第41話 最悪な再会

 ラウネが深く踏み込み、まっすぐに長剣を振り下ろす。ハングは半身になってそれを避け、ラウネの懐に深く短剣を差し込む。ラウネは体をひねってそれを避ける。二人の位置が逆転。交差。逆転。


 常人には目で追うのが精いっぱいの速度で、二人は剣を交わす。休憩がてら傍で二人を観察していた第二師団の団員がぼそりと言葉をこぼした。


「なんで真剣で稽古してるんですかね……」


 心底理解できないといった様子で呟かれた言葉にシアンは笑い声をあげる。


「うっかり刺しても心が痛まないから、らしいよ。訓練用の剣は真剣に比べて軽いからね。より実践に近い形でやりたいんだろうさ」

「えええ……非番の日にわざわざ訪ねてきて稽古するような間柄なのに、心痛まないんですか」


 目で二人の剣の軌跡を追いながら、シアンはまた笑った。組織的には対立関係にある第一師団の団長がわざわざハングの所に来て稽古をしている様子は、確かに仲が良く見えるのだろう。自分と剣を合わせるときより数段早く動いているハングに目線を合わせたまま、シアンは言葉を返した。


「あの二人は、確かにお互いを信頼してるけど、仲良しってわけじゃないだろうから。それに、ハング団長が本気を出せる相手は、たぶん、ラウネ団長だけだよ」


 言葉の後半に本気の嫉妬が滲んでしまって、シアンは苦く笑った。続く言葉が見つけられずに、ただじっと二人の動きに意識の照準を合わせる。ハングとラウネの間に大きな距離ができ、刹那の間にまた距離がゼロになる。


(僕じゃ、あの動きにはついていけない)


 悔しさを飲み込んで、休憩を終わりにしようと立ち上がった瞬間。鋭い笛の音が響いてくる。その場に居た全員の顔に緊張が走った。敷地の中にあった剣を合わせる音が消え、代わりにハングの声が聞こえる。


「シアンは二班とここで待機! 三班は私と現地に急行! 四班は近隣住民の避難!」


 短くやるべき事だけを叫んで、ハングはシアンに背を向けた。短剣を腰の剣帯に収め、部下が連れてきた馬にまたがって、敷地の外を目指す。その隣にラウネが並ぶ。


「君は部下の所に帰らなくていいのかい」

「一番心配なのはチーニと一緒だ。あとの奴らは自分でやること分かるから大丈夫だろ」


 ハングはちらりと横に視線を向け、何も言わずに前に戻した。最速で街を駆け抜ける。部下の姿ははるか遠く、同じ速度で世界を進むのはラウネだけだ。


(ほんと、ムカつくなぁ)


 心の中で悪態をつくハングの口角は、わずかに上がっている。北三番地に入り、警ら隊の詰め所の方向で土埃がたった。ハングとラウネの視線が一瞬絡んで、すぐに離れる。


 詰め所の建物は半壊し、その前で警ら隊の隊員と盗賊団による乱闘が起きていた。道の両側に分かれ、両側から挟み込むようにして二人は乱闘の中に躍り出る。


 二人の間に言葉はない。

 だが、そこには確かに意思の疎通があった。


 長年の訓練と本気の喧嘩、共に任務にあたった日々。それらの経験は互いの思考回路を理解するには充分で。視線の向きと目の前の敵、状況から、互いの次の動きを予測し、敵を討つ。


 土埃が晴れる頃には、五人の盗賊団はそれぞれ地面に伸びていた。ハングは鞘がついたままの短剣を剣帯に仕舞う。


「警ら隊を襲ったにしては張り合いのねえ奴らだな」

「何事もなく捕まえられてよかったって喜ぶところだよ、そこは」

「俺の感情にケチつけんな」


 後ろからやってきたハングの部下が五人を拘束する。ハングはぐるり、と辺りに視線を向けた。


 北三番地の警ら隊は近隣住民の対応中。応援に駆け付けた面々は、瓦礫の撤去と、囚人の人数確認を進めている。


(南一番地からも来ているね、これは早く片付きそうだ)


 貴族たちへの対応を手伝おうと足を動かしたハングの思考が違和感を捉えた。ハングは視線を左右に振って、南二番地からの応援を探す。南の三番地から来たハングの部下たちはもう着いているのに、二番地からは一人も到着していなかった。


「ラウネ!」


 ハングは鋭く背後に言葉を投げる。


「あと頼む!」


 返事を待つことなく、ハングは馬に飛び乗って、駆け出した。



❖❖❖



 チーニは南二番地の裏通りを走っていた。数メートル前を走る三つの人影。二つは背が低く小柄で、もう一つは体格がよく、身長もチーニと同じくらいある。三つの人影は互いに視線を合わせる。裏通りの出口が目の前に迫り、チーニは更に速度を上げた。


