第50話 再会

 ディアは地下街の自室で、藁の上で丸くなっていた。目が冴えてしまって、ちっとも眠くならない。きらきらと光る壁の模様をじっと見つめていると、背後から声がかかった。


「寝れない?」


 短く発せられた問いにディアは体の向きを変える。ディアはこちらを向いて目を閉じる赤茶色の少年の髪を撫でた。


「寝れない」


 ディアの答えに少年は小さく笑う。


「姉さんに怒られるよ」

「ヒートが秘密にしてくれたら、怒られない」


 柔らかな赤茶色の髪を梳いて、ディアは笑みを浮かべた。目を閉じたまま、ヒートは口を動かす。


「僕は嘘が下手だから、たぶんバレるよ」

「怒られるのは困るな」

「早く寝れば、怒られないよ」

「寝るつもりなんだけどな」


 ディアは目を閉じた。昔は誰より早く眠っていたのに、ここに来てからはまともに眠れていない。瞼の奥にはいつだって、失ったものが輝いている。その光が眩しくて、ディアは目を開いた。


 いつの間にか目を開けていたヒートと目が合って、ディアは小さく笑う。


「明日だね」


 ヒートは小さく呟いて、また目を閉じた。


「明日だな」


 同じ言葉を返して、ディアも目を閉じる。瞼の裏では赤い靴を履いた少女が『ディアの目とお揃いだよ』と楽しそうに笑った。


(なあ、チーニ。今度こそ、俺はちゃんとルーナを救えるかな)


 記憶の中で笑うチーニがなんと言ったのか、ディアには分からなかった。聞こえない声に手を伸ばしながら、ディアは眠りの中に落ちていく。




 ディアが次に目を覚ましたのは、太陽が東の森から上がってきてすぐだった。すぐ傍で眠るヒートを起こさないように、立ち上がり、地下街を出る。まだ眠ったままの貴族街を進み、屋根の上に立つ。体を伸ばし、すぐ傍に見える王都に視線を向けた。


「早起きね」


 ベゼがディアの隣に座る。


「目が覚めたから」


 ベゼは太陽の光に目を細めて、小さく息を吐いた。身にまとった襤褸を風が揺らす。


「いよいよね」

「そうだな」

「緊張してる?」

「ぜんぜん」

「そう」


 ベゼは短く言葉を返して、膝を抱えた。二年半前に地下街でディアを見つけてから、ずっと温めてきた復讐が、今日、終わりを迎える。朝日に染められていく街並みを眺めながら、父の大きな手と、母の優しい笑顔を思い浮かべた。ディアは何も言わずに、ベゼの隣に座り込む。


「だいじょうぶだよ、きっと」


 ディアにしては柔らかな言葉遣いにベゼは小さく笑った。


「それ、誰の真似?」


 ディアは柔らかく笑みを浮かべて、目を閉じる。


「俺の一番大事な友達」


❖❖❖


 チーニは東の空で光る太陽に視線を向けて、目を細めた。朝の冷たく澄んだ、ガラスのような空気を深く吸い込む。肺の中に新鮮な空気を送り込んで、迷いと弱気な自分を吐き出す。


「早えな」


 いつの間にか詰め所から出て来ていたラウネが隣に立った。


「目が覚めたので、そのまま起きました」


 ラウネは体を縮めて、二の腕をさする。チーニはその仕草にちらり、と視線を向けてまた太陽に戻した。


「寒いですね」

「そーだな」


 ラウネは何も言わずにチーニの頭を撫でる。ハングよりも乱暴に、ルーナよりも強く。チーニの身長がラウネの背を追い抜いても、一人で出来ることが増えても、ラウネの前ではいつも、チーニは子供に戻ってしまう。つい、先程吐き出した弱気な自分が顔を出して、チーニは俯いた。


「緊張してるか」

「そうでもないです」

「そうか」


 ラウネは小さく笑って、チーニの頭から手を離す。チーニは顔を上げて、眩しくて鋭いのに、柔らかな朝日を見つめる。ラウネは太陽の光に照らされたチーニの横顔を見て、また小さく笑い声を上げた。


「お前なら、大丈夫だよ」


 冬の朝の毛布みたいな言葉だった。チーニは弱気な自分ごと包んでもらったような気持ちになって、声を出せないままラウネの言葉に頷く。奥歯に力を入れていないと、泣いてしまいそうだった。


(ねぇ、ディア。僕はずっと君に会いたかったんだよ。謝りたいことも、聞いて欲しいことも、たくさんある)


 この国のどこかに居る大切な友を思い浮かべて、チーニは心の中で言葉を紡ぐ。


(ねぇ、剣を挟んだままで良いから、僕の言葉を聞いてくれるかな。君の言葉を、聞かせてくれるかな。ねぇ、ディア。僕ら、また、友達に戻れるかな)


