スーパーアサクラギャラクシー③

「えーっと……どしたの? 急に呼び出したりして、さ」

「…………」


 私が疑問を投げかけても、目の前の男子はもじもじして俯くだけで、答えてくれない。


 私たちは今、体育館裏で向かい合っている。


 二人は男女で、一方はもじもじと落ち着かない様子で、もう一方は突然呼び出されたのでわけもわからずとりあえず来てみたという風情。


 ……あまりにも、ベタすぎる状況。


 私だって今まで伊達に少女漫画やラブコメ漫画を読んできたわけではない。ここまで露骨な状況に身を置かれれば、さすがに察しがつく。


 つまり、私は今から告白される。交際を申し入れられる。


 この男子とはまだ、昨日ラインを交換したばかりだった。


 昨日、私が放課後になんとなく席でぼんやりしていたら、「ねぇ椎名さん、ライン交換しない?」と軽い調子で声をかけられ、別段断る理由が見つからなかった私は「ああ、うん」と返事をして、不用心にもその男子に自分のスマホを受け渡した。あとになってその不用心に気付いて、なにか足跡が付いていないかスマホのデータをいろいろ探ってみたけれど、特に足跡は見つからなかったので結果オーライ。


 そしてその夜、風呂から上がると早速その男子からメッセージが届いていて、そこから私たちは軽い雑談のようなやりとりをした。私は正直、途中から死ぬほどつまらなくなってきて危うく眠りそうになったことが何度かあったけど、我慢して耐えた。この男子とはこれまで全くと言っていいほど話したことがなかったから、関わり合いを持ち始めた初日から突然話を打ち切るようなことをしてしまうと、あらぬ悪評をたてられてしまうかもしれないと私は考えたからだった。


 そして今日の昼休み、『今日の放課後、ホームルームが終わったら体育館裏に来て』というメッセージが届いた。そのとき彼は教室内にいなかった。昼休みが終わると彼は平然と教室に戻ってきて、私には一言たりとも言葉をかけなかった。


 私はこの時点である程度今後の展開を察していたが、確証はなかった。なにせ、この私だ。男子から告白されたことなんて幼稚園児のころに一回だけしかない、この私だ。まさかまさか、そんなことあるはずないだろうと、そのときは頭を振ってその仮説を脳内から振り払っていたのだけれど。


 そのまさかが、本当にありえたとは。


「あの、さすがにそろそろなにか言ってくれないと、困るんだけど……」


 私の目の前の彼はもうかれこれ三分間くらい、こうして無言で俯いてもじもじしている。


 この男にはどこまで勇気がないんだろう。


 どうせなら早く言えばいいのに。キミの言うだろう言葉はもう手に取るようにわかるから。キミがその言葉を言ったところで私は特に驚いたりしないから。


 ほらほら、早く言ってしまえ。


「俺、さ……」


 そこで彼は顔を上げて、その視線を真っすぐに私に向けて、私を見据える。


 私は彼のその切迫したような、覚悟を決めたような表情にはっとさせられる。気圧される。


「椎名さんのことが、好き、だから、付き合ってくれ、ませんか」


 ぐ、らり。と。


 こうして実際に言葉として声として言われてしまうと、予想できていたのにも関わらず意外にも心が揺れ動く。ぐらぐらぐわんぐわんと、揺さぶられる。


「えー、そうなんだ。えっと、そのー……」


 そして、予想していたにも関わらず自分が答えを用意していなかったことに今更ながら気づく。馬鹿か私。


 どーしよー……。


「あーっと、えー、そのー、ねー……」


 彼の、期待と恐怖が入り混じった、神の宣託を待つような表情が目に映り、私はつい苦笑いしてしまう。いや今は絶対に苦笑いするべき状況じゃない。なんなら絶対に苦笑いしてはいけないまである。


