第51話 ディアルム・エルガーの回想

 白髪の髪を揺らして、ディアは席を立った。父に勧められるままに受験して、なぜか合格したモナルク学院の入学式。合格が決まってから密かに抱いていた淡い期待は、その時点で裏切られることになった。


 ディアは向けられる嫌悪の視線に耐え切れず、勝手に式場を抜け出す。教師すら、追いかけて来なかった。敷地内を走り抜けたディアは、校舎の裏にある日陰に座り込む。


 小さくため息を吐いて、壁に寄り掛かり、空を見上げた。真っ青な空。綿をちぎったみたいな雲。そんな穏やかな視界の中に突如、黒髪の少年が入り込んできた。ディアは驚きのあまり声も出せずに固まる。


「君、だれ?」


 少年はディアの顔を横から覗き込んで、首を傾げた。ディアは何とか呼吸を取り戻して、尻を地面につけたまま、ずるずると少年から距離を取る。黒い髪に白が多い灰色の目。透けるように白い肌とディアよりも少し高い身長。


「聞こえてる?」


 少年は声変わりしかけの濁った声で繰り返した。ディアが何度も頷くと、少年は肩を震わせて笑う。


「僕はチーニ。チーニ・アンブラ。何もしないから、そんなに怖がらないでよ」


 チーニはそう言って先程までディアが座っていた場所に腰を下ろす。柔らかな笑みを残して、チーニはディアから視線を空に移した。ディアはようやく体の力を抜いて、チーニの隣に座る。


「俺は、ディアルム」

「ディアルム」


 チーニはディアの名前を繰り返した。


「じゃあ、ディア、だね」


 空を見上げていたチーニがディアの方を向いて、その灰色の瞳の真ん中にディアの白い髪が映る。家族以外に愛称で呼ばれたのは初めてで、ディアは言葉に詰まった。口をもごもごと動かしながら、ディアは下を向く。


「あれ、違った?」


 チーニの問いかけにディアは首を横に振る。チーニは春の日差しみたいに柔らかく笑った。


「そっか。良かった」


 チーニが背後の壁に寄り掛かる。


「式典が面倒だなぁと思ってたら、君が外に行くのが見えてさ。僕、挨拶しなきゃいけなかったんだけど、つられて逃げてきちゃった」


 ディアも少し冷たい校舎の外壁に体を預けた。


「ディア、君、知ってる? この学院の図書室には、すごくたくさんの本があるんだって。三年間で読み切れないくらいたくさん」


 空を見上げるチーニの横顔にそっと視線を向けて、ディアは泣きそうになった。その顔には嫌悪も、同情もない。チーニは相槌もうてないディアの隣で話を続ける。


「あと、僕が楽しみなのはバディかな。君、知ってる? 学院では実験のときとか、武術の授業の時のペアが固定なんだって。どんな人と組むのか、楽しみだな」


 ディアは空に視線を向けて、口を開いた。


「俺は、ちょっと怖い」


 チーニがディアの方に顔を向ける。


「どうして?」


 ディアは空を見上げたまま、答えた。


「俺、普通じゃないから。相手に怖がられたりしたら、嫌だなって」

「じゃあ、僕と組もうよ」


 空気が揺れて、チーニが立ち上がったのが分かる。始めと同じように、ディアの顔を横から覗き込んで、チーニは笑みを浮かべた。


「ね? 僕とバディになろうよ」


 ディアはぱちくり、と瞬きを繰り返した。今の話の流れがどう繋がって、その結末に行きついたのか分からなかった。戸惑って固まるディアに、チーニが首を傾げる。


「あ、だめ、だった?」


 ディアは勢いよく顔を横に振った。


「違う、そうじゃない」


 チーニはしゃがみ込んでディアと視線の高さを合わせる。


「じゃあ、なに?」


 ディアは言葉に詰まった。言いたいことがあるはずなのに、どう言葉にしたらいいのか分からない。胸の中にある感情の名前を知らない。視線を彷徨わせて、ディアは言葉を探す。チーニは急かすことも、目を逸らすこともせずに、ただそこに居てくれる。


「ええと、俺は普通じゃない、から。だから、俺と組んだら、チーニが何か言われるかもしれない、から、だから」

「うん」

「だから、えっと」

「君は?」

「え?」

「ディアは、どうしたい? 名前も知らない誰かのことはとりあえず置いておいて、ディアは、どう思ってる?」


 チーニは目を細めて小さく笑みを浮かべた。『名前も知らない誰か』を無視して考えたら、ディアの答えはすぐそこにあった。顔を上げ、ディアはチーニの目を見て、口を開く。


「俺は、チーニと組みたい」

「じゃあ、決まり」


 チーニは立ち上がって、ディアの方に右手を差し出した。


「よろしく、ディア」


 ディアはその手とチーニを見比べて、戸惑う。手を差し出されたらどんな反応を返せばいいのか、分からなかった。チーニは笑みを深めて、ディアの手を取る。


「握手。よろしくっていう挨拶、みたいな」

「あくしゅ」


 チーニの言葉を繰り返して、ディアは握られた手に視線を落とす。初めて触れた他人の温度は、思っていたよりもずっと温かくて。気を抜いたら泣いてしまいそうだった。チーニはディアの手を握りなおして、笑みを浮かべる。


「よろしく、ディア」


 ディアは小さく、ぎこちなく、笑ってチーニの手を握り返した。


「よろしく、チーニ」

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