2 マヤ

「ふふっ、覚えてるよ。綿帽子みたいなふわふわ頭の、ちびっ子」

「もう、ちびっ子じゃない。今は一五〇あるもの」

「あはは、ごめんごめん」


 わたしは頰を膨らませ、わざとむくれてみせる。

 マヤは相変わらず眉間に皺を寄せていたけれど、苦労して笑顔を作った。

 彼女は暖かい飲み物を手にして、ようやく一息付けたようだ。

 その表情に安堵したわたしは、ふとマヤとの邂逅に想いを巡らせた。




 マヤの存在を知ったのは、兵徒任務に就くずっと前。

 訓練校時代のスイムロールの試合だった。


 スイムロールとは、航宙要塞中心部の無重力区間に設置されたオーバル型ケージで行われる競技で、ケージ内を高速周回するドローンボールの奪取を競う。

 主に二チーム対戦形式で行われ、プレイヤーはドローンボールを先取するか、相手チームの身体に貼り付けたマーカーを全て脱落させるかにより勝敗が決まる。

 ケージの全周は対戦人数により五十メートルから二百メートルと様々。プレイヤーは攻撃用に専用のソフトスピアを持ち、脚に履いた重力フィンでケージ内を移動する推進力を得る。

 まるで水中を泳ぐような姿から「スイムロール」と名付けられ、競技の習熟によりヴァリオギアの姿勢制御を学ぶ兵徒必須の科目でもあった。


 だけど、無重力下では移動速度の加減が難しく、競合いで起こる姿勢変化もシビア。

 わたしはスイムロールが苦手で、いつもチームで一番早く敗退していた。


 雲の惑星の周回軌道上、わたし達「二番目の人類」の活動拠点であるクラウドスフィア航宙要塞は、直径およそ十二キロメートルに及ぶリング状の巨大構造物。

 広大なリング中央に建造された球状のドームが無重力区画になっていて、硝子に似た透過素材が囲う区画内は大気が存在することを除けば、宇宙空間そのもの。


 雲の惑星を背に、無重力の宙空を舞うマヤのスイムロールは本当に美しかった。

 長い手脚の長身に映えるコバルトブルーのスイムウェア。

 ヘッドギアから流れ出る青みがかった黒髪が、リボンのように跡を引く。

 まるで、図書クラスタの生物資料で見る旧世界の水棲生物「イルカ」のよう。

 打ち合うソフトスピアが鳴り、ドローンボールを追う殺伐としたケージの中、ひとり優雅に泳ぎ回ってライバル達のマーカーを次々と落としていく。

 何をやっても荒っぽいチームメイトのリトとは違う。

 わたしは独りケージ外のプレイヤー控え席で、マヤの姿を追うのが習慣になっていた。


「ヒドいなあニレ。他所の試合ばかり見てる」

「ふぁ、ふえ?」

「あら、リトったら私の妹にヤキモチかしら」


 背後からわたしの両頰をつねって引っ張るのは、試合を終えたばかりのリト。

 同じく声がするのは姉のミルだ。


「違うよミル。せっかく逆転してボク達のランクが上がったのに」

「ヒドいわリト。私だけじゃ飽き足らないのね」


 慌てるリト、ふふんと笑ってリトの真似をするミル。

 ミルとリトは同じ素体のfタイプで、二人は当時から「特別」なパートナー。

 リトは渋々わたしの両頰から指を離す。

 わたしは頰をさすりながら、後ろの二人を睨みつけた。


「もう………」


 マヤへの視線を邪魔されたわたしは、露骨に不機嫌を顔に出して見せる。

 だけど、二人はわたしの機嫌に一向に構う素ぶりはない。

 気ままで奔放なミル、勝気で男の子みたいなリト。

 対するわたしは自己主張が苦手。

 そんな二人にオモチャにされるのはいつものことで………


「だってニレ、全然応援してくれないんだよ? って人の話、聞いてる?」

「ニレも駄目よ、いつもぼんやりして。後ろを取られて気付かない子は、こうだっ」


 ミルは不満げなリトの言葉を無視。

 唐突に後ろからわたしの胸をわっしと掴んだ。


「ええっ、ミル姉っ、なにっ」

「あっ、ちょっと育ってる、この子」

「へえ、ボクも触っていい?」

「駄目よリト。いくらあなたが女の子でも、妹は私のモノなの」

「えーっ、ミルのケチ」

「えぇ………」


 わたしが二人に弄ばれていると、休憩に入ってタオルを手にするマヤと眼が合った。

 彼女は両の瞳を弓なりにしならせ、一瞬だけわたしに向かって微笑んだように見える。

 すると、マヤはチームメイトらしき三人のfタイプに囲まれた。

 そのうちの一人が、おずおずと彼女に飲み物を差し出している。


「ふうん、人気、あるんだ………」


 ソフトスピアが打ち鳴らす乾いた音とスイムロールに興じる仲間達の歓声。

 わたしの記憶に残る、華麗にケージを翔けめぐるマヤの姿。


 それまでの彼女は、ケージの外から遠目で見るだけの存在だった。

 もちろんわたしの秘めた想いは、誰も知らない。





***





 無人補給艇に航宙要塞に向かう帰還進路を設定し、到着するのは約三十五時間後。