 あと数歩で背中に手が届く、という所で三つの影は表通りに飛び出し、二つに割れる。チーニはほんの少しも迷うことなく、一人になった大きな人影を追う。


 その走り方には既視感があった。何度も夢の中でなぞった背中に、よく似ていた。


 余計な方向に逃げそうになる思考を止めて、チーニは足を動かす。影との距離が詰まる。チーニが手を伸ばす。影の掌で白く刃が光る。襤褸を掴んだはずの手は空を切った。


 前のめりになりすぎて、転びそうになったチーニの前で、影が店から出て来た貴族と接触する。日の光を反射して、影の手が白く光る。その光りが、貴族の腹を貫く。影の白い手が血で赤く染まる。


 続けざまに近くに居た貴族たちを影が襲い、通りに何にもの人が倒れた。悲鳴がチーニの耳を劈く。その声で我に返ったチーニは震える指で、倒れた人の怪我の程度を確認する。


(急所を一突き。早く修繕士に見せなきゃ。殺すための刺し方だ。とりあえず止血。あれは誰だ。ここから一番近い病院はどこだ。警ら隊を殺したのもあいつか?)


 チーニは自分の頬を強く叩いた。


(今、考えるべきことはけが人を救う事だけだ。集中しろ)


 震える指先を叱咤して、チーニは傷口を止血していく。白い包帯が赤く、染まる。チーニは奥歯を強く噛んで、近くに倒れている男性に駆け寄る。応急処置をして、別の女性の手当てをしようと立ち上がったチーニの視界の端で、襤褸が揺れる。


 屋根の上からチーニを見下ろす、赤い目。

 風に揺れた襤褸の間からのぞく、白い髪。



 チーニと影の視線が絡む。




「ディア」




 無意識に名前が口から滑り落ちた。周囲の音が全て消えて、視界にディア以外映らなくなる。思考が止まる。指先が影に伸びる。


 その動きを嘲笑うように、ディアはゆるく口角を上げ、チーニに背を向けた。


「ディア!!」


 叫んだ声に、答えはない。


 チーニは伸ばしかけた指先を引き寄せて、目を閉じ、深く息を吸った。何度か深呼吸を繰り返して、冷静な思考を取り戻したチーニは立ち尽くす男性に声をかける。


「一番近い病院から担架と修繕士を連れてきてください」


 男性が走り出したのを確認してから、倒れている人に駆け寄って傷の応急処置を進めた。三人目の止血をしている時に、修繕士が到着する。


「お待たせしました」


 肩で息をする修繕士に現状とチーニの処置を説明し、チーニは南二番地の警ら隊支部に戻った。


 既に警ら隊の隊員の死体は運び出された後で、血痕だけがそこに残っている。血だまりの中で、支部の建物内を調べていたレナがチーニの足音に気が付いて振り返った。


「先輩、少し良いですか?」

「なに」

「今、武器庫の中を調べてたんですけど、その中身がごっそり無くなってるんです」


 チーニはレナの跡に続いて、支部の奥にある武器保管庫を覗く。中にあるはずの剣や弓、火薬などがほとんど持ち去られていた。


(盗むための襲撃って事か)


 チーニの内側が焼けるように痛む。


(君は、物を盗むために、人を殺したの? ディア)


 体の奥から炎で焙られているような気分だった。チーニの中に居るディアが、その火に焼かれて少しずつ死んでいく。思い出が、その中にある優しさが、一つずつ燃えて、灰になっていく。


 チーニは固く握った拳を壁に叩きつけた。大きな音と隣のチーニから滲む激情にレナが肩を震わせる。チーニは俯いて、唇を強く噛んだ。


 そこに馬の蹄が地面を蹴る音が響いて、レナは逃げ出すように外に体を向ける。馬から降りたハングは床に残る血液の跡に眉を顰めた。それから怯えたレナと、俯くチーニに順に視線を向けて、さらに顔をしかめる。


 大きな歩幅で近づいてきたハングはレナの脇を通り抜けて、チーニの肩を掴む。体をハングの正面に向けると、俯いたままのチーニの両頬を、両手で強く挟んだ。


「落ち着け」


 無理やり視線を合わせたチーニの目には涙が溜まっている。


「落ち着け、いいね?」


 チーニは目を閉じた。その拍子に涙が一筋頬を伝う。そのままチーニは深く息を吸い込んで、吐いた。認めたくない。信じたくない。けれど、疑う余地はない。瞼の裏で笑うディアに背を向けるように、チーニは目を開いた。


「すみません。取り乱しました」

「うん。仕方ないよ、と言ってあげたいところだけど、後輩を怖がらせるのはダメだよ」


 ハングはチーニの頬から手を離して、背筋を伸ばす。


「分かるね?」

「はい。すみません」


 チーニはもう一度深く呼吸してから「もう、大丈夫です」と言葉を続けた。


「とりあえず、北三番地に向かおう。レナさんは一度王都に戻ってニフとジェニーにこのことを伝えてくれるかな? それ以降の判断は、二人に任せていい」


 ハングの視線をまっすぐに受け止めて、レナは頷く。


「行こうか」

「はい」


 歩き出したハングの背を追って、チーニは足を動かした。その脳裏には、襤褸をまとったかつての友が張り付いていた。

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