第4話 空白の地を訪ねて

 馬車に揺られて街道を北上しはじめてから一週間が経ちます。


 城から放逐された私の怒りは日を追うごとに薄れていき、その代わりに困惑が膨れ上がっていました。


 父上たちの言う通り、騎士団は最強の名を大っぴらに騙れる程度には強かったのです。


 近衛騎士は要人警護というその任務の性質上、集団行動や対人戦闘に強みを発揮します。そんな彼らが相対的に苦手とするのが、いわゆる魔物です。


 人外の膂力や鋭い爪牙に堅固な外皮を有し、時には呪文すら必要とせずに火を噴き大地を凍てつかせる存在に対して、騎士が誇りと共に身に纏う重厚な金属鎧はあまりに心許なく、剣の一撃はあえなくはじき返されるのです。


 その為、要人の護送においては対魔物戦の専門家である冒険者たちが同行するのが一般的でした。


 ところが第六近衛騎士団の騎士たちは、村に近づくごとにその強さを増していく無数の魔物たちを相手取ってなお、傷一つ負うことなく片付けていきます。


 一国の姫である私が戦地に送られるという事実の漏洩を恐れて冒険者を護衛として雇わなかったのだと当初は考えていましたが、単純に冒険者たちを必要としなかったようです。


 中でもクラッドという名の若い赤髪の騎士の力は頭一つ抜けていました。


 髪の色が暗示する通りに強力な火属性魔法の使い手である彼は、強靭な肉体を身体強化魔法で更に強め、左手に持った大盾で敵の攻撃を危なげなく捌いていきます。

 支給品と思われるごく普通の片手剣に長大な炎を纏わせて、並み居る魔物たちを一刀のうちに切り捨てていく姿は少なからず私を安心させるものでした。


 「……つまんねえなぁ雑魚が。いくら倒しても金になんねえんだから昼寝でもしてろってんだ」


 もっとも、口と態度はすこぶる悪いのですが。元冒険者なのだそうです。


 「おい終わったぞ爆は……姫様。これから死体焼くから近づくんじゃねえぞ。あと俺に触るな。爆破されたくねえ」


 更には姫である私に対してこの言い草です。護衛対象どころではなく、明らかに寝首を掻こうとする悪党に向けるべき警戒の目線をこちらに向けていました。


 「……わかりました。お願いします、クラッドさん」


 不満はありますが、私の魔法の弱点を把握されている上に戦闘慣れした本職の騎士に陰キャ体質の私が敵うはずもないので、私は内心の不満を胸の内にとどめる他ありません。


 その後騎士たちが二十体以上の魔物の死体を一カ所に集めると、クラッドさんは気だるい声で呪文を言い捨てました。


 「……ほれ、炎の剣フィレスウォルド


 その瞬間、彼の剣から勢いよく紅炎が吹き上がりました。


 そして彼は巨大な炎の剣をつまらなさそうに振るって魔物の山を撫でます。


 物言わぬ魔物たちの死体はたちまち焼き焦がされ、後には鼻を突く独特の悪臭と原形をとどめない一山の炭だけが残りました。


 「後始末一丁あがり、と。旦那、これで出発できるだろ?」


 「うむ……ご苦労」


 私の乗る馬車の側に立っていた壮年の騎士団長であるグレゴールさんが口の悪さに頬をひくひくさせながらもねぎらいの言葉を口にします。


 クラッドさんは剣を鞘に収め頭をぼりぼりと掻きながら自分の馬に跨りました。





 それから一時間ほどして私たちは村の入口にたどり着きました。


 皆が馬上から地に降り立ち、私も馬車から降りました。


 先触れとして昨日の内に村に向かっていた騎士と、村の守衛……と言っても持ち回りで役目につく自警団のようなものなのでしょう、古びた革鎧と刃こぼれの目立つ槍で武装した青年二人にグレゴールさんが声を掛けます。


