忘れ物にさよならを

満月烏

1つめ

「疲れた」

そう、ぽつり。

働いたわけでも、調べ物をした訳でもないのにそう呟いたのは理由がある、訳でもなく、自分の単なる口癖のようなものらしかった。

自分には記憶が無い。医者は大きな事故に巻き込まれて記憶を失ったのだと言う。確かに1番最初に感じたのは全身の痛み、だったような気がする。気がする、というのはなにせ全身に激痛と言っても過小なくらいの痛みに直ぐに気を失ってしまったようだったからよく覚えてないのだ。

きちんと意識が戻ったのは大体2週間前だった。

瞼の向こうがやけに眩しくてなかなか目が開けられなかったが、すぐに慣れて瞼を開けた。

最初に見えたのは天井、当たり前だ、寝ていたのだから。そして机と花瓶、窓の外は晴れていた。

清々しい青空で、空は高く雲ひとつなかったように覚えている。

自分のことも、何をしていたのかも分からず、ぼうっとそのまま外を見つめていた。

カタンと音が鳴り、音のした方を見やると、私の看病をしに来たらしい女性が私が外を見つめているのを見て泣いた。

「泣かないでください、どうして泣いているんですか?」

それしか言えず、さらに泣かせてしまった。

後で分かった事だが、その女性は自分の母親らしかった。その人は、何度も自分の名前を呼んでくれたがそれが自分の名前だとは思えず、呆けた顔をしてしまったと思う。

目が冷めてからの記憶しかないが、毎日のように人が来た。自分の家族、友人と名乗る人達、警察、マスメディア。

警察は自分が何も覚えていないと言うと少し同情したような顔になって、謝って去っていった。お大事に、記憶が戻ればまたお話を聞きに来ますと添えて。

マスメディアは、なんと言えばいいのかわからないが、人の気持ちを逆撫でするように煽り、何も覚えていないと知れば、使えないと吐き捨てて行った。彼らはもう二度と来なくていいと思っている。

友人は、別に来なくても良い。恐らく好奇心からか、蔑む為なのか分からないが、何も覚えていなくとも部屋に来た友人と名乗る人らのほとんどがそうでは無いことくらいは分かる。

そしてそう言う人らは皆一様に自分を見て汚いものを見たような顔をしてすぐに出ていく、そうするのなら来なくてもいい、来て欲しいとも思わない。何も覚えていないのだから。

友人と名乗る、自分を見ても出ていかなかったただ1人のとは話をした。

何も覚えていないと言えば思い出せればいい、思い出せなくともまた1から友人になると言ってくれた。

恐らく彼女は親友だったのだと思う、話していてとても気が楽になった。

彼女のことは思い出したいと思っている。

家族は毎日来た。ほとんどは母だったが、祖母も父も弟もきた、そして自分に謝ってくる。

自分以外の家族は無傷だ、顔は憔悴しきっているが、それでも彼らの体に傷はなさそうだった。全身を包帯やらギプスで固められた自分とは大違いだから、恐らく自分のこの状態とは関係はないとわかる。

だのに謝るのだ、こちらの方が申し訳なくなってくる。思い出したい、安心させたい。

ただ1人の友人と家族を安心させるには思い出すのが1番だと思うのだが方法が分からない、まだ病床からろくに出られないのだから探しにも行けない。もどかしいと思う日々だった。

医師と看護師も当たり前なのだろうが、毎日来た。包帯と点滴を変え、経過を聞いてくる。自分はそれに対してそのままを伝えるだけだ、なにも難しいことは無かった。

医師に聞いたのだが、怪我は全治4ヶ月の大怪我で、自分は目を覚ますまでここに運ばれてから1ヶ月間、目を覚まさなかったようだった。それを聞いて母親が泣いて喜んでいたことに合点がいった。

合点はいったが理解は出来なかった。今の自分には分からない感覚であったために理解することは出来なかったのだ。

思い出せない事に無力感がつのっていく

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