第5話 魔王のような村人(※主人公の一人です)

 「……アンタら全員、俺が料理してやる」


 身をすくませるほどの憤怒をまき散らして傲然と言い放つ少年に、王国の威信を背負う第六近衛騎士団が圧倒されていました。


 上下合わせても銀貨数枚でお釣りがくるような質素な服装と使い込まれた大ぶりのフライパン。特別体格に恵まれているわけではなく、かといってやせ細っているわけでもない中肉中背の身体。艶のない黒髪と精悍というには若干の幼さが残る顔立ち、年の頃は成人したての私と同じ位。


 総じて普通の村人のはずなのですが、その少年が放つ殺気はこの村にたどり着くまでに目にしたどの魔物も『愛らしい小動物』に思えてしまうほどの隔絶した迫力を備えています。


 守衛の青年たちはいつの間にか少年の後方に移動していて、残された私たちは呼吸すら許されないような緊迫感の中で少年を凝視しました。


 彼に変化が生じたのは突然でした。


 黒一色の髪の一房が前触れもなく白髪に変わり、前衛の騎士たちの隙間から私とクラッドの姿を睨みつけ、


 「なるほど……まずはアンタだ!」


 そう言うなり駆け出した少年はたちまち騎士たちの隊列を縫うように駆け抜けてクラッドさんに迫ります。


 その速度だけでも彼が身体強化魔法の使い手であることが分かります。


 けれども私はその事以上にクラッドさんが騎士団の最大戦力であることを初見で見抜いた少年のデタラメな勘の鋭さに驚愕していました。


 クラッドさんはしかし、楽しそうに呟きました。


 「炎の剣フィレスウォルド


 たちまちのうちに片手剣が赫々とした炎を纏います。その大きさは片手剣の刀身とほぼ同じ、全力でないことは明らかです。


 私もまたクラッドさんに強化魔法を数種類重ね掛けして、筋力と耐久力、そして魔法の威力を増幅しました。


 「イキのいいガキだな! 動きも度胸も悪くねえ。だが相手は選べ」


 「選んだよ、アンタが一番厄介だ!」


 「ハハッ、分かってんじゃねえか!」


 騎士たちの陣を瞬く間に切り裂いた少年は一足で間合いに飛び込み、迎え撃つクラッドさんは目で追えないほどの速度で袈裟斬りに剣を振るいます。


 少年はクラッドさんの太刀筋に直交する軌道でフライパンを横薙ぎに叩きつけ、剣の軌道を強引に逸らしました。


 フライパン越しに伝わる衝撃を利用して弾き飛ばされるように後退し他の騎士たちの近くに着地した少年を、クラッドさんは苦々しい表情で睨みつけていました。


 「……おいガキ、その位置わざとか?」


 「やりにくいだろ?」


 護衛であるが故に私のそばを離れられないクラッドさんは全力の炎の剣で少年に追撃することができませんでした。


 味方の騎士たちを巻き込んでしまうからです。


 「ちっ! お前素人じゃねえな」


 「はぁ? 俺はただの村人だ……諸事情で少し場慣れしてるだけで」


 「つくづくふざけてんな」


 「……そんなつもりないんだけどなぁ」


 そう言って再び距離を詰める少年は、クラッドさんの流麗な剣戟をフライパン一本でいなし、切り結び、時に鎧の上から叩きつけて、素人目には互角の戦いを繰り広げていきます。