 「出迎え感謝する。先に伝えた通り、エリス=アルジェント第二王女殿下直々に遡行の少年と創世王の言葉の調査の為この地に足を運ばれた。件の少年はいるか?」


 「……いえ、それが……」


 「ん、おらんのか?」


 「……昼食の準備で忙しいと」


 守衛の青年の一人が真っ青な顔で答えました。


 自分の人望のなさは理解しているつもりでしたが、昼食の準備よりも後回しにされる姫とは一体何なのでしょうか。本当に姫なのでしょうか。


 「姫様直々の命令より飯炊きを優先させたというのか?」


 「申し訳ございません! ですが邪魔をするのはいかに王女殿下や近衛騎士様でもよした方が……」


 「話にならん、今すぐ無礼者の元へ連れていけ! この手で処断してくれる!」


 「わっ、悪いことは言いません、それだけは避けるべきかと! 命は大事に……」


 「……いのちはだいじに、だと? ふざけるな! そこまで我が騎士団を愚弄するとは貴様らも同罪だ! 飯炊き小僧の次は貴様らの番だ、覚悟しておけ!」


 守衛たちはグレゴールさんの剣幕を前にして、それでもここは待つべきだと懸命に説得しているようでした。


 それでも守衛たちの侮辱に憤激したグレゴールさんや他の騎士たちは先触れ役の騎士に先導されて村の中へと入っていきます。


 「……行かねえのか、姫様?」


 村人相手に騎士然とした振る舞いを期待できないという理由で私の警護に専念することになったクラッドはどうでも良さそうに私に尋ねます。


 「行かないわけにはいきませんが……何故守衛の方たちはああも頑なに止めようとしたのでしょう」


 「どうせつまんねえ弱みでも握られてんだろ、不倫だの何だの」


 「クラッドさん、発想が下世話すぎませんか?」


 「箱庭育ちのお姫様にゃ分かんないだろうけどな、田舎ってなぁそんなもんだぞ。何ならもっとドギツい風習も……」


 「え……もっとドギツい……っ!?」


 でっち上げられた使命たてまえよりもクラッドさんの知る風習に興味を抱き始めた私の言葉を遮るように、甲高い金属音が村の中から響きました。


 視線を向けると金属鎧を纏った一人の騎士が木の葉のように宙を舞い、地面を転がる様が目に入りました。

 騎士はぐったりとした様子で指一つ動かせないようです。


 周囲の状況を確認した私は違和感を覚えていました。


 装備も含めた総重量で百キロを超える騎士を吹き飛ばすような芸当は普通の村人にはできません。


 誰が、どのように、と考え始めた私の視界に現れたのは村の入口へと戻ってくる騎士たちの姿とそれを追って鷹揚に歩みを進める一つの人影でした。


 「……だから言わんこっちゃない」


 守衛の青年の一人が、まるでこうなることを予見していたかのように首を振って嘆息しています。


 「あの、言わんこっちゃないとは?」


 「……姫様!? 本物!? ……あ、いえ、この村には絶対に手を出しちゃいけない人間が二人いまして……」


 「その一人が遡行の少年なのですか?」


 「ええ、まあ。そこう、っていうのが何なのかは分かりませんが、ユーリはラスボスの……」


 「ゆーり? らすぼす?」


 「おい見ろ、あの野郎フライパン持ってやがる!」


 狼狽した様子でもう一人の守衛の青年が人影を指さして叫びました。


 私と会話していた方の青年はその言葉を聞くなり憐憫と切迫感の混じった視線を私とクラッドに向けます。


 「……姫様、今すぐお逃げください。ユーリは本気です」


 徐々に近づいてくる人影の正体は見る限りごく普通の黒髪の村人で、確かにその手にフライパンを握っています。


 ただ、それだけと言えばそれだけです。


 「……どう見てもフライパンを持った村人にしか見えないのですが」


 「姫様はご存じないのです! アイツが敵の前でフライパンを握る意味を!」


 「教えていただいけますか?」


 「『お前を料理してやる』という意味です。もう誰にも止められません」


 恐ろしく下らない冗談を私に聞かせる守衛の表情は絶望に染まっています。


 かつて劇場で見た王国一の役者のそれを上回る迫真の名演技でした。


 私の隣ではクラッドさんも俄かに殺気立った気配を漂わせています。


 「姫様、ご無事ですか!」


 私の前にたどり着いたグレゴールさんもまた真剣な表情で私の身を案じます。


 まるで私以外の全員が一致団結して小芝居に興じているようにも思えます。


 ムカムカしてきました。


 「皆さん命令です! 全員この場で自害なさ……」


 「それどころではございません姫様! 今すぐ撤退いたしましょう!」


 「……撤退?」


 「既に二人やられました……あの少年は化け物です! その守衛の言うとおっ……」


 グレゴールさんは言葉を最後まで言い切れないまま、突然後頭部を殴られたかのように意識を失って前のめりに倒れました。


 その足元には、これもまた何の変哲もないおたまが転がっています。


 私はようやく自分の目の前で起こっていることの異常さに気づき始めました。


 凶悪な魔物たちをまるで相手にしなかった強者が三人も戦闘不能に追い込まれ、またそれを成した存在が何者かを指し示すように調理器具が転がっています。


 クラッドさんはとっくに感じていたのでしょう。


 この村が魔王の集中攻撃に見舞われながらも変わらず存在しているということの意味、すなわち魔王軍すら退けるほどの名もなき強大な戦力がこの『辺境の開拓村』にいるということに。


 遅れて駆け付けた騎士たちは私を背後に庇うように陣形を取り、村の方へと向き直りました。


 その背中から感じられるのは決死の覚悟です。更にクラッドさんも鞘から剣を抜き放ち、私の目前に陣取りました。


 臨戦態勢の騎士団全員の姿を前に、力強い歩みで村の入口へとたどり着いた少年は足を止め、一人一人の顔を記憶に刻むように視線を走らせます。


 そしてべっとりと血糊の付いたフライパンを担ぐように肩に乗せると、怒気を込めて口を開きました。


 「……アンタら全員、俺が料理してやる」

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