 語りかける言葉に返事はない。記憶の中の友人は、いつだって、柔らかく微笑んでいるだけだ。チーニは深く息を吐き出して、心の中の言葉を空気に溶かした。


❖❖❖


 ディアは地下を進んでいた。陽動係である一番地地下の盗賊団とベゼは既に格好を変えて一番地に入っている。住人が勝手に掘り進めた地下街の道を、間違えないように集中して進む。もし、人の居ない方へ迷い込めば、二度と出てこられない。そのくらい王都下の地下街は複雑な作りになっていた。


 ディアとヒートはここ半年の間に掘り進めた新たな坑道を歩き、ラクリア家の地下にたどり着く。ラクリア家が国王にも隠して作った地下室の壁に穴を開ける。何をするつもりだったのか、外に音が漏れない作りになっているらしく、ディア達が室内に侵入しても、地上の人間が気づいた様子は無かった。


 視線だけで合図を交わして、音を立てずに二人はラクリア家の中を進む。人の話し声が聞こえる方に進みながら、ディアはふと、四年前に戻ったような気分になった。


(ルーナを助けに行った時みたいだ)


 階段をあがり、明かりの漏れる一番奥の部屋へと向かう。いつの間にか話し声は止まっていた。ディアは背中にさしていた短剣を抜き、ヒートは長剣を構える。


 中から伝わってくる殺気が膨れ上がった。ディアの口角が笑みの形に歪む。扉をそっと静かに開けた。その瞬間に、ディアはナイフを投げる。ヒートは部屋の奥に向かって飛び出した。


 開ききった扉の先。ディアの投げたナイフを短剣で叩き落としたチーニがゆっくりと振り返る。



 刹那、二人の視線が絡む。



 瞬きの間に二人は距離を詰め、剣が衝突する。火花が散り、二人の距離が開く。


「久しぶりだね、ディア」


 隙のない構えを崩さないまま、チーニが言葉を吐いた。ディアは唇の端を釣り上げて、強く地面を蹴る。深く踏み込んだディアの剣が、チーニを襲う。チーニはそれをどうにか受けた。剣を合わせたまま、二人は目を合わせる。


「久しぶりだな、チーニ」


 チーニは剣の角度を変え、ディアの力を横に流す。そのまま足を横から振り抜いて、ディアを壁まで吹き飛ばした。


「お喋りが嫌いになったのかと思ったけど、そうじゃないみたいで安心したよ」


 埃の中から起き上がったディアは、肩に付いた壁の破片を払う。


「お喋りに来たわけじゃないけどな」


 ディアは壁を蹴って、チーニの顔に剣を突き出した。半身になってそれを避けたチーニは、後ろに飛び、頬に滲んだ血を拭う。すぐに血は止まり、傷が塞がる。それを見たディアは、喉の奥で笑った。


「ルーナとは一心同体ですって感じか?」


 チーニは眉を寄せて、ため息を吐く。


「荷馬車まで使って確かめた癖によく言うよ」


 ディアは「ハッ」と短く笑い声を上げた。


「相変わらずよく回る頭だな」

「君の方こそ、随分嘘が上手くなったみたいだね」


 チーニの顔に笑みが浮かぶことは無い。ディアの赤い目を見つめながら、チーニは床を蹴った。剣が交わり、火花が散り、二つの影が離れる。


 剣が交わる瞬間。


 視線が絡む刹那。


 ディアの意識は過去に飛んだ。二人の間で弾ける火花のように、記憶が引き出され、瞬きの間に現実に戻ってくる。


 チーニの剣がディアの脇腹を狙う。ディアはそれを避けながら、チーニの腹を横に切り裂く。赤黒い血液が飛び散る。チーニがディアから距離をとった。裂けた服の間から覗く傷は瞬く間に塞がって、目の前の光景にディアは、顔を顰めた。


「なに?」


 ディアの表情に敏感な優しい友は、動きを止めて首を傾げる。


「それ、痛いんだよな?」


 チーニは瞬きを二度ほど繰り返して、傷だった場所に触れた。


「痛いよ」


 痛みを口にするにしては随分あっさりとした口調だった。今日の天気は晴れですよ、みたいな。明日の昼食はシチューですよ、みたいな。そんな日常の有り触れた、深い意味の無い会話をしているような口調だった。ディアは思わず泣きそうになって、奥歯を強く噛んだ。


 チーニはいつだって、自分の傷に鈍感で。

 チーニはいつだって、誰かのためにしか怒らなくて。


「変わらないな、チーニは」


 ディアが吐き出した震えた声に、チーニは首を傾げる。


「君は、ディアは、変わったの?」


 剣に宿る殺意はそのままに、四年前と同じような優しい声で、問いかけが返ってきた。


「変わったと思う」


 ディアは剣を握り直して、チーニとの距離を詰める。チーニの剣がディアの肩を切り裂いて、ディアの剣がチーニの腹に刺さった。血液が二人の間にある空間に舞って、地面に落ちる。二つの影が離れ、また近づき、火花が散った。


 その瞬間、ディアの意識の一部は、過去に飛んだ。

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