霧の深い日

水野泡

霧の深い日

 それは、霧の深い日のことだった。

 僕と隣の家に住む達くんは学校に向かう途中だった。


 僕たちはいつも通り家を出て、いつも通り通学路を通って学校へ向かっていた。

 ただ、今日は前が見えないくらいに霧が深かった。

 数メートル先はもう霧の中で、道路も、家も見えなかった。

 でも、霧が出るのはここら辺じゃ良くあることだったから、僕たちはいつもより前が見えないねって言いながら歩いていた。



 しばらく歩いて行くと、違和感を感じるようになった。

 ――おかしい。普通ならもう学校についているはず。

 でも前に学校らしき建物も見えることはなく、近くにあるはずの他の友達の家も、見えなかった。

 深い、深い霧の中。僕と達くんだけがいた。

 違和感に気付いた僕は達くんに話しかけようとした。話しかけようとして、達くんの方を見ると、達くんは口に人差し指を当てて静かにするようジェスチャーをして来た。

「なぁ、なんか聞こえない?」

 達くんの言葉に従い、僕は耳をそばだてる。


――ずる。ィイイン

――ずる。ィイン


 小さく、何かを引きずる音がした。

 それは僕たちの後ろの方から聞こえてきた。


――ずる。ィイイン

――ずる。ィイン


 何か、重いものを引きずる音だった。鉄のような金属のかたまりを地面にこする――そんな音。

「ねぇ……」

 僕は達くんに声をかけた。達くんもこっちを向いて頷く。


――何かが、後ろにいる。


 どうするか、迷った。振り返って確認するのも怖かった。でも、振り返らなかったらもっと怖いことが起きるんじゃないかと思って、どうすれば良いか分からなくなった。



 悩んでいくうちにあの音が近づいてくる。

 どんどん、どんどん。

 僕たちのいる方へ。


 僕たちは決心して後ろを振り返った。見えない不安より、見える恐怖の方がまだましだと思ったから。





 ――後ろを振り向くと、遠くに人影があった。





 遠くで良く分からない。でも、なにか棒のようなものを持っていることは分かった。

 それがあの金属をこするような音を立てていた。





「――いるかい?いらないかい?」





 人影はゆらゆらと体を揺らしながら、こっちにやって来ながら、そう言った。


 いる?いらない?何を?


 急な質問に僕は意味が分からなかった。でも、このまま人影がこっちに来るのは、いけないことなんじゃないかと思った。

「――いるかい?いらなかい?」

 しわくちゃな、おじいちゃんみたいな声で、人影は聞いてくる。嫌だ。こっちに来ないで。嫌な予感がするからか僕の心臓はドクドクと速く、脈を打ち始めた。


 近づいてくる。人影の輪郭がだんだんとはっきりしてくる。


 人影は枯れ木の細い枝のように、ひょろりとした老人だった。

 そして手には長い、金属の平たい棒のようなものを持ってる。重たいからか、足と、棒のようなものを引きずりながらこっちに来る。

 僕はその手に持つ何かを、見たことがあった。田舎のおじいちゃんが山に出かけるとき持っていたものと良く似ていた。

 でも、それは、僕のおじいちゃんが持つものよりずっと大きくて、何か赤いものがついていた。


 知ってる。鉈って言うんだよね。それ。





「――いるいかい?いらないかい?」





 もう一度聞かれたとき、僕たちは一目散で走り出した。


 だって、あんなの絶対普通じゃない。普通、大きい鉈をもって歩く人なんている?しかもその鉈、真っ赤に染まってるんだよ?

 絶対ヤバイって、思った。達くんも同じ気持ちだったのか、同時に走り出していた。


 僕たちは走った。ひたすら、走った。

 走って、走って、走って。誰か助けを求めて。

 学校へ――学校じゃなくてもどこかのお家へ、誰か大人の人に助けを求めて。


 でも、どこまで走っても学校には着かない。どこにもお家が見当たらない。

周りを見ても、白いだけなんだ。自分の歩く位置さえ、道路か分からない。人の声も聞こえない。達くんと僕の走る足音と荒くなっていく呼吸の音だけが聞こえてくる。



いや、音はまだあった。


――ずずっ。ィイイン

――いるかい?いらないかい?