 さて、どうしようか……。


「…………………………………………………一旦保留で」

「え?」

「一旦保留、ってことでもいいかな。一回ちゃんと考えたいし、絶対返事はするから、ね?」

「え、まあ、いいけど……」

「待たせるようなことしてごめんね? でもちゃんと考えてから答えをだしたいからさ、うん、そういうことで」

「……そう、か。ああ、わかった」

「じゃ、そういうことだから、今日はここで」


 私は言って、彼に背を向けて、ぎこちなく歩き始める。角を曲がって彼からは見えなくなったところで、走り始める。全力でとりあえず自分の教室まで走る。


 うおー、感情が渋滞してる。血液の流れが感覚として伝わってくるように、得体の知れない感情が身体中を駆け巡っているのがわかる。


 その感情の正体はつゆほどもわからない。でも、その感情が決して快いものでないことは確かだった。


 うあー、先延ばしは一番やってはいけないことなのに。夏休みの宿題は最初にやっつけておくのが最善策なのに。


 あー、どうしよう。


 特大級の悩みの種が、今日私の中に植えられた。



「ね、ねぇ浅倉。今日は、私と一緒に食べない……?」


 既に一人の女子の席を三人で取り囲んで、にこやかに微笑ましく食事を楽しんでいた浅倉に声をかける。すると、浅倉が振り返るのと同時に、食事を共にしていた浅倉の取り巻きたちも、会話を中断して一斉にこちらを向いた。


 私は目を逸らす。


「……ん。いいよ」


 浅倉は無表情で、不服そうでも嬉しそうでもなく言ってから、立ち上がった。


「どっか場所移動する?」

「あー……うん」

「そっか。じゃ、そういうことだから」


 と言って、机の上の弁当を閉じてから、浅倉は友達に手を振って私と並んで歩き出す。教室を出ると、まだ昼休みが始まったばかりだからなのか、廊下は教室からの若干くぐもった騒ぎ声が聞こえてくるのみで、静かだった。


「……そこの階段でもいい?」

「んー、いいよ」


 すると浅倉は突然駆け足になって階段まで走って、二段とばしで階段を駆け上がり、一番上の段に腰かけた。


「しーな、おっそーい」


 にひひ、といたずらっぽく笑って階段の上から私を見下ろす浅倉。


 やっぱり今日も、浅倉のテンションはおかしい。


 相談する相手を間違えてるかな……今なら後戻りできなくもないけど……。


「ほら、早く来なよ」


 とんとん、と浅倉は自分の隣を軽く叩く。


 私も二段とばしで階段を昇って、浅倉の隣に腰を下ろした。


 一度閉じた弁当をまた開きつつ、浅倉が言う。


「まさかしーなからのご指名が入るとはね。どういう風の吹き回しなの? もしかして今日突発的に私のこと大好きになっちゃった?」

「そんなんじゃないから……。その、今日は、相談したいことがあるというか……」

「お、相談事? ということつまり、しーなは私のこと超信頼してるってことだね。それはそれでものすごく嬉しいな。思春期の息子から悩みを打ち明けられた父親くらいにめちゃめちゃ嬉しいよ」


 そのたとえはつまり私のことを我が子のように年下に見ているということかと少しムッとしたけど、まあいい。浅倉のこういうセリフにいちいち取り合っていたら収拾がつかなくなるということを最近学んだ。


「で、相談ってなに? 絶対にみんなには秘密にしてあげるからさ、ほら、言ってみ?」

「その、恋愛のこと、なんだけど……」

「へえ? 恋愛?」


 にやりと嫌な笑みを浮かべて、私に目を向ける浅倉。この目は人をからかうときの目だ。警戒しなければ。


「恋愛の話なんて、ちょっと見ない間にしーなも成長したんだね。いつの間にしーなもそういう年ごろになってきたかー、あのいたいけな純情乙女だったしーながねえ」


 私とはまだ約半年の付き合いのくせに、何を言っているんだろう。


「ちょっと、真面目に聞いてよ」

「あはは、ちょっと冗談言ってみただけじゃん。話はちゃんと聞くって」


 いくらある程度気心の知れた友達とはいえ、この飄々とした人間に恋愛の相談なんて、ある種センシティブな相談なんてするべきではなかったかもしれないと、今更ながらに考える。


 でも、私だって何の考えもなしに相談相手として浅倉を指名したわけではない。この相談をするには浅倉が一番適役だろうと判断した理由が、ちゃんとある。


「その、浅倉はさ、男子から告白されたこと、あるでしょ?」

「ん。まぁあるけど。なにその少し断定的な言い方は」


 やはり、私の見立て通りだった。浅倉は私の見立て通り、経験豊富だった。


 浅倉は、お世辞でもなんでもなく美人である。そこに立っているだけで、芍薬に見えるわけではないけど注目を集めるし、街を歩いていれば、百合の花に見えるわけではないけどそれなりに視線を集める。


