第48話 嘘じゃない

 既に赤とんぼが飛んでいる。

 まだ学校は夏休みにもなっていないというのに、もう秋の気配か。

 俺は空になったアイスのカップを2つ袋に入れ、研究棟から校舎に入る。

 入ってすぐの場所に知り合いが立っていた。

 緑先輩だ。


「挨拶は終わった?」


 挨拶という単語が何を指しているのかはすぐわかった。

 だから俺は頷く。

「ええ」


「紅茶、飲んでいく?」

 これはお誘いだな。

「ええ、そうします」

 そう言ってふと俺は気づいた。


「待っていてくれたんですか?」

 先輩は首を横に降る。 

「ただの気分」

 それはどんな気分なのだろう。

 そう思いつつ俺は招かれるまま先輩の研究室へ。


 紅茶の香りにふと懐かしさを感じる。

 そう言えばこの部屋に最後に来たのは合宿の前だった。

 あれから随分と長い事経った気がする。

 せいぜい2週間ちょっとの事なのに。


 更に先輩は冷蔵庫から何か出してきた。

 俺と先輩の前にそれぞれ置かれたのはロールケーキ風の何か。

 外側が焦げ茶、その内側がクリーム色で中心がハート型に白くなっている。

「旅行のお土産」


「いただきます」

 そう言ってから何となく聞いてみる。

「どちらへ行っていたんですか?」

「長崎県、中2の夏まで住んでいた町」


 思い出す。

『この休みで緑は自分に会いに行っているらしい』

 そう茜先輩が言っていた事を。

 俺はまずい事を聞いてしまっただろうか。

 そう思いつつ様子を伺う。


「今はもう親戚も誰もいない。もともと私の実家は滋賀で、父の仕事の関係で住んでいただけ。

 3人で普通に暮らしていた。何もなければ今でもあそこにいたと思う」


 という事は何かあったという事だろう。

 悪い予感しかしない。


「あの辺は例年台風が夏終わり頃にやってくる。あの年もそうだった。ただ違うのは少し台風が迷走して雨が余計に降った。ただそれだけ。

 その結果、私が住んでいた家の裏の山が崩壊した。1階に住んでいた母や父は助からなかった。私は2階にいてかろうじて助かった」


 そう言えばその頃、北九州で豪雨災害が起きたと聞いたおぼえがある。

 

「こちらの私はそれで助かった。でも向こうの私は助からなかった。向こうの私は魔法を持っていた。魔法で他の人の悲鳴をずっと聞いていた。助け出された時には既に精神的に壊れていた。そのまま一月も経たないうちに身体も死んだ」


 そんな事があったのか。

 俺はかける言葉も思いつかないまま、ただ黙って話を聞いている。


「私は幸い子供のいなかった叔父夫婦が引き取ってくれた。叔父は勿論血のつながっていない叔母も親切だった。何不自由ない生活だったと思う。でも私は恐怖を忘れなかった。夜中ちょっとした雨で何度も目が覚めた。振るえが止まらなくなった。あの街で過ごした事さえ思い出せないくらいだった。少しでも思い出すとあの恐怖が襲ってくる気がして」


 PTSDなんて単語が思い浮かぶが、だからといって何か出来る訳では無い。

 ただ緑先輩の口調は落ち着いている。

 静かな、と言ってもいいくらいに。


「魔法が使えるようになった時も、最初は気づかなかった。私の場合は過去の記憶で魔法を使えるようになった訳では無い。3月のある日、気がつけば魔法がわかる、魔法でわかるようになっていた。その時はまだもう一人の私の記憶に気づかなかった。向こうの私が死んだ事はわかったけれど、その記憶にすら気づかなかった」


 その辺は俺とは違うんだなと思う。

 俺は記憶が二重にある事に気づいて、その記憶から魔法の使い方を知った。

 でも緑先輩の場合は自分で魔法に気づいた訳か。


「この学校に来て、そしてこの部屋を貰って、おかげで雑音のない静かな環境になって、そしてはじめて気がついた。私の中にもう一人の私がいることに。

 でも最初は怖くて見て見ぬふりをしていた。でもある時ふと気づいた。私の中にいるもう1人の私。こっちの世界にはいない、向こうの世界にも今はもういない私。その私も確かにやっぱり私自身なんだと。

 その私にふと言われた気がした。あの頃までの事はそんなに嫌な事ばかりだったかって。

 そんな事は無い。でも怖くて思い出せない。だから学校が休みになったのを利用して、確かめてみようと思った。かつて私が確かにいた筈の街へ行って、もう一度私の事を思いだそうと。

 だから私は過去の私がいた街へと実際に行ってみた。過去の記憶を忘れた私の代わりにあの時死んだ私に案内して貰って。それでやっと取り戻せた。悲しかっただけじゃない、過去の記憶を。確かにそこにあった筈の楽しかった記憶を」


 そうだ。

 かつての遙香の記憶も悲しい事だけじゃない。

 そう、俺の遙香も確かに一緒にいたのだ。

 一緒に遊んだりもしたのだ。

 2人で留守番して、お腹が減ったから料理を作ろうとして失敗した記憶も。

 あの時は確か電子レンジの中で目玉焼きが爆発したんだっけ。

 この前の合宿じゃない、海にも毎年行った。

 小学校5年の時まで、そしてもう一度この夏に帰ってきてくれた遙香のその記憶は嘘じゃない。


「過去へは戻れない。あの頃の母にも父にももう会えない。隣に住んでいた友達にももう会えない。でもそれまで楽しかったのは嘘じゃない。それを思い出せただけでも私はここへ来て良かったと思う」


 まずい。

 涙が出てきてしまった。

 さっき会ったばかりなのにもう会えない遙香を思い出して。

 でも遙香に言われたから、遙香といた記憶は嘘じゃないから、遙香に言われた通り頑張って幸せにはならなきゃと思う。

 でもせめて今だけは……

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