 既に討伐ミッションは終わり、仲間達は〈彼ら〉の解体処理に追われている。

 わたしとマヤは当然ながら参加することができない。

 既に二機のヴァリオギアが繋がれた補給艇は避けられたらしく、わたし達の他にこの場所に訪れる仲間達は居なかった。


「眠れ、ないの?」


 わたしは左隣のシートに向き、囁くように声を掛ける。

 今はわたしもスキャンスーツを脱いで、マヤと同じペーパーガウンに着替えていた。

 管制室は室内灯を落とし、小さなスポット照明がわたし達を淡く照らすだけ。

 低く唸る空調の他には何も聞こえる音が無い。

 ブランケットを胸まで被った彼女は、右側のわたしに顔だけを向ける。


 その言葉は苦しげだ。


「少しだけ眠ったんだけどね。ナノマシンが効いてないと、こうも痛いものかと」


 マヤの顔の左側は応急用の止血フォームで埋められ、見るからに痛々しい。

 わたし達の頭の中に埋め込まれている〈ジェネクト・コア〉。実際は左眼球奥の第二脳神経に近く、恐らくマヤの左眼球損傷と同時に壊れてしまったのだろう。

 その影響か彼女の体内のナノマシンも正常に働かなくなっていた。

 わたしは自らのブランケットを跳ね除けると、マヤのシートの傍らに身を寄せる。


「そんなに、痛い?」

「我慢できなくもないけど、大人しくしていると辛い。お喋りをする方がマシかな。それに」

「それに?」

「私はとっくに死んでいるから。今頃、新しい私は培養槽から出た頃じゃないかな」

「そんなこと…………」


 マヤは暗く狭い管制室の天井に向き、寂しく零した。


「さっき目覚めたらガッカリした。まだ私は元の旧い私のままだって」


 胸の奥の何かが、きゅうっと締め付けられる感覚。

 わたしは返す言葉が見つからない。


「ああ、ごめん。暗くしちゃって。そんな顔しないで」


 重くなった空気を察したのか、マヤは自分自身に諭すように話を続ける。


「あり得ない話じゃない、一度死亡が認定された素体が生き残る。滅多に起こらないから皆はよくは知らないけどね。私だって遠い昔に一度だけ聞いた話」

「それ、生き残ってったら、どうなるの?」

「簡単なこと、旧い素体は処分」

「そんな、処分って……… 殺されるの?」


 わたしは思いもしなかった言葉に驚き、極端な仮定を投げかけてしまう。

 だけど、マヤは平然とその仮定に答えた。


「兵籍上は一度死んでいるのだから、殺されるのとは違うよ。新しい私は生きているしね」

「だって、マヤはまだここで、生きているのに」

「しょうがないよ、決まりだから。階級や権利は半分こにできない」

「怖くないの?」


 彼女はわたしの想像を超え、達観していた。


「薬を飲んで暖かいベッドで眠れば二度と目を覚ますことがない、それだけ。コクピットの冷えたジェルにまみれて終わりを待つよりずっといい。君には感謝してる」

「でもそれ、「死ぬ」ってことと同じじゃないの?」


 わたしは無意識にマヤのブランケットの下の右手を探す。

 上から被せるように握ると、彼女は少しの間だけ考えて口を開いた。


「昨日の自分と今日の自分、過去と続いた存在と確認する手立ては記憶と観測しかない」

「え、なに? よく分からない」


 まるで他人事のように嘯くマヤ。混乱するわたしを右の眼で静かに見つめる。

 すると、彼女は手首を裏返して、わたしの右手を握り返した。


「昨日眠った同じベッドで目覚めて、昨日一緒に過ごした家族に「おはよう」と挨拶を交わす。でもこれは、自分の記憶と周囲の反応から実感できること」


 マヤは口角を吊り上げ、無理やり笑う表情を作る。


「つまり、私達は「毎日死んでいる」ようなもの」


 ヒトは一度眠ると意識が途切れる。

 代わりの身体と記憶で「生」を繋ぐわたし達にとって、それは主体としての「死」。

 わたしが言葉の意味を理解するのに、時間はそう掛からなかった。


「そんなこと、考えたこと、ない」

「だと思うよ、知らないまま、兵徒の任を終える人も、居る………」


 マヤは苦痛に堪え切れなくなったのか、左のこめかみに左手の指を添える。

 右手に握られたわたしの手はそのままだ。


「だいじょうぶ?」

「少しばかり、お喋りが過ぎた、かな」

「あ……… ちょっと待ってて」


 ふと、わたしにある閃きが降って湧いた。

 足下のトレイに脱いで置いたスキャンスーツを摘み上げ、生地がたっぷりと吸っているジェルを固く絞って元のトレイの上に垂らす。

 ヴァリオギアのコクピットを満たすニューラルジェル——— それは軟性可変アロイとパイロットとのプラグレスの神経接続を可能にする媒介物質。

 搭乗時に着用するスキャンスーツには神経接続の状態監視を目的としたセンサーが編み込まれていて、ジェルが透過し易いよう薄いメッシュ状の素材で造られている。


「なに?」

「ニューラルジェル。姉のミルに教えて貰ったの」