 だからつまり、浅倉はモテる。


 そしてそれゆえに、異性から告白された回数も片手では収まらないだろうと私は考え、こうして告白されることについての有識者に声をかけた。


「じゃあさ、告白されたとき、どうやって断った?」

「ん? なんで私が告白を断った前提なのかな?」

「え……」


 別になんてことはない、それが当然挟まれるべき疑問だと言わんばかりに浅倉はそう言った。


「もしかしてしーなは、私に彼氏がいない前提で話してる? 私が男子からの告白を断らなきゃいけない理由なんてどこにもにないし、私に彼氏がいない証拠もどこにもないと思うけど」

「え、いや、でもだって……」

「でもだって、なに?」


 既に三分の二以上が食い散らかされている弁当から顔を上げて、またにやりと笑う浅倉。


 いや、まさかそんなこと……。それこそまさかまさかだ。


「浅倉が仲良くしてる男子とか、特にいないし……」

「別のクラスとか、はたまた別の学校なんてこともあるよね。私なんて、隣の県の人から告白された経験だってあるよ」

「は、はあ? でもいっつも暇そうにしてるし、私と一緒に帰ったりしてるじゃん」

「私の彼氏が社会人とかだったら、夜しか会えないし、そうなると当然しーなと一緒に帰る暇もできるよね。私は実際、それくらい年上の人から告白されたこともあるよ」

「な、なに、それは。え、ホントに彼氏いるの……?」


 急に浅倉のことが別世界の住人のように見えてきて、心理的距離が一気に遠ざかる。一人取り残されたような気分になって、浅倉の襟首をつかんで揺さぶりたくなる。浅倉の手首をつかんで無理やりにでもこちら側に引き戻したくなる。


「…………あは。別に私は彼氏がいるなんて一言も言ってないじゃん。私が誰かとお付き合いしたことなんて人生で一度もないよ。捨てられた子猫みたいな顔しちゃって、ホント、しーなはかわいいね」


 言って、浅倉は愉快そうな笑みで私の頭を撫で始める。私はすぐにその手を振り払う。


「やめてよ嘘つき」

「あはは、別に嘘は言ってないんだって。ちょっといじわるしてみたくなっただけなんだよ。ごめんて」


 振り払われた手で浅倉は最後の一口を食べ、そして弁当箱を閉じた。私もちょうど食べ終わって、弁当を閉じる。


 そこで、階段を降りていく女子生徒が私たちのそばを歩いて行った。その女子は一瞬だけ、神妙そうな顔で私たちを見た。いや、その女子生徒は、私たちのことを妙に思う一方で、その目の奥には悲し気な憧憬が潜んでいるような、なんだか不思議な表情をしていた。だけどすぐに私たちから顔を逸らして、階段を降りて行ってしまった。


 色々なことを達観したような、しかしどこか幼さを感じさせるような顔つきの人だった。三年生だろうか。


「で、脱線した話を戻すけど、なに、しーなは告白の断り方が知りたいわけ?」

「まあ、端的に言えばそう」


 ちゃんと考えたいとか言っておきながら断る前提なのはあの男子に申し訳ないけど、仕方がない。それが私の率直な気持ちなのだから。私はあの男子のことが好きではないし、好きでなくても付き合うことはできない。


 でもあの男子はクラスメイトだから、もしもあの告白のことが噂として広まった場合、私の断り方いかんによってはその噂と同時に私の悪評が広まってしまう。クラスメイトたちに一歩引かれてしまう可能性がある。


 こう考えると私はなんと面倒なことに巻き込まれてしまったのだろうと思うけど、世の美男美女たちは日夜こんな面倒ごとに巻き込まれているわけだから、容姿が優れていることそれすなわち幸福だとは限らないかもしれない。


