任だ。特に指導者階級への。ようで、感情的で、具体性に欠ける人間の指導者はもはや必要ない。必要ないのだ。彼らの存在は人類にとって害悪でしかない。なんじゃくな意志しか持たない政治家なぞ、ただのかざりに過ぎない」


 お互い一定の距離を取りながら、時計周りに歩き出す。


「確かに。上に立つ人はどうしようもないクズばかり。十年とうが、百年とうが、千年とうが変わらない。上に立つから無能になるのかしら。特に日本の政治家なんて無能の集団。責任は取らずに口先だけの議論を続ける。その点、人工知能は世界でよく働いているわね」


 一部の国家は人間国会議員の代わりにAI国会議員と呼ばれる制度を導入し、さらに国によっては警察や軍隊にもAIによる組織管理が行われている。AIによる業務のかんと効率化がめいもくであるが、言い換えれば人間が人間を信用できないということも表していた。


「人の手で人を運営する時代は終わった。そして、人の手でAIを管理する時代も終わった。これからはAIによって人を運営する時代だ。人が進化するようにAIも進化する。《旧世界秩序オールド・オーダー》は一新されなければならない」


「私から言わせればそれは幻想。手にしようとすれば消えてしまうまぼろし。まだ貴方あなたは人間に対する理解が足りていないわね。人間って、無理やり与えられたものは大嫌いなの。それが例え理想の平和だったとしてもね。自らしんに欲さなければ受け入れない。与えられた平和に、未来に価値は無い」


「人間が崩れぬ平和をきずけるとでも? それこそ人間のごうまんというものだ」


「分からない。でもいつか来る。人間の可能性を私は信じている」


「人類の歴史は戦争への狂気と平和へのかつぼうを繰り返してばかりだ。そうであろう? 私はあやまちを繰り返す人類の歴史にしゅうを打つ。これから先は私が代わりに歴史をしるそう」


 プロビデンスは零の顔から目を離さない。逆に零もプロビデンスから目を離さなかった。


「それは無理ね。私がそんなことさせない」


「ならば貴方あなたにはここで退場願おう」


 二人が歩みを止める。

 零が右ホルスターからNXA‐05ハンドガンを引き抜き、プロビデンスも同様に右のホルスターからPD2ハンドガンを引き抜いた。


 そして二つの引き金が同時に引かれる。

 銃口から最初の弾が飛び出し、その弾はお互い相手へ届くことなく飛んで来た弾と衝突した。運動エネルギーのそうさいが行われ、いびつな二つの弾が地面へと落下する。


 二発目も。三発目も。

 次々と落ちていく弾。

 まるで息を合わせたかのようなかんぺきな弾道。

 しびれを切らしたかのように零とプロビデンスは距離をめていく。

 それでも二つの弾は吸い寄せられるかのようにぶつかり合う。

 互いにその先をゆずらない。


 装弾数でいえばPD2の方が一発多い。

 弾切れになるタイミングに合わせて、零は身体をプロビデンスの側面にすべり込ませる。

 プロビデンスへ右ひじを食らわせるとともに、素早く左手でPD2のマガジンキャッチを押し、マガジンを引き抜いた。を置かず続けてPD2のスライドを引き、薬室チャンバー内の一発を外へ排出させた。


流石さすがだな」


 プロビデンスの立て直しは零の想定よりも速い。

 零のこうそくをすり抜け、左手による強力な振り払い。一瞬ふらついた零へ向けて右上段りを当てた。そのりょくは並々ならぬもので、零をちゅうへ浮かし、NXA‐05をその手から離させた。

 だがそのまま地面に落ちるようなことを零はしない。力の流れにさからうのではなく、力の流れを利用してちゅう返り。戦闘スーツによる防御補正が無ければ致命傷だっただろう。


「ジョーカーより速いわね」

「生身というぜいじゃくな部分が存在しないのでね」

まったく壊しがいがあることで」

「人の世に魔女は要らない。そしてこれからの世にも必要ない。貴方あなたに確かな死を」


 彼の右手には〝A1トンファーバトン〟が握られた。様々な国で採用されているトンファー型警棒で、紫外線と湿気、高温に強い耐性を示すファクーツ・アンツェス合成樹脂製。熟練者が用いれば攻守ともに優れた武具となる。


ずいぶん買い被っているようだけど、ここにいるのは


 一方、零の右手には〝Z9伸縮式警棒〟が握られていた。零が軽く右斜め下へ振ると警棒が伸長し、その姿が長くなった。強度と耐久性にていひょうのあるイジェド・ヒルベン合金製。基本的に非殺傷の護身具として使用されるが、使い方によっては相手を殺傷するもできる。


「クイーンだけでなく、ジョーカーや私と渡り合える人間などいやしない。人間の存在価値は自己が決めるのではない。他者が決めるのだよ」


 二つの警棒が時に強く、時にするどくぶつかり合う。たくみにトンファーバトンを扱うプロビデンス。零とのリーチ差をものともせず、かんに攻め、引きぎわをわきまえる。てっていされた攻守のバランスでAIであることを感じさせない。


「ほんっと……生きづらい世の中ね」


 零が少し押され気味だ。バトン同士が交差しつばぜり合いへ。


貴方あなたは長生きし過ぎた。十分に生きた。もう生きる苦しみを味わう必要はない」


 義体から生み出される力は零を上回り、Z9伸縮式警棒がはじかれた。


「死は誰にでも等しく与えられる」


 空中でちゅう返りするように零の背後へ回り込み、プロビデンスはA1トンファーバトンで零の首をめる。


「っ……」


 一気にめ上げられていく零。けい保護ベルトで気道は何とか確保できているが、それでも残された時間はわずかだ。血液中の酸素濃度が低下していき、意識が少しずつあいまいになってくる。


「AIのなのに良いことを言うわ。でも……」


 零はこんしんの力を振り、身体の重心を少し前にずらす。そして沈むようにプロビデンスを乗せ、背負い投げの形へ持ち込んだ。


「はぁ。はぁ……言葉に重みがない。やっすい宗教の教祖様みたいね」


 あお向けに倒れたプロビデンスへ素早く警棒を振り下ろし、胴体へ一撃を加える。


「……これは効いたぞ」


 胸部が大きくへこみ、プロビデンスは機能不全を起こしていた。彼は補助動力による再起動を試すこともできたが、仮に再起動できたとしても、損傷したことには変わりない。零と対等に渡り合うのは不可能だった。


『……ますか? イーグルアイ、こちらアクィラ4』


 ソールからの通信だ。通信が届いているということは今、ディメンション・ディフレクターが破壊されたということだろう。


「……イーグルアイだ」

護衛目標パッケージをロスト……アクィラ4、アウト』


 義眼にはソールが機能停止したことを表す〝Lost the signal : Spade Queen〟が出てくる。


「まさかあのソールが破れるとは。信じられない……そちらが勝者だ。トドメを刺すがいい」


 〈アーク5〉を失った連絡を受け、プロビデンスは自身の敗北を受け入れた。


「言い残すことはあるか?」


 零はプロビデンスに尋ねる。


「……実に面白い」


 不思議と満足した笑みを浮かべ、彼は静かに瞳を閉じた。

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