第42話 双子の泣き黒子

 ハングの部下が拘束した盗賊団を前に、ラウネは深くため息を吐いた。


「だから何の目的でここを襲ったかって聞いてんだろ」

「俺たちは依頼されただけだって!」


 数分前に彼らが意識を取り戻してから、何度も繰り返しているやり取りに、ラウネはまた深く息を吐く。


「信じてくれって!」


 ひと際体格のいい男が叫ぶ。ラウネは頭をガシガシと掻いて、不意に視線を通りの奥に向けた。その視線の先から馬にまたがったハングとチーニが現れる。


「尋問は順調かい?」


 馬を降りたハングに小声で問いかけられて、ラウネは顎で盗賊団をさした。ハングは口をへの字に曲げた盗賊団を見て、小さくため息を吐く。


「なるほど、何も聞き出せなかったみたいだね」

「失礼なこと言ってんじゃねえよ」


 ラウネの足がハングのふくらはぎを捉える。右足を上げてそれを避けたハングは片眉を上げた。


「でも事実だろう?」


 ラウネはハングに言葉を返そうとして、黙ったままのチーニに視線を向け、眉を寄せる。


「チーニ、何かあったのか?」


 ラウネの声を低めた問いかけに、ハングは一度チーニの方に顔を向け、前に戻してから笑顔を消した。道中でチーニから聞いたことを簡潔にまとめて口に出す。


「南二番地の警ら隊支部が襲われた。チーニが着いた時には既に隊員は全員死亡。襲撃犯は三人。その中の一人は、ディアルム・エルガーだ」


 ラウネが目を見開く。ラウネは唾を飲み込んでから「うそだろ?」と言葉を落とした。


「チーニ君がディアルムを見間違えると思うかい」


 ラウネは口を噤んだ。幼い頃に一度、陛下から護衛を任された時の印象も、学院で稽古をつけた時に交わした会話も、人を殺すような人物には結びつかない。


「うそだろ」


 もう一度小さく呟かれたラウネの言葉に、ハングは小さく息を吐いた。それから前に一歩踏み出し、盗賊団との距離を詰める。ひと際体格のいい男が、その動きを目で追う。ハングは男の正面で二本、指を立てた。


「君たちに聞きたいことは二つ。まずひとつ目、この襲撃を君たちに依頼したのは白髪の男だね?」


 盗賊団の男は眉を寄せて「白髪の男ぉ?」とハングの言葉を繰り返す。


「俺たちに依頼を持ってきたのは、赤茶の髪で背の低い女だぜ? 短髪だったけど、声も高かったし。なあ?」


 男は隣で縛られて、涙目になっている少年に視線を向けた。


「え、ええ。女性の方でしたね……ぼくら殺されるんですかね……」

「あ、あとそうだ、右目の下に双子の泣き黒子があったぜ」

「双子の泣き黒子」


 ハングは引っ掛かりを覚えて、男の言葉をなぞった。掴みかけた思考の欠片はするりと指の隙間から抜け落ちて、ハングは思わず舌を打つ。


「どうした? 舌打ちなんてらしくねえぞ」


 ラウネがハングの背中を軽く殴る。


「君、双子の泣き黒子で気づくことある?」

「双子の泣き黒子?」


 ラウネは眉を寄せたものの、言葉の意図を問うことなく顎に手を当てて、上を見上げ、記憶をたどった。ハングも記憶の引き出しを片端から開けて、目当ての物を探す。


 寒い家、初めてラウネを殴った日、チーニを拾ったとき、サザンカの家で初めて誰かと食事をとった夜。


 いくつもの記憶が頭の中に散乱する。床に散らばった思い出を踏まないように、ハングは別の引き出しに手をかけた。


 まだ幼さの残るチーニとその隣を歩くルーナが見えて、ハングの口元が知らず笑みの形になる。


(貴族同士での挨拶を知らないチーニが拗ねてしまったっけ)


 ハングは大切な思い出をそっと仕舞う。引き出しから手を離す瞬間、指先に小さな痛みが走る。


(貴族同士の挨拶……)


 ひっかかりを覚えて、もう一度同じ引き出しを開く。その奥に眠っていたのは、ある貴族家との会食の様子だった。ハングの生家に招かれた赤茶色の髪をした一家。


 その記憶の隅、少年のハングと手を繋ぐ幼い少女。その目元には双子の泣き黒子があった。


(そうだ、ダリアの家の長女だ。ダリア家は六年前に当主と夫人が死体で見つかったんだったか。二人の子供は行方不明で……そういえば、当主が亡くなったのはディアルムの暗殺計画をラウネが潰したすぐ後だったな)