「じゃあ、しーなは誰かに告白されたってこと?」

「まあ、そうなるよね」

「へぇー、ついにしーなに告白してくる人が現れたか。私以外にもしーなの魅力に気が付く人間が、ついに現れたんだね」

「なにその大げさな言い方……」


 たぶん男子から見た私の魅力と浅倉から見た私の魅力は違うんじゃないかな。


 男子から見た私の魅力……。


 少しぶるっときた。この感覚に慣れるには相当時間がかかりそうだった。


「それで、しーなはその人のこと好きなの?」

「好きじゃないからこそ断り方を聞いているわけで」

「好きじゃないんだったら話は簡単だよ。『ごめんなさい付き合えませんさようなら』って言えばいい。これでだいたいの人は一撃で決まるね」


 決まるとは、その一言でだいたいの相手をノックアウトできるという意味か。


「そ、そんなんでいいの?」

「そんなんでいいんだよ。そもそも深く考える必要なんかないんだし」

「でも、なんかそれじゃかわいそうじゃない?」

「ほー? かわいそうとな? 好きでもない相手に、かわいそうとな?」


 またにやりと、無知な馬鹿を上から見下ろすような嘲笑めいた笑みを浮かべる浅倉。


「普通、好きでもない男に対してかわいそうもなにもないけどね。しーなは優しいのか、それとも……」

「それとも?」

「もしかして、告白されたことでその人のことがちょっと好きになっちゃったんじゃない?」

「は、はあ!?」


 私があの男子のことが好き。私を体育館裏に呼び出しておいて、ずっとなにも言わずにもじもじした挙句に完璧に予想通りの言葉を並べ立てたあの男子が好き。


 そんなわけあるか。


「断り方を工夫してできるだけ傷つけないようにしようとするのは、そういう気持ちが少なからずあるってことなんじゃないかな。てゆーか、告白されただけで好きになっちゃうなんて、しーなも案外軽い女なんだね。尻軽だ尻軽」

「しっ……! 尻軽じゃないから……。勝手に決めつけないでよ」


 私はまだ処女だ。


「あはは。じゃあしーなはとっても優しい女の子ってことにしておこうか」

「それもなんかちょっと違うけど……」

「注文が多いなぁ」


 浅倉に変な風には思われたくないのだ。


「まあでも、相手を傷つけずに告白を断る方法なんてないよ。どんなやり方でも、自分の好意を蹴られれば傷つくものだよ」

「それはわかるけど、でも、大丈夫かな。結構本気っぽかったし……」

「大丈夫だよ。なんか変な感じになったら、私がその男子を宇宙の彼方にかっ飛ばしてあげよう」


 日曜朝のテレビに登場するカラフルな五人組みたいなことを言う浅倉だった。


「それは頼もしいね。あの男子ひ弱そうだったしなぁ」

「それじゃあその男子の全身の細胞をぐちゃぐちゃにしてあげよう」

「そこまではしなくていいけど……」


 兎にも角にも、後ろ盾があるのは安心できる。できるだけあの男子のダメージが少ないように配慮するけど、いかんせん男子高校生なんて何を考えているのか全くわからない生き物だ。脳内が真っピンクだなんて説もある。告白を断った瞬間襲ってきたりしても不思議じゃない。


「じゃあ、明日、断る。うん、絶対明日やる」


 浅倉の前でそう宣言して、私たちは立ち上がって教室に戻った。


 教室に入った瞬間、昨日告白してきた男子と目が合った。


 私は目を逸らした。


 

「待たせてごめん。それで、話ってなに?」


 小走りで体育館裏にやってきた男子が、息を整えながら言う。


 何の話かなんて、わかり切っているくせに。


「……告白の返事をしようと思いまして」


 少し私の声が震えてしまった。好意を伝えるにしても蹴るにしても、自分の気持ちを正直に伝えるのは緊張する。


「あ、ああ。うん……」


 目の前の男子が、告白してきたときと同じように、緊張した面持ちで俯く。


「えーっと、その、ね……返事なんだけども……」


 今回は告白を受けたときと違って、ちゃんと言葉を用意してきた。だから、想定であればここから淀みなくすらすらと言葉を並べる予定だったのだけど、本番になった途端に躊躇してしまう。男子からの期待を前にしてしまうと、その期待を裏切ることに躊躇してしまう。


 でも、私は言わなければならない。ここで偽りの気持ちを言って後から裏切るほうが、この男子はよっぽど傷つくだろうから。


「あなたと付き合うことは、できない。私はあなたのことが好きじゃないから、その、ごめんなさい」


 深く頭を下げて、それから顔を上げると、男子は驚いたような表情で固まっていた。それからやがて、清々しい表情へと変わっていった。


「……ああ、わかった。ありがとう、誠実に素直な気持ちを言ってくれて」


 そして笑顔で、そう言った。


 あれ、なんかこの人めっちゃ良い人そうだし、やっぱり付き合えばよかったかもしれないとか考えそうになってしまった私は本物のクズなんだろう。


 頭をふるふると振ってその後悔を振り払っていると、その男子が清々しい表情のままでおもむろに言った。


「椎名さんは、浅倉さんのことが好きなんだろう? だから、俺の告白を受け入れるわけにはいかないんだろう?」

「は?」


 前言撤回。この男子は確実に良い人の部類に属するような男ではない。


「え……あの、一応聞くけど、なんでそう思ったの?」

「浅倉さんと話してるときの椎名さんは、なんていうか、人生の絶頂ってくらいに幸せそうに見えるからさ。明らかに他の同級生と浅倉さんとじゃ態度が違うし、そうなのかなって」