 ペーパーガウンの下はショーツしか着けていない。

 わたしはトレイからジェルを手に取り、自らのガウンの前を開いて胸元に塗りつける。

 マヤが驚かなかったのは、わたしが何を始めるのか気が付いたからだろう。


「イヤ、かな?」

「ジェルは使ったことがない。ヴァリオギアのフィードバック効果を利用して、お互いの「体性感覚」を交換するって聞いたけど、眉唾だと思ってた」


 体性感覚とは、触覚、痛覚、温度覚など、主に皮膚に存在する受容細胞によって知覚される皮膚感覚と、皮膚と内臓の中間領域に機械的刺激によって起こる深部感覚などを指す。

 要するにわたしはこの時、ジェルによる痛覚の交換を期待していたのだ。


「すこしは薄まるんじゃないかと思って。痛いの」


 わたしはマヤのブランケットを腰まで下ろし、彼女のペーパーガウンをゆっくりと開く。

 薄明かりが照らすマヤの胸元にもニューラルジェルを塗りつけた。

 わたしは傷に触らないよう慎重に彼女に覆い被さって、ゆっくりと肌と肌を合わせる。

 体重をマヤに掛けられないので、つま先を床に残したままだ。


「でも、だったら君も痛いんじゃない?」

「構わない」

「いいの?」

「いいの」


 十分ほど経過した辺り、お互いの体温が上がり始めた。

 同時にわたしの左眼の奥に異物感、重い鈍痛が現れる。


「ほんとだ、少し痛みが退いた気がする。ナノマシン、起動したのかな?」

「わたし、重くない?」

「平気、君こそ」

「ううん、だいじょうぶ。このくらい」


 マヤの体温、心臓の音、息使い。そして、柔らかな肌。

 まるで彼女の肉体の全てが、わたしの中に溶け込んでいくかのよう。

 嬉しくなったわたしは、ついマヤの膨らみを弄んでしまう。


「ずるい、こんなに大きい。わたしの素体、もっと背も胸も育つはずなのに」

「私は邪魔としか思ったことないかな。パートナーのリゲルも興味ないみたいだし」

「ぜったい、ウソ」


 マヤの口から初めて耳にする異性の名前。

 わたしは薄く嫉妬を覚えて口を尖らせる。

 

「君はパートナーとはしたことはないの?」

「えっ、彼? シエロはミッション上のパートナーで「特別」じゃない、から………」

「ふふっ、胸の話、のつもりだったけど」

「あっ………」


 マヤは気持ちに余裕が生まれたのか、勘違いしたわたしを揶揄った。

 わたし達「二番目の人類」が言う「特別」とは、この場合は「相性」のことを指す。

 相手のカタチや体温、息使い、匂い、より深いところまで相手を知り理解し合うための確認行為。

 それは旧人類の概念で言う「セックス」とほぼ同じもの。

 ただ、子どもを作らないわたし達には一般的ではなく、その言葉は知識として知るのみだ。


 わたしの無意識下から湧き上がる欲求、それがある衝動に結び付く。

 それは同情とも憐憫とも違う、もっと能動的なもの。


「ねえ、していい?」


「私は、あまり動けないけど」

「わたしがするから」

「やり方って、知ってるの?」

「ヒドい。そっちもわたし、ちびっ子じゃない」


 そう言って、わたしはマヤの首筋を甘噛みする。

 漏れる吐息、彼女はわたしのショーツ下に指を這わせる。

 わたしを見つめる右の瞳に優しい光が帯びた。


「もっと、知りたくなったから」



「新しい私が………


 ——— 知ることはない。


 そうマヤが口にする前に、わたしは彼女の唇を塞いだ。





***





 無人補給艇はクラウドスフィア航宙要塞の第六層、宇宙港第十三格納庫に時間通り到着した。

 間も無く補給艇に乗り込んできた救護の仲間達がマヤをストレッチャーに乗せる。

 わたしは自分でヴァリオギアを整備ドックへと運び、経緯の報告書を上げなければならない。

 つまり、マヤとはここでお別れとなる。


 わたしは胸に込み上げる気持ちを必死で抑える。

 何故、目の前で生きているマヤが死を選ばなければならないのか。

 わたし達の社会は同一個人の併存を許容しない。

 併存を認めること即ち、わたし達の不死が偽りと公けに認めてしまうこと。

 そしてそれは「二番目の人類」の存在理由を揺るがしかねない。

 わたし達は死を恐れないからこそ、必要とされているからだ。


 結局、その冷たい現実に対する答えを、わたしは見つけることができなかった。


 マヤに見える右側に立って右の手を握り、彼女は両手で握り返す。

 続いて口元まで引き寄せ、わたしにそっと耳打ちした。


「おやすみ、ニレ」





 いつか新しいマヤと出会う日もあるかもしれない。

 だけど、わたしの記憶と心が繋がっているのは、一日半を共に過ごした彼女の方。


 おやすみなさい、マヤ。





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