第11話 言葉よりも雄弁に伝わる視線

 第二師団との定例会議は、ひとつになる日アインスデーの警備案をいくつか出して終わった。最終的な警備計画は、三週間後の会議で立てることが決まっている。


 その三週間の間に、ディアルム・エルガーを捕らえることが出来ればば、不安の種がひとつ消える。ハングが持ってきた調査報告書に視線を落としながら、チーニは眉間に皺を寄せた。


「茶髪で猫背の男」


 呟きを拾ったハングが笑みを浮かべたまま口を開く。


「そう。どうやら、サザンカの前に現れたディアルムは私たちが知っている彼とは別人らしい」


 ジェニーは報告書の端をいじりながら、ため息を吐いた。


「これで考えなきゃいけない選択肢が増えたわね」


 ジェニーの言葉にチーニが頷く。その視線は鋭いまま、報告書に向けられていた。


 ハングが今日持ってきたのは、サザンカの取り調べに関する報告書だった。どこで、いつ、どんな風にディアルムと接触したのか。その時の様子やディアルムの容姿ついて細かく書かれている。


 茶髪で背が高く若い男。猫背で仕事の話以外はしない無口な性格。十一番地の人間ほど身なりがよくなかったものの、地下街や二十より下の番地に住む人間ほど酷い服装ではなかったこと。地上の仕事先で見かけたことのない顔だったこと。


 そんなことが、綺麗な字でまとめられている。チーニは机に広げられた報告書を指さしながら、仮説を立てていく。


「猫背ということは、サザンカの前に現れた人物はディアではないと思います。貴族に疎まれていたとは言え、ディアは王族として教養を叩き込まれてましたから」


 ハングが頷きを返す。


「そうだね。髪色は誤魔化しが効くとしても、サザンカさんの前で染み付いた癖や姿勢を偽るのは至難の業だから」

「ええ。その事から考えられる可能性は二つ。一つは、この事件がディアとは無関係である可能性」


 チーニは二本目の指を立てながら、言葉を並べていく。


「もう一つは、僕たちを混乱させるためにディアが人を使ってサザンカに接触した可能性。でもこの場合、サザンカの口からディアの名前が出てきたことが不自然ですね」

「わざわざ人を使って存在を隠したのに、名前はそのまま使ってるわけだしな。隠れたいのか、見つけて欲しいのか。意図が見えねえ」


 ラウネが顎を撫でながら呟く。


「そういうことさ。まぁ、どちらにせよ今できることは変わらない」

「ええ。この猫背の男を探し出すしかありません。サザンカの証言からして、猫背の男は十六から十九番地の間に住んでいると考えていいと思います」


 進んでいく会話を必死に飲み込みながら、レナは疑問を口にした。


「どうして、十六より下の番地だって分かるんですか? 十一番地ほど身なりが良くなくて、二十よりはマシってことは、十四から十九が捜索範囲じゃないんですか?」


 ハングは「いい質問だね」と笑ってから、口を開く。


「サザンカさんは王都にも出入りする調香師。そして、彼女の香水を好んで買う者は王妃以外にも沢山いる。貴族にも商人にも顔がきくのはもちろん、彼女は平民にも安価な香水を売ってる。国民の生活水準が、王都から離れるにつれて下がっているのは、知っているかな?」

「え? あぁ、はい。知ってます」


 レナは頭の中で、学院時代に使っていた教科書を引っ張り出す。


 この国は王都から離れるに従って、人々の生活水準が下がっていく。十番地までは貴族街で、服装や家具などにこだわる事ができるレベル。十一から十三番地に暮らしているのは平民の中でも裕福な層だ。彼らは毎日贅沢三昧という訳にはいかないものの、高級品にも手が届く。


 十三番地の関所を越え、十四、十五まで降りてくると生活水準さらに一段階下がる。高級品には手が出ないが、たまの贅沢で嗜好品の類いを買えるレベル。この辺りは商店よりも民家が多い。


