#8 道化師が詠い狂犬が喰らうたったひとつの派手な殺り方

8-1

 無数の星が瞬く夜空の中に、そこだけ光度ばかりが強い複数の工業用照明が集中する。強烈な光を全身に浴びながら、地中から姿を見せた龍の姿は、さながら天を衝く巨大な石柱のようであった。

 降り積もった土砂から突き出た赤黒い肌は、間近で見ると人間大もある鱗にびっしりと覆われて、脈動する隙間から硫黄に似た悪臭を撒き散らす。真上に向かって伸び上がった先端の、地中を突き進むに相応しいというべきか、何枚もの目の粗い刃を重ねたドリルのような形状の頭部が禍々しい。

 お伽噺に登場する巨大生物であれば、それがどんなに恐ろしくとも、同時に畏敬の裏返しであるべきに違いない。だが今目の前に現れたそれ・・は、ただただ圧倒的な恐怖と醜悪とを体現したものでしかなかった。

「出やがったな、この蚯蚓ミミズ野郎!」

 だがこの男にとっては長年追いかけ続けてきた、もはや恋い焦がれる相手以上の存在なのだろう。初めて目の当たりにした龍にさすがに驚愕するアイリンの横で、嬉々としたトビーは口角を限界まで吊り上げて、すかさず照準装置ポインターを構えた。逸る気持ちを押さえながらスコープに右目を当てて、銃底のボタンを押す。すると龍が出現した穴の、未だその巨体が半ば以上埋まる付け根の辺りに、音もなく小さな光点が灯った。

「てめえがその穴から這い出る前に、丸焼きにしてやる」

 ボタンを押し続ける間、光点はゆっくりと、しかし確実にその直径を広げていく。龍の身体がほぼ垂直に伸び上がった今の状態なら、短時間で光の輪の中に全身を収めることも出来ると踏んだトビーの興奮は、だが長くは続かなかった。

「なんか、頭がぐらぐらしてないか」

 片手を翳して見上げていたソリオが、訝しげに呟いた。その言葉にトビーもスコープから目を外して視線を上げれば、ドリル状の龍の頭部が前後に揺れ動いている。あの調子では衛星砲の照準光に覆われる前に、龍は自重で倒れ込んでしまう。

 いや、既に龍の身体はトビーたちを目がけるように、まさにぐらりと傾きつつあった。

「逃げろ!」

 アイリンが叫びながら駆け出し、トビーも舌打ちして後に続く。ふたりが揃って逃げ出した数秒後には、先ほどまで彼らがいた場所に、龍の長大な身体が激しく叩きつけられていた。

 まるで狙い澄ましたかのように、龍の腹がヘリとワゴン車を押し潰す。その衝撃で龍の身体とアスファルトの間から激しい爆発が生じる。

 トビーもアイリンもその爆風に煽られて、ほとんど吹き飛ばされるように地面に投げ出された。衝撃のあまり俯せのまま呻くアイリンの横で、トビーはすぐさま身体を起こしながら振り返る。そこには赤黒い鱗に覆われた龍の身体が、もうもうと煙る土埃をまといながら、まるで堅牢な城壁のような存在感をもって横たわっていた。

「もう少し我慢がきかねえのか、このデカブツが!」

 こうなると龍の全身を焼き尽くすのは難しい。衛星砲の照準光は最大直径十メートルまで広げることが可能だが、そこまで拡大するには相応の時間がかかるし、出来たとしても真っ直ぐに伸びきった龍を収めることは出来ない。何より最大出力で衛星砲を放ってしまうと、次弾がチャージされるまでに一時間以上が必要なのだ。

