結構なお点前です

さち

第1話

「加奈先輩、教えるの下手っすね。」

「うるさいな。」

 大学3年生の加奈は、茶道部に所属している。最近は、2年生の後輩・高橋の指導が主な仕事だ。加奈のいる茶道部では、外部から茶道の先生を招いているが、ここ最近先生の体調が芳しくなく、稽古を欠席することも増えてきた。そんな中高橋は、秋のお茶会で、濃茶というお点前を初めて披露することになった。3年生の中で一番濃茶が得意な加奈は、先生の代わりに指導役を任せられた。

 高橋は、茶道部には似つかわしくない、少しチャラい雰囲気の男である。彼のかつての家庭教師が茶道部のOBであり、その先輩に誘われて半強制的に茶道部に入部することになった。高橋は、どんくさい加奈を舐めていて、こうやって度々いじっていた。

 舐められているのにもかかわらず、加奈は高橋のことが好きだった。高橋が加奈をいじることで、口下手で話しづらい加奈に、他の後輩が親しみやすさを感じてくれたり、加奈が会話に入れずにいると、いじりながらも自然に加奈に話題を振ってくれたりした。さりげなく気を遣ってくれる優しさが、加奈の心を溶かしていった。

でもきっと高橋は、加奈が気のある素振りを見せたら、さっと線を引くだろう。恋愛経験値の低い加奈は、あえて冷たく接して、好意を隠すという幼稚なことをしていた。


 はぁ~、と高橋はわざとらしく大きなため息をつき、手に持っていた袱紗を横に置き、正座をくずして勝手に休憩モードに入った。濃茶では、袱紗と言う正方形の布を巧みに捌く所作が多く、初心者がつまずきやすい。高橋もまた、袱紗捌きにつまずいている一人だ。

「まぁ加奈先輩ができてるんだから、俺もそのうちできますよね。」

「ちょっとどういう意味?」

こんなやりとりでさえ、加奈は嬉しいのだ。


 稽古を再開し、高橋が練った濃茶を、加奈が主客役になって一口飲むことになった。高橋が練った濃茶には、ダマができていた。濃茶はその名の通り、お湯に対して抹茶の粉を多めに使うため、「点てる」ではなく「練る」と表現し、使う粉の量が多いため、ダマができやすい。

「お服加減はいかがですか。」「…結構なお点前です」

お決まりの台詞を交わした後で、高橋は、

「加奈先輩、結構なお点前なんて本当は思ってないでしょ。嘘つくのはよくないですよ。」

「ダマができてます、なんて主客が言うわけないでしょ」

「そういう加奈先輩は、どうなんですか。最近濃茶練ってる姿みないですけど、腕落ちてないんですか」

高橋に挑発された加奈は、先輩としての威厳を示すため、濃茶を練った。高橋が、加奈の練った濃茶を一口飲んで、こう言った。

「俺、好きっす…加奈先輩の濃茶」

好きと言われて、加奈は一瞬ドキッとした。濃茶じゃなくて、私を好きになってくれたらいいのに。何くだらないこと思ってんだと、加奈はすぐにもみ消した。


 そして、ついに秋のお茶会当日となった。加奈はこれが最後のお点前であった。本当は自分が得意とする濃茶のお点前をしたかったが、人数の関係で、薄茶というベーシックなお点前をすることになった。薄茶は濃茶より難易度が低いため、加奈には心の余裕があった。しかしその油断が、仇となった。


 加奈はお点前の終盤、飾り置きという、棗や茶杓を客側に移動する所作をするとき、手を滑らせて、棗に入っていた抹茶の粉をこぼしてしまった。一瞬にしてその場の空気が凍りつき、緑の粉まみれになった座敷を見て、加奈は呆然とした。今すぐこの場から逃げ出したい気持ちであったが、まだお点前は終わっていない。加奈は何事もなかったかのように、お点前を最後まで続けた。終わった後、謝りながら客を見送り、水屋という裏方部屋に戻った。水屋に入ったとたん、加奈の目からは大粒の涙が零れた。