 十六より下に行くと、民家よりも農地の割合が増え、日々生活していくのが精一杯の家庭が増える。さらに下って二十を過ぎると、大半の人々が嗜好品どころかその日の食事も満足に賄えない。そして、二四より下の番地に、人の住める場所はない。


「あ、そっか」


 レナの顔が次第に晴れていく。


「平民用に安価な香水を売っているのは、サザンカだけ。なら、嗜好品にも手が届く十四番地の人間は、サザンカが調香師として会っているはず。地元でもある十五番地なら尚更」

「そういうこと。だから、僕らが調べるのは十六より下の番地でいい」


 チーニは頷いて、ハングに視線を向ける。


「ですよね?」


 ハングは笑って、四枚の書類を机の上に並べた。人物のプロフィールがいくつか書かれた書類だ。レナは頭に疑問符を浮かべながら、その書類に目を通していく。植物園を営む男性、製糸場に勤務する青年、宿屋で板前をしている男性──いくつもの人間の詳細な情報が、現住所ごとに纏められている。


「これは、警ら隊からの報告書や噂話を総合的に判断して私が怪しいと思った人物のリストだよ。上に書かれている人物ほど犯人である可能性が高い」


 レナは書類の分かりやすさと、サザンカ逮捕からの僅か数日の間にこれだけの情報を調べ上げる腕前に感嘆の声をあげた。


「すごいですね……!」


 ハングは微笑みを返して、言葉を続ける。


「これは自由につかっていいよ。警ら隊にも君たちに協力するよう話は通してある」


 含みのある笑みを浮かべたまま、ハングはラウネに視線を向けた。ラウネは眉間に皺を寄せたまま、その視線を受け止め、ため息を吐いて顔をそむける。


「というわけで。ここから先は第一師団君たちの管轄だ。私たちは手を引かせてもらうよ」


 チーニは思わず「え?」と声をあげて、瞬きを繰り返した。ハングは王や安定した王政を守るために誰かを裁くことを嫌う。第二師団がここで手を引いたら、犯人が公正な審判を受ける可能性は限りなくゼロに近づくのだ。彼がここで手を引く理由に検討がつかず、チーニは首を傾げた。


「一緒にやらないんですか?」


 ハングは笑顔のまま頷き、口を開く。


「私は歩き回って犯人探しとか大嫌いだからね。そういう面倒事は君たちに任せるよ」


 レナは先程感じた尊敬の念を早々に打ち砕くことになった。「歩き回ると疲れるし、服が汚れるだろう?」と言葉を続けるハングを半目で見ながら、隣に座るジェニーの耳元に口を寄せる。


「ハング団長っていつもあんな感じなんですか?」

「そうじゃな。基本的に面倒くさがりじゃからな」


 ジェニーもふざけた口調に戻って、こそこそと言葉を返した。


「代わりにと言っては何だけど、君たちが犯人をどうしようと、私たち第二師団は干渉しない」


 ハングらしからぬ発言に、チーニはさらに首を傾げる。ジェニーも驚いたような顔でハングに視線を向けた。ラウネだけがいつも通りの不機嫌な顔で、書類に目をおとしている。


「言っていること、わかるよね? ラウネ」


  ハングは笑みを浮かべたまま鋭い視線で、ラウネを睨みつけた。その剣幕に、チーニやレナの方が驚いて背筋を伸ばす。ラウネは一瞬だけハングに視線を向け、また書類に戻してから口を開く。


「思い通りにならなくても恨むなよ」

「今更君への評価も感情も変わらないさ」


 二人の間で交わされる言葉に、チーニは首を傾げた。それから、言葉を使わずに意思疎通が出来る二人に、小さな羨ましさが芽生える。


(もしも、あの冬に何も起こらなければ、僕らもこんな風になれていたのかな)


 心臓の奥の方から、押し殺したはずの「もしも」が湧き上がってきて、チーニは笑った。


(そんな未来は、もうどこにもないけれど)


 隣で自嘲するような薄い笑みを浮かべているチーニに視線を向け、レナはまた心臓を押さえた。


 そうして、第一師団はハングから提供された資料をもとに猫背の男を探すことになった。

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