 後ろの人影が追いかけてくる。あの金属の擦れる音としわがれた声が、僕たちの耳に届く。


 だんだんと、近づくのを感じながら。

 少しずつ、追いついてくるのを感じながら。


「いや、いやだ!来ないで!」

 僕は怖くて声をあげた。後ろで笑い声が上がった。


――いるかい?いらないかい?

――いるのなら、追いかけて貰おうか。いらないのなら今ここで貰おうか。





 お前たちの命を貰おうか。





「いる!いるから!来ないで!」

「誰か!誰か助けて!」

 僕たちは声をあげて助けを求めた。でも、後ろのやつ以外誰もいない。誰も見えない。


 深い深い霧の中、真っ白の闇の中を、ただ走る。

 後ろの笑い声が、近づくのを恐れながら。

 鉈を引きずる音が、大きくなるのを恐れながら。


 走って、走って、走って――。

 肺が焼けて、喉から血が出そうになるような痛みをこらえながら、走った。

 足がもつれて今にもこけてしまいそうになりながらも、走った。


 それでも後ろから聞こえる音は近づいてくる。


 もう、体力の限界だった。足が重い。息が苦しい。休みたい。でも休めない。


「あ、あれ!」


 そんなとき、達くんが大きな声をあげて指を指した。そこには見たことのあるものが見える。


 学校の正門だ!先生に会えばなんとかなるかも!


 少しだけ持てた希望に、僕たちは全力を出して学校の門を潜り抜けた。

 そのまま玄関を目指して、走る。


 もうすぐ助かるんだ!


 玄関前の数段ある階段を上って、玄関の扉へ手をかけた。





ガチャ





 扉は、開かなかった。鍵がかかっていた。いつもならもう開いているはずなのに――。


――追い付くぞ。追い付くぞ。

――追い付いたら、お前たちの命を貰おうか。おいしいおいしい命を貰おうか。


 すぐ近くで、声がした。


「誰か、誰か!開けて!ここを開けて!」

「お願い!誰か!助けて!」


ドンドンドン

ドンドンドン


 扉を叩く。引っ張る。それでも扉はびくともしない。

 鍵のかかった扉があるだけだ。


「いやだ!いやだ!お願い!ここを開けて!」

 必死になって僕らは扉を叩く。後ろから聞こえる音に怯えながら。


 もう、すぐ、近くで、聞こえる、金属を引きずる音を聞きながら――。









「――どうしたんだ?君たち」



 ふと、聞いたことのある声がして後ろを振り返った。僕のクラスの担任の先生が立っていた。

「先生!」

「いくつかの学年でインフルエンザが流行っているから、今日は休校にするってお家に連絡したら、もう出ていったと聞いて来てみたら――何があったんだい?」

「先生!助けて!ふし、不審者が!」

「何?不審者!?」

 先生は辺りを見回したけど、誰もいなかったようだ。「大丈夫、もういないよ」と言って、学校の中にいれてくれた。


 その後、先生にさっきまであったことを話した。先生は僕たちの話を聞いた後、警察に電話をしてくれた。警察が来て学校周辺をパトロールしてくれたけど、怪しい人物はいなかった。


 僕たちは先生の連絡から急いで飛んできた両親に引き取られ、家へと帰った。無事に帰ることが出来てホッとしたのか、僕はすぐに眠ってしまった。


 しばらくの間、登下校の時間に、地域の人が歩道に出て見回りをしてくれるようになった。

 霧が出た日、僕らはビクビクしながら登下校したけど、あの日以降、追いかけられることはなかった。



 ――僕たちは夢でも見ていたんだろうか。やけに長い道を走っていたし、もしかすると、白昼夢のようなものを見ていたのかもしれない。




 そう思い始めていたとき、別のクラスの人が同じように追いかけられる事件が起きた。

 それから、度々同じ目にあう子が出てきた。


 夢ではなかった。それが分かった途端、僕たちはまた怖くなった。


 同じ目にあった子達に話を聞いたら、その日は霧が深くて周りが見えなかったと、口を揃えてみんな言った。







 ――だからね、この話を聞いている君。

 君もね、気を付けてね。

 霧の深い日に、外に出るときは――気を付けてね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霧の深い日 水野泡 @mizutoawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