 先日の採掘坑のように、龍がとぐろを巻いて一カ所にまとまるような、そんな工夫が必要になる。

 その困難を想像して苦虫を噛み潰すトビーに、アイリンの切迫した声が呼び掛けた。

「龍にかまけてばかりというわけにはいかないようだぞ」

「何い?」

 隣を見ればアイリンは既に立ち上がり、それどころか龍を背にしたまま両手でハンドガンを構えている。

 彼女のハンドガンはいったい何を捉えているのか。自身も立ち上がりながら、銃口と同じ方向に目を向けて、次の瞬間にトビーは思わず顔をしかめた。

「ああかあげえええ!」

 視線の先で呪文のような叫び声を張り上げているのは、数刻前にトビーの頭をかち割ってくれたあの大男――ザックであった。


 ◆◆◆


 龍の巨体が倒れ込む音と衝撃を、ソリオは脱兎の如く駆け出した背後で受け止めた。強烈な震動に足をもつれさせたところへ、ヘリとワゴン車が押し潰された際の爆風が吹きつける。

 そのままアスファルトの上を転がり続けて、ようやく勢いが止まった頃に立ち上がる。だがいくら周りを見渡しても、トビーとアイリンの姿が見当たらない。

「おいおい、もしかしてこっちに逃げたのって、俺だけか?」

 突如出現した長城のように横たう龍の姿に目眩を感じながら、ソリオがひとり嘆く。

 しかし龍によって分断されたこちら・・・側に追いやられたのは、彼だけではなかった。

「ソリオ……?」

 聞き覚えのある声を背に受けて、ソリオはゆっくりと振り返った。

 そして彼の瞳が捉えたのは、土埃を浴びて疲れ切った表情を浮かべた、ブルネットの髪の女。ワゴン車が衝突した際に負傷したのか、右足をやや引きずりながらスーツケースを支えに立ち尽くしているのは、間違いなくマテルディ・ルバイクそのひとであった。

「……よう、マテルディ」

 呆然としているマテルディに向かって、ソリオは白い歯を覗かせながら、かつてと変わらずに微笑みかける。

「ひと言も無しに消えるだなんて水臭いじゃないか」

「……どうして、こんなところに」

「長年のパートナーとの別れを惜しんで追いかけてきたのさ、健気だろう?」

 その言葉にマテルディの顔は思わず綻びかけて――だがすぐに己に言い聞かせるかのように激しく首を振った。

「嘘よ。あなたにとって、わざわざ追いかけるほどの価値なんて、私にある、はず、が――」

 ひと言ひと言心苦しげに、噛み締めるかの如く吐き出される言葉が、何に気づいたのか不意に途切れる。

「――もしかしてソリオ、左遷とばされたの?」

 そう言って面を上げたマテルディの顔の上では、唇の両端が有り得ないほどに角度を上げていた。

「私の、私の上司だからって、責任を取らされて? ねえ、ソリオ、そうなのね!」

 彼女の憶測はまさに当を得ていたから、ソリオとしては苦笑を浮かべるしかない。そんな彼の表情を確かめて、マテルディは必死に両手で口元を押さえつける。その仕草は、腹の底から込み上げる笑いを必死にこらえようとしているとしか見えなかった。

 だからこそソリオは確信するほかない。

 千人以上の人命を奪った、未曾有の宇宙港爆発事件を引き起こした張本人は、間違いなくこの目の前の女なのだと。

「なあ、マテルディ。なんであんなことをしたんだ?」

 努めてさりげない風を装ったソリオの問いに、マテルディははたと動きを止める。続いてその口から漏れ聞こえた声は、冷ややかというには湿り気を帯びていた。

「あなたのせいよ、ソリオ」

「俺の?」

 振り返った彼女の瞳に責め立てるような光が浮かぶのを見て、ソリオは戸惑い気味に訊き返した。

「そうよ。あなたは私の……信頼を、裏切った。さっき長年のパートナーって言ったじゃない! あなたの傍にずっと居続けてきたのは私なのに。なのにその私には目もくれず、あんな女にだらしない笑顔を見せるなんて!」

 そう言ってソリオを詰るマテルディの拳は、固く握り締められて細かく震えている。怒りとも嫉妬とも屈辱とも区別のつかない、混然とした負の感情に覆われた彼女の顔を見て、ソリオは狼狽えるよりも先に呆れ果てていた。