「加奈せんぱ~い」

後輩たちは、加奈に駆け寄り、慰めてくれた。後輩の優しさに感謝しつつも、後輩に慰められている自分が惨めだった。そんな中、高橋が加奈に駆け寄ってきた。

「加奈先輩、お疲れさまでした。最後までやり抜いて、すごいですよ。こぼれた抹茶は俺が片付けといたんで、ゆっくり休んでてください。」

いつもと違って穏やかな表情で、優しく言われて、加奈はもっと泣きそうになった。


 お茶会の後、打ち上げがあった。後輩や、そんなに仲良くない同級生としゃべるエネルギーがなくて、加奈は部員の中で一番親しい美由の隣に座った。美由はあえて加奈がお茶会でしでかしたことには触れず、自分や人の恋愛話や失敗談をして、加奈を楽しませてくれた。1時間以上過ぎたところで、美由はトイレに立った。独りになった加奈はしんみりと、今日のことを振り返りながら、箸を進めた。


「加奈先輩」

高橋が加奈に声をかけ、美由のいた席に座ってきた。

「さっきのこと、まだ気にしてるんすか?」

「…うん」

高橋は少しうつむいて、目の前の料理を見ながら言った。

「…俺、正直、今日泣いてる加奈先輩を見て、グッときました。そんなに熱い思いで、茶道に取り組んでるんだなって。そういうの、すごい素敵だと思います」

らしくないことを言う高橋を、加奈がまじまじと見つめるが、高橋は一向に目を合わせようとしなかった。

そうこうしているうちに、トイレに立った美由が戻ってきた。

「高橋、そのままいてもいいよ?」

美由が言うと、高橋は、

「いいっす。もう用は済んだんで」

と言って足早に去っていった。


「高橋ってさ、絶対加奈のこと好きだよね。」

高橋が去った後、ニヤニヤしながら美由は言う。

「いつも加奈にちょっかいかけてるし。今日も加奈のことチラチラ見て心配してたしさ。加奈、いっつも冷たくあしらってるけどさ、もう少し優しくしてあげてもいいんじゃない」

「何言ってんの美由。高橋は面白がってるだけだよ。私はそれ相応の対応をしてるだけ」

加奈は平静を装って答えたが、内心動揺していた。

(高橋が、私のことを好き?そんなまさか。確かに今日は優しかったけど、普段舐めまくってるし…。好きな先輩にそんな態度、取らないよ。)

舞い上がりそうになる気持ちを、加奈は必死にクールダウンした。


 一次会が終わり、外に出ると、部員たちは二次会に行く組、行かない組に自然と分裂していった。加奈は他の飲み会では、一次会で速攻帰るタイプであるが、茶道部の飲み会は、二次会まで参加することが多かった。理由はもちろん、高橋が参加しているからだ。でも今回は、高橋がいようとも、二次会まで残る気にはなれなかった。早く家に帰って、何も考えずに寝たい気分だった。加奈は静かに輪の中から離れ、一人とぼとぼと帰り道を歩いて行った。


 後ろから、誰かが小走りでこちらに向かってくる音が聞こえる。振り向くと、高橋だった。

「高橋!どうしたの?二次会は?」

「今日は二次会行く気分じゃないんで、加奈先輩と帰ろうと思って」

「そっか」

沈黙が訪れる。飲み会で高橋に言われた言葉を反芻してしまった加奈は、なんだか落ち着かない。高橋も、なんだかそわそわしているようだ。いつも気を遣ってもらってるし、たまには私から話をふらなきゃ。そうだ、さっきのお礼を言おう。そう思って、加奈は沈黙を破った。

「さっき言ってくれたこと、嬉しかったよ。ありがとう」

「…別にいいっすよ」

また沈黙が訪れてしまった。話題を考えるのに夢中になって、加奈はヒールを排水溝にひっかけてしまった。よろめいた加奈の肩を、高橋の手がしっかりと支える。

「あ、すみません」

「なんで謝るの。支えてくれて助かった」

「…イヤじゃなかったっすか」

「えっ、何が」

神妙な顔をしていた高橋は、加奈の返答を聞いて、すぐにいつものニヤニヤ顔に切り替わる。

「加奈先輩って隠れビッチなんすか?男に肩支えられて何も思わないなんて」

「違うよ!!!」

加奈はつい、大きな声で反論してしまった。高橋だから、イヤじゃなかった、キュンとしたという言葉を飲み込む。

「…加奈先輩、顔ちょっと赤くないっすか?」

高橋が加奈の顔を覗き込みながら言う。そう言われて、加奈の顔は更に火照ってしまう。

「加奈先輩、チョロいっすね」

高橋は少し照れくさそうに笑った。

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