眠り姫の病

 「お伽噺なんてくそくらえだ」

 そう呟いた声は、ブランケットに吸い込まれて溶けた。


 遥は、クライン・レビン症候群という病気を患っている。一日の殆どを眠ってすごし、それが何日も何週間も続くという、世界でも症例の少ない病気だ。治療法も未だに分かっていないという病だというのに、説明を聞いた遥は「ねむり姫みたい」と呑気に笑っていた。

 遥の異変は少しずつだった。初めは数日おき。成績優秀で皆勤賞だったはずなのに、何日かに一回、無断で休むようになった。しかし、季節の変わり目で体調を崩しているのだろうと誰も気にとめなかった。彼女の両親は多忙で、家を空けていることがほとんどだったから、欠席の連絡が無いこともあまり不審には思われていなかったようだ。

 次は一週間だった。流石にまるまる一週間無断欠席は不味かったらしい。遥の両親にも連絡が行き、彼女は病院に連れていかれた。いくつもの大きな病院をハシゴして、彼女が原因不明の、治らない病気であるということが分かった。

 それでも遥は目が覚めれば登校し、楽しそうに笑っていた。

 治るかどうかも分からない、そんな病と闘いながらも明るく生きる遥を排除したのは、周りの人間だった。一ヶ月、二ヶ月と時が経つにつれ、話について来れなくなった彼女を拒絶したのだ。周りの人間を責めることなど考えたことも無い遥は、起きてられない私がダメなのだと困ったように笑っていた。その頃には、彼女が学校に来るのは一ヶ月に一度ほどになっていた。

 止まった時の流れの中に取り残されていく遥は、学校に来ることをやめた。

 そうして家から出ることの無くなった彼女は、ストンと深い眠りについた。揺蕩うように眠りと半覚醒を繰り返し、体だけが歳を重ねる。私は変わっていく遥を知っているのに、私だけが、遥の知らない私になっていく。そのことが何よりも辛かった。けれど私の知らない遥がいることにも耐えられず、離れることが出来なかった。

 ふと、どこか他人事のように、私はこれからも遥の隣にいるのだろうと思った。それでいい、とも思った。


 眠り続けたままの遥にそっと触れるだけのキスをする。唇に触れたかどうかも分からないそれは、王子様のキスには程遠い。死んだように眠る遥の、数少ない生きている証である温かな手を握るが、反応は無い。当然だ。お姫様を目覚めさせるのは王子様のキスだけなのだから。

 私は王子様にはなれない。いつまでも。そんなものは分かりきっている。だけど祈ることをやめられない。いつか目覚めるのでは、と期待してしまう。

 縋るように手を握る私と、穏やかに眠り続ける遥は、きっと、世界で一番惨めなお伽噺だ。

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