第20話 この世界の遙香

 ラウンジへ向かって歩いて行く。

 その経路は以前、つまり21世紀日本で作られた学校と変わらないように見える。

 真新しい、それでいて各所がネジ留めだったりするところまで。


「どうしたの、お兄」

「いや、校舎はやっぱりプレハブ建築なんだな」

 言った後しまったと思う。

 向こうの世界にいた遙香にはわからない台詞だよな、これは。


「そんなの当たり前じゃない。ここは仮設校舎なんだし」

 言われてみると確かに、向こうの世界の俺にはそんな記憶があった。

 元々の校舎が老朽化して、6月後半からこの仮設校舎へ移転したと。

 そうやって世界は帳尻をあわせているようだ。


 階段をのぼり厚生棟3階へ。

 ここが通称ラウンジと呼ばれる場所だ。

 要は椅子とテーブルが大量にある空間。

 たまに大人数の授業で使う時以外は解放されている。

 

 結構空いているので自由に陣取れる。

 そんな訳で見晴らしのいい南側窓際の席を選んだ。

 俺は下から持ってきたアイスティの紙コップを、遙香はやはり下から持ってきたアイスティとチーズアップルパイ、あとディパックからタブレットパソコンとノート、筆記用具を出す。


「それじゃ早速お願いするね。まずは魔法基礎から」

 そんな授業を受けた覚えは俺には無い。

 だが遙香のタブレットパソコンに表示された教科書の内容には見覚えがある。

 これはつまり向こうの世界の俺の記憶だろう。

 試験にかつて出た場所も出そうな重要箇所もわかる。

 これなら教えられるな。


「まずこの範囲なんだけれど、何処をおぼえればいいのかな」

「ここの基本は魔法属性の相性だ。この場合、風属性と……」


 ◇◇◇


 魔法基礎と数学基礎を範囲途中まで教えて時計を見る。

 ちょっとお昼を過ぎてしまった。

 範囲は途中だがきりがいい場所なのでここまでにしよう。


「今日はここまでかな、時間的に」

「うん、ありがとう。やっぱりお兄に教わると楽だよね。教え方上手いし」

「そうおだてても何も出ないぞ」


 ノートと筆記用具、タブレットを仕舞う遙香を見る。

 うん、特に変わった様子は無い。

 まるで俺のかつての記憶が嘘のようだ。

 このままこの世界で過ごすのもいいかなとふと思う。

 遙香がいるこの世界で。


 でも、それだと交通事故で死んだ遙香はどうなるのだろう。

 あの遙香も確かにあの日までいたのだ。

 それを忘れてしまうのはあまりに遙香が可哀想だと思った。

 ついこの前まで忘れていただけに余計にそう思ってしまう。

 だからあえて、俺は今ここにいる遙香に尋ねる。

 俺と一緒に育った遙香とは別の遙香として。


「そう言えば今朝、大丈夫だった?」

 あの魔獣の襲撃はどういう風に処理されているのだろう。


「ああ、あの魔獣の件ね。結局被害は無かったみたい。あの魔獣はこの先にある自衛隊との共同研究で作った試作品で、逃げたところを抑えこんだんだって。勿論学校には魔法障壁が張ってあるけれど毎度毎度怖いよね」

 既にあの怪物は既知のものになっている訳か。

 毎度毎度なんて言葉が出てくるからには珍しくない事にもなっていると。

 しかもこの奥に自衛隊がいる事になっているらしい。


 状況を更に確認するために俺としては少し怖い質問をしてみる。

「あと、この春から何か変わった事は無かったか?」

「私としては学校の建物が立て替えで寮ごと全員ここへ移ってきた事くらいかなあ。そう言えばお兄、何か別の記憶が思い出せるって言っていたよね。魔法の無い世界の記憶がって。その件、その後どう?」


 逆に聞かれてしまった。

 ちょっと考えて誤魔化すことにする。


「変わらないかな。この世界の記憶の他、もう一つの世界の記憶が思い出せるってだけで」

「うちのクラスでそういう人、多いみたいだよね。私はそんな事ないんだけれど。何かこれも自衛隊との研究のせいだって噂があるけれど本当かな」

「その辺は正式な発表でもない限り事実確認出来ないだろ」

「それもそうだよね」


 奥の自衛隊か。  

 少なくとも21世紀日本にはここには自衛隊駐屯地は正式には無かった筈だ。

 自衛隊のヘリは飛んできていたし、怪獣を迎撃したのも自衛隊だろうけれど。

 その辺りが何かこの事態の鍵になっているのだろうか。


 荷物をまとめ、ゴミをゴミ箱に捨て、2人で階段を降りていく。


「それでどうする? お昼御飯、今からなら食堂も空いているよね」

「いや、買ったのがあるから今日は寮で食べるよ」

「ええ、一緒に食べないの?」

 弱った。

 違う遙香だと言ってもやっぱり遙香は遙香だ。

 可愛いし自然に好きだなと感じる。

 このままだとこの遙香と一緒にいる事を望むようになってしまうかもしれない。


「ごめん、ちょっと用事も思い出したしさ」

「なら代わりに明日も勉強お願いしていい。10時にここで。まだ数学終わっていないのよ。何か最近数学が異常に難しくなった気がして。周りに聞いても元々難しいからわかんないって言われるけれど」

 最近数学が異常に難しくなったか。

 それもひょっとしたら世界の変化かもしれないな。

 この遙香の世界も俺達がいた世界に寄せられているという。


「わかった」

「でもお兄、用事って本当は女の子じゃないよね」

 おい遙香待ってくれ。


「単なる調べ物と、あとネットのバーゲンが1時から」

「本当かな。だってお兄のまわり女の子多いよね。今朝も女の子に囲まれていたし」

 だから待ってくれ。


「それはこの学校が女子ばかりだからだろ。全体の7割以上は女子なんだから」

「でも茜先輩だっけ、あの人綺麗だしお兄の好きなタイプだよね」

 おい待てよりによって茜先輩だと!

 でも他のクラスメートとかを出されるよりはましか。


「はいはい。それについては俺は遙香がいれば充分だから」

 実のところこれが本音でもあるのだけれども。

「そう言ってすぐ誤魔化す」

 遙香はぷうっと頬を膨らます。


「今日のところは信じてあげる。今日は買い物をするからここで。それじゃ明日ね」

「ああ、明日な」

 階段を降りた1階で別れ、俺は寮へ。

 少し状況を整理しようと思ってだ。

 

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