きんもくせい

真田真実

第1話

お母さん、いつになったら外に出てもいい?

元気になったらね、だから、今はおやすみ。

お母さん…

お母さんは握った手を寝ている私の胸元へ戻すと振り向きもせず部屋を出て行った。

お母さん、お母さん…。


いつも同じ夢で朝を迎え、ぼんやりとお母さんのことを想う。

お母さんの言いつけを守ってずっとお部屋でおとなしく寝てるのにお母さんはちっとも会いに来てくれない。

薄暗い部屋からぼんやりと明るい外を眺めているうちにうとうとと眠りにいざなわれ、またお母さんの夢を見て不安な気持ちを募らせる…。

そんな毎日を過ごしていると不意に玄関先で聴き慣れない声がした。

水の中で聞くようなもごもごとした声。

玄関から部屋が離れているので何を話してるかはわからないが、私の心を波立たせるには十分なものであった。

お母さんかも!

私は布団から飛び起き、部屋を出ようとするがお母さんに部屋から出ないようにきつく言い渡されていることを思い出し声の主がここへ来てくれることを祈った。

玄関口から廊下、縁側を通りまっすぐにこの部屋を目指してくる声に私は胸が躍る。

お母さん!

私は布団に入って障子の外を薄目で窺う。

声の主は部屋の前で立ち止まり、もごもごと何か呟いている。

ここからでたい…。

声を出そうとするけど喉が詰まったようになりうまく出せない。

私がもどかしい思いでその影を見つめていたときだった。

ふいに障子が開け放たれ、外からひとり人が入ってきた。

逆光でよく見えないが髪が長くいい匂いがする。

女の人のようだ。

でも、お母さんじゃない…。

私はがっかりして布団に潜り込もうとしたが、女の人は布団の中にいる私をそっと抱き上げた。

「お待たせ、お母さんのところに行こうね。」

その人は私にそう告げると部屋の外へ私を連れ出そうとする。

お母さんに会える!

私は嬉しさのあまり目を糸のように細め、耳まで口を裂き鼠のように小さな歯を尖らせてにいっと笑った。


私は開け放たれた縁側へ女の人に抱えられたまま運び出される。

笑顔が眩い陽の光に晒された途端、私は胸が苦しくなった。

そうだ、お母さんが外に出ちゃダメだって…。

苦しさの中でふと傍らに立つ気配へ目をやると縁側では男の人がひとり、もごもごと口の中で何かを唱えながら指先を伸ばしたり曲げたりしていた。

今までもごもごとしか聞こえなかった言葉。

男の人を前にしてようやくそれが私のために向けられたものだと理解できた。

ただ、そのことに気づいた時にはほろほろと私は指先から崩れ始めていた。


「あなたのお母さんに頼まれてあなたの供養にきたの。お母さんが魂を込めて作ったあなたをこれ以上怖い存在にしたくないって。」

いい匂いがしたのは女の人じゃなくて庭の金木犀…大好きなお母さんが好きな花。

お母…さ、ん。

私は女の人の腕の中でさらさらと砂になってこぼれ落ちた。


女は人形の中に入っていた一房の髪を懐紙にくるむと手からこぼれ砂の山となった人形に手を合わせた。

どこからか風が強く吹き、砂となった人形は跡形もなく風に乗り消えた。

「戻れ。」

女は懐紙にくるんだ髪を男に渡すと小さな紙切れに戻った。

娘を亡くし、狂気に取り憑かれた母親が作った娘代わりの日本人形。

しかし、人形の髪が伸びたり表情が変わった途端、気味悪がって放置したまま家を出た母親、その母親を一途に想い続けとり残された娘の念…。


「一度ならず二度までも娘を…。」

調伏した祓い屋は吐き捨てるように呟くと屋敷を出た。

誰もいない庭では、先程と変わらず金木犀が小さな花を揺らし辺りに甘やかな香りを漂わせていた。





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きんもくせい 真田真実 @ms1055

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