 ハングの頭の中でバラバラだった事件がひとつに繋がっていく。六年前に起きたディアルムの暗殺未遂事件、その主犯格と思われたダリア家の当主、行方不明の姉弟、四年前に失踪した王子。


(ダリア家の子供とディアルムが共謀して、復讐を考えてもおかしくはない)


「ラウネ!」


 ハングの大きな声に、思考に沈んでいたラウネは肩を震わせる。


「見つかったのか?」

「あぁ。私は少し調べなくてはいけないことがあるから、先に戻る。彼らは警ら隊に預ければいいから」


 チーニに視線を移して、ハングが言葉を発しようと口を開く。けれどその口から声が出てくる前にラウネが頷いた。


「チーニは任せろ」

「悪い。頼むよ」


 ラウネは唇の端を釣り上げて笑った。


「明日は槍が降るかもな」

「本当、そういう所は直した方がいいよ」


 ラウネの肩を強く叩いて、ハングはその脇を通り過ぎ、馬にまたがった。思考に、というより、感情の波に飲まれているらしく、チーニはじっと地面を見つめたままだ。その様子に心臓の奥が鋭く痛んで、ハングは小さく息を吐いた。



 ハングに待機を言い渡されたシアンは、第二師団の詰め所内に戻って書類整理をしていた。審判会から送られてきた判決報告書が、ハングの机に渦高く積まれている。シアンは深くため息を吐いて、上司の仕事に手を付けた。


 下の方にあった書類から片付けてしまおう、と書類の束をひっくり返す。古い事件が多く、シアンが警ら隊に居た頃に起きた物が大半を占めている。知らない事件の報告書にはしっかりと目を通しながら、必要な箇所にサインを入れていく。


 そうして、時計の針が半周ほど進んだ頃。


 順調に進んでいたシアンの手が止まる。その手に握られていたのは、二年前に起きたモナルク学院の教員殺害事件の報告書だ。その中の一点に、シアンの視線が突き刺さる。


「犯人は教室棟一階、南端の窓から侵入。その窓の鍵は予め破損していたものと思われる」


 報告書の一部を読み上げながら、内臓の奥に氷を押し当てられたような気分になった。


(南端の窓って、僕が二年の時に壊した窓だ)


 同級生だったか、先輩だったかに苛立って、シアンがつい、うっかり壊してしまった窓だ。門限を過ぎても校外に出られるいい抜け道が出来たと喜んだのは、誰だったか。記憶は既に薄れてしまったが、そんな理由から、その窓の破損が教師に伝えられることはなかった。


 頭の芯が冷たくなって、背中を嫌な汗が伝う。ハク、と酸素を求めて唇が震えた。


「シアン!!」


 シアンは文字通り椅子から飛び上がる。叫び声を上げながら部屋に入ってきたハングは、丁寧に扉を閉めてからシアンに視線を向けた。


「シアン、二年前に学院で起きた、教員殺害事件の資料は出せる?」


 一気に部屋の奥まで入ってきたハングは、シアンが思わず握りつぶしてしまった報告書に視線を落とした。その内容に気が付き、ハングは笑みを浮かべる。


「以心伝心というやつかな」


 ハングの長い指が、シアンの手から報告書を抜き取った。その感触でようやく現実に意識を戻したシアンは、慌てて、今発覚した事実を告げる。


「この、犯人が侵入に使った窓なんですけど」

「え? 窓?」


 犯人の証言をまとめた文に視線を落としていたハングは、シアンの焦りが滲む声に驚きつつも顔を上げた。


「はい。この窓、僕が在学中に壊したものなんです。学院を抜け出すときに使えるからって、先生方には黙ってたんですけど」

「それ、シアンの学年以外の子も知っている?」

「え、ええ。僕が二年生の時の話なので、その時の一年と、三年の生徒は間違いなく、知ってると思います」


 シアンが頷くと、報告書の右端に描かれた学院の見取り図に視線を落としたまま、ハングの動きが止まった。


 左手をゆるく握って、人差し指の第二関節と親指の腹をこすり合わせる。その仕草はハングが深く思考に沈んでいる時の癖だ。シアンは問いかけるのをやめて、彼の意識の照準が現実に戻ってくるのを待つ。


 時計の秒針が静かに進む。


「シアン」


 不意にハングがシアンの名を呼んだ。


「はい」

「私はこれから王都に行く。戻ってくるまでここの指揮は任せるよ」

「え? 王都ですか?」

「少し気になることがあるからね」


 ハングはいつも通り笑って見せたが、眉間には深く皺が刻まれたままだった。その険しい表情に、シアンはそれ以上何も聞けず、ただ頷く。報告書を掴んで、白いコートを翻して、ハングはシアンに背を向けた。

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