 幾度かの交錯を経て炎の剣に熱されたフライパンが赤く光り始めたところで、少年はそれをクラッドさんのの喉元に突き出しました。


 「浅い!」


 わずかに上体を逸らして少年の突きを難なく、しかも紙一重で避けたように見えるクラッドさんに、少年は謝罪するように言いました。


 「ちょー苦しいぞ……水滴ワテルドロプス


 少年が発動したその魔法はコップ一杯程度の水を生み出す初歩の水属性魔法、いわゆる生活魔法でした。


 ただ、彼が水を発生させたのは十二分に熱されたフライパンの上でした。


 「熱っ!」


 瞬時に沸騰した水分が発生させる湯気が刹那の内に視界を奪い、最終的にはそれがクラッドさんの決定的な隙となったのです。


 続けて少年がフライパンを振るうと回避も出来ないクラッドさんの顔面に熱湯がかかります。


 「がああああああああ……ぁ、あぁぁぁっ……!」


 顔面だけでなく鼻や口の粘膜まで高熱に曝されたクラッドさんは激痛に悶えてその場に倒れこみました。


 うまく呼吸ができないのでしょうか、息苦しそうな表情のまま顔面を抑えてごろごろと転がり始めます。


 「さて、縛るか」


 少年は何もない中空に手を伸ばしました。するとそこに突然空間が裂けたような黒い穴が現れます。


 空間魔法、空間収納アイテムボックス。物資を亜空間に収納できる極めて利便性の高い魔法です。


 一方で五千人に一人程度しか魔力適性を持たず、また適性を持たない者には決して扱うことのできない希少な魔法でもあります。


 彼がその中から取り出したものは魔獣の革製品の加工に使われる巨大な金属質の糸を針穴に通した二本の巨大な縫い針でした。


 少年は片方の針を地面に投げつけます。


 針は針穴が見えなくなるほどに深々と地面を穿ちました。


 そして地面を転がるばかりのクラッドの身体に針穴から伸びた糸が絡まり始めます。


 少年はクラッドを数回蹴り転がして糸が身体に幾重にも絡んだことを確認すると、もう一本の針を地面に突き立ててかかとで踏みつけました。


 こうして、まるで蜘蛛の巣に触れた羽虫のようにクラッドが身動き取れなくされてしまうまではほんの十秒足らずでした。


 彼を上回る実力を持つ者はもう、この場にいませんでした。


 「待たせたな、でももう終わる。調理は手早くが俺の主義だ」


 ここまで戦闘に参加してこなかった騎士たちへと少年が向き直ります。


 私は今になって、彼らが戦闘に参加しなかったのではなく、出来なかったことに気づきました。


 ある騎士は足を取られて転び、また別の騎士は構えている剣を不自由そうに振り回そうとしていました。


 彼らにはクラッドさんを拘束したものと同じ糸が絡まっています。


 最初に騎士たちの間を駆け抜けたときに、文字通り彼らを縫い留めたのでしょう。



 始まったのは制圧でした。



 フライパンが騎士の一人を打ち据え、遠間から魔法で攻撃を仕掛けようとする者には針の雨が降り注ぎ、振り下ろした剣は無秩序に張り巡らされた糸にからめとられていきます。


 その隙を縫って放たれた剣の連撃もここしかないというタイミングでフライパンにいなされ、あるいははじき返され、次の瞬間には側頭部を強かに打ち抜かれる。

 私が魔法で補助しようにも、詠唱準備をする度に彼は抜け目なく縫い針をこちらに投げつけて集中を乱してきます。


 その間に少年が負った傷は軽度な切り傷や擦り傷程度で、それすらも数えるほどしかありません。


 騎士団の全員が再起不能になるまで叩きのめされるまでの間、一方的な戦闘を見ていただけの私は……自分でも意外なことだったのですが……怒りを覚えていました。


 たかが一週間とはいえ行動を共にした人たちが傷つけられていくことに、それを間近で見ていながら何もできない自分自身に、強く憤っていました。


 不意に場の空気が変わったのは、累々と横たわる騎士たちを見下ろす少年が何かを言いかけたときでした。


 「……おーい、ユーリぃ! 鍋が噴きこぼれておるぞ! 私の昼ごはんはまだかの?」


 おなかに手を当ててこちらへ近づきながら、その若々しい声色に似つかわしくない老人のような口調で質問を投げかける若い女性が現れました。


 年齢は二十前後でしょうか。見たことのない衣服に身を包み、長い銀髪を風になびかせる美しい女性。口調との落差がなおさら際立っています。


 私たちに向けられていたユーリという名の少年の戦意が目に見えて薄れていくのが分かりました。


 彼はため息を一つつくと女性の方へと向き直りました。


 「……悪いラスボス、邪魔が入ったんだ。作り直すからもう少し待っててくれ」


 「うぇー……嘘じゃろ? 今日のシチューは力作だって言っておったじゃろ?」


 「そうだけど鍋を火から離す暇もなかったからな……焦げてるだろ多分」


 「はぁ!? ふざけるでない、お主一体何を……ん?」


 ラスボスと呼ばれる銀髪の女性はそこで言葉を切ると、周囲をきょろきょろと見まわしました。


 「……こやつらは何じゃ? 邪魔というのはこやつらのことか?」


 「そうだよ。武器持って家を囲まれたんだ。そんで無理やり俺を連れ出そうとしたから料理おしおきした」


 「なるほど……ひどい有様じゃの。ところでお主の後ろにおるパツキンのチャンネーは一体誰じゃ」


 ラスボスさんが訝しそうに私を見ていました。『ぱつきんのちゃんねー』という言葉の意味は分かりませんでしたが、今の状況はチャンスだ、と私は思いました。

 建前ばかりの任務と言えど私を守るために少年に立ち向かった騎士団の皆の無念を晴らすために、一矢報いる好機が来たのです。

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