「いや、なにそれ……ただのあんたの思い込みでしょ……全然違うから」

「あれ、そうかな。だったらごめん」


 男子は後頭部を掻いて、無理に作ったような笑顔を浮かべて謝った。


「それじゃあ、もう行くわ。あー、あと一応、告白のことはみんなには秘密にしといてもらえると助かる」

「わかった。じゃあね」

「じゃあ、また」


 『また』の部分を少し強調して言われたような気がしたけど、気にしない。


 また小走りで男子が去って行って、私は雑草の生い茂った湿った空気が漂う体育館裏に取り残される。


 ここは、足元だけ見れば、浅倉が登場するときの夢の状況に似てるんだよなぁと意味なく考えていると、本当に目の前に浅倉が現れた。


 ……夢か?


 浅倉はむふふーと嫌な笑みを浮かべて、私の頬を指先で小突いてきた。


「見てたぁよー」

「……なんでここにいるの」


 頬を潰されながら、嫌悪感全開で答える。人のプライベートを覗き見たことをそんな満足気に報告するな。


「あの男子がしーなに告白してたわけねー。へえ。みんなに言いふらしちゃおっかな」

「やめなよ」

「あはは、冗談だって。しーなもいい加減、私の冗談に慣れなねー」


 ぷにぷにと私の頬を押しながら言う浅倉。さすがにうざったくなってきたので、その浅倉の手首をつかんで離した。


「まあでも、あの男子なんかよりは私のほうがしーなを好きである自信はあるかな」


 今さっき告白の現場を見たというのに、簡単に好きとか言う浅倉。


 つまり、その好きは……。


「その好きは、どういう意味?」

「ん? じゃあ逆に、どういう意味だと思う?」


 浅倉はつくづく、性格の悪い人だと思う。出会った当初はこんな感じじゃなかったはずなんだけどな。


「それは、まあ、友達的な意味、かな?」


 すると、浅倉は一瞬困ったような表情になってから、また微笑に戻って、言った。


「うん、当たり」


 その浅倉の笑顔がなぜか、さっきの男子の清々しい笑顔と重なった。


 なんでだろう。


 そんな、こと――


「じゃ、一緒に教室戻ろっか」

「……うん」


 歩き出して、さっきの男子が走り去っていったのと同じ角を曲がってけど、その男子の姿はなかった。体育館の脇を通って一度校庭に出て、それから下駄箱へと入る。


 屋内シューズに履き替えたところで、浅倉が口を開いた。


「でも、告白してきたのがまともそうな人で良かったよ。とんでもない暴漢が来たらどうしようかと、私はちょっと身構えてたんだけど」

「まあ、ね。でも、男子高校生はみんな性欲お化けだから、全員暴漢みたいなとこあるけど」

「あはは、そうだね。でも、私もあの男子と話したことあるけどさ、実際なかなかお目にかかれないレベルで性格良かったよ。勢いで付き合っちゃえば良かったのに」

「……好きでもない人と付き合うとか、そんな不誠実なことはできない」

「おー、しーなはピュアなんだね」

「え、共通認識じゃないの?」

「あはは、相思相愛で付き合ってる人たちのほうが珍しいんじゃないかな」

「え、な、なんで好きでもないのに付き合うの?」

「んー、身体目当てなんじゃない?」

「えぇ……」


 世の中の闇を吹き込まれた。これから一生、告白を受けたときに、実はその好意は嘘で、私の身体を好き放題したいだけなのではと勘繰らなければならなくなった。


 一生ピュアでいたかったのに。


「知りたくなかった……」

「いやーでも、自分の身を守るために知っておいたほうが良いことではあるよ」

「そうかもしれないけどさー……」


 言ってる間に教室に到着して、私たちはそれぞれの席からそれぞれの鞄を背負って、教室を出て、一度来た道を辿る。


「でも安心して。もしもそういう、しーなの身体だけを目当てとしているようなクソ男が現れたら、私が守ってあげるから。私が一生、しーなのそばで守ってあげるよ」

「一生?」

「そうだよ、一生」


 それは、どういう風に受け取ればいいのだろう。


 一生そばにいる。


 そんなの、まるで……。