 まさかそんな理由でという台詞を寸前で飲み込んで、ソリオはさらに問い質す。

「だからあんな爆発を仕組んだってのか? そりゃあ宇宙港の爆発なんて、真っ先に責任を問われるのは俺さ。それにしたっていくらなんでも――」

「……あんな酷いことになるなんて、思わなかったのよ!」

 途端にマテルディは両手に顔を埋めて、言い訳じみた言葉を嗚咽混じりに口走った。

 それを見て、ソリオは小さく嘆息する。

 マテルディという女の、屈折した情念を嘆いたのではない。

 彼女の度を超した思い込みの強さを見損なった、己の未熟さをソリオは思い知らされていた。

「ちゃんと運行表を確認して、空のドックだけを狙ったのに。どうして――」

「……あの日は宇宙港も宇宙船ふねもトラブルが相次いで、空きドックどころか軍用までフル稼働させてなんとか回してたんだ。宇宙港では予定なんてあって無いようなものと思えって、そう教えてくれたのはマテルディ、君だぜ」

 激するわけでもなく、ただ淡々と語られる言葉が、かえって咎めるように聞こえたのかもしれない。ソリオの顔を睨み返すマテルディの瞳は、自身が引き起こした罪の大きさを認めきれないとばかりに、小刻みに震えている。

「済まなかった。君をそこまで思い詰めさせてしまった、俺のせいだ」

 だから穏やかな口調で告げられたソリオの謝罪を耳にして、マテルディは一抹の救いを見出したかのように安堵する。

「そ、そうよ。全部ソリオ、あなたのせい。私のせいじゃない、私は悪くない……」

「今さら遅いかもしれないが、せめてもの詫びだ。マテルディ、君の手助けをさせてくれ」

 思いがけないソリオの言葉に、今度はマテルディの顔が戸惑いを見せた。

「手助け?」

「君はシャトルに乗ってこの星を発つつもりなんだろう? だけどあんな化け物が現れて、このままじゃ無事に打ち上げられるかもわからない」

 背後には横たわったまま不気味に脈動する龍が、穴から這い出ようとしてずるりずるりと蠢いている。ソリオはその巨体を指差して、それから彼自身の顔を親指で指し示した。

「だから俺が管制塔に乗り込んで、ちゃんと最後まで手配するよ」

 それはこの異常事態で途方に暮れていたマテルディにとって、願ってもない申し出であった。

 冷静に考えれば、密航用シャトルの管制にどうしてソリオが手を加えられるのか、おかしい点に気づくことも出来ただろう。だが航宙史上最悪の大惨事を引き起こしてしまったという、あまりの罪深さに怯え続けてきたマテルディに、最早そんな余裕は残っていなかった。

「ほ、本当に?」

「本当さ。俺にはこれぐらいしか出来ないけれど、少しでも罪滅ぼしになれば」

 形の良い眉の両端を下げて、ソリオが申し訳なさそうに小さく笑う。それはかつてふたりが宇宙港に勤めていた頃、マテルディの小言に対して彼がよく見せた表情であった。

「……仕方ないわね。じゃあ許してあげる」

 マテルディもやや落ち着いた表情を取り戻して、当時の彼女が小言を収めるときの決まり文句を口にする。

 そしてふたりは声を出さずに笑い合いながら、別れを告げた。

 マテルディは自動追尾式のスーツケースを従えて、右足を引きずりながらシャトルへと向かう。シャトルは未だ本体だけが地上に姿を見せた状態だから、こんな騒ぎの中でも搭乗は可能だろう。

 やがて声の届かない距離まで離れた彼女が、一度だけ背後を振り返った。ソリオは変わらぬ笑顔のまま手を振りながら、決してマテルディに聞こえないよう呟かれた小声は、その表情とは裏腹に酷く酷薄に響いた。

「マテルディ、俺が許しを請う相手は君じゃない。君が殺したひとたちなんだ」

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