「プロポーズしてるんじゃないよ。どしたのそんなに顔赤くしちゃって」

「はっ!? い、いや、赤くなってないから」


 咄嗟に両手を両頬にあてて、温度を確かめる。


 ……少し熱があった。


「しーなは、私が一生そばにいたら嫌?」

「嫌じゃない、というかそちらを希望、だけど……」

「おー? 嬉しいこと言ってくれるね」


 そりゃあ、浅倉と別れなければならないときが死ぬまで来ないのならば、そちらのほうが良い。浅倉に一生そばにいてほしい。


 ……うわ、なんだこれ。


 浅倉に一生そばいいてほしいなんて。


 それじゃまるで……。


「でも、人生に不測の事態はつきものだからなぁ。もしかしたら、どうしても一緒にいられなくなる状況になるかもしれない」

「そっ、そんなの、私たちなら乗り越えられるよ」

「あっはは、今日のしーなはやたらとデレデレだね。ホント、どういう風の吹き回し?」


 デレデレしてるんじゃない。いや、デレデレしてるのか? もう自分が何をしてるのかわからなくなってきた。自分がなにをするつもりなのかもわからない。


 私は浅倉を、どうしたいんだ?


「あーいや、違うんだよ。ほら、結構前にさ、浅倉が友達とは恥ずかしがらずに気持ちを伝えたほうが良いーみたいなこと言ってたじゃない? だから、浅倉は、その……大事な友達だから、それを実践してるんだよ」

「へえ。友達だから、ね」


 ふっと浅倉は軽く笑った。それは呆れや諦めが入り混じったような、そういう乾いた笑いだった。


「友達としてなら、しーなは私のことが好きなんだ? 好きだし、一生一緒にいたいと思えるんだ?」

「え、そ、そうだよ」

「ふーん。私もしーなのこと好きだよ」

「知ってる」

「生意気な答えだなぁ」


 言って、浅倉は私の頭を撫で始める。私はすぐにその手を振り払う。


「子ども扱いしないでよ。私のほうが誕生日先なんだから」

「子供扱いしてるんじゃないんだよ。しーながかわいいからさ、つい、ね」


 えへへーと浅倉は笑いながら、学校の校門を通過する。

 

 それから歩きながら、浅倉といつも通りに数時間後には忘れてしまいそうな他愛ない話題で盛り上がる。


 ……私はやっぱり、この関係から進みたくない。次の段階へと進まずに、ここで立ち止まっていたい。急に輝き始めて進化しそうになったら、Bボタンを押してキャンセルしたい。


 でも、もしかしたら浅倉は、私とは違う考えかもしれない。もしかしたら浅倉は、次へと進みたがっているかもしれない。


 でも、もしそうだとしても、私は浅倉の気持ちに応えることはできない。やっぱりまだ、進展するのは怖いし、今の関係にこの上なく魅力を感じているから。


 人からの好意を受け取るのは、恐怖を伴う。あの男子からのものであれば当然だけど、それが浅倉からのものであっても、やはり怖い。自分の気持ちに嘘を吐くことはできないし、それで浅倉との関係がこじれることを考えると、本当に怖い。だから進みたくない。


 私のわがままに浅倉を付き合わせる形になってしまうのは申し訳ないけど、仕方がない。もし浅倉が本気で不満をぶつけてくるようなことがあれば、そのときはそのときに、真剣に考える。


 だから、少なくとも今だけは、このままでいいじゃないか。


 もはや、私にとっての浅倉は宇宙人ではない。この約半年間で浅倉のことについて数多くのことを知ったから、もう浅倉のことを宇宙人と表現することはできなくなった。


 そしてたぶん、もう友達と表現することもできないかもしれない。


 また、あの男子の言うような、恋愛対象でもない。


 私にとっての浅倉は、宇宙人でも友達でも恋愛対象でもない。


 私にとっての浅倉は、唯一無二の親友だ。

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友達でも恋人でもないのなら。 ニシマ アキト @hinadori11

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