7-5

 クラウジ・バレーフは警備員である。

 といっても表立って警備員を名乗ることは許されない。なぜなら彼の職場は廃鉱跡地に秘かに築かれた密貿易用シャトルの発着場であって、その存在は完全に非合法なものだからだ。

 いかに無法が罷り通るエンデラとはいえ、さすがに密貿易関連の施設勤めであることを堂々と公言出来るものではない。だがクラウジは今の仕事に十分満足していた。

 なにしろ場所が場所だから、そもそもわざわざ襲ってくるような外敵自体が稀だ。普段の仕事といえば警備とは名ばかりで、もっぱらだだっ広い施設の清掃に、時折り雑用を申しつけられる程度。その割に給料はしっかり払われるし、十日に一度の休暇も保証されている。あの化け物みたいな龍が出現する可能性はあるが、そんなもの端から対処出来るわけがないのだから、そのときには逃げ出せば良い話だ。

 思うにこの仕事に求められているのは、密貿易という秘事を軽々しく口外しない、口の堅さなのだ。その点で言えば元来寡黙で友人知人も少ないクラウジは適任であった。彼とて職務中にアルコールの入った小瓶を胸ポケットに忍ばせたりしているが、この星にはそれ以上にいい加減な輩の方が多い。酒が入っても辛うじて手を動かすクラウジは、それだけで十分重宝される存在であった。

 日々酒を欠かせないクラウジだが、そんな彼もさすがに今晩は飲酒を控えていた。今日は山のような龍爪草タツメグサを積んだ密貿易用のシャトルが打ち上げられる予定なのだ。このときばかりはシャトル発着場の誰も彼もが慌ただしく、クラウジも警備員らしく機銃を担いで歩哨の真似事をする。

 だだっ広い滑走路に採掘坑を改造した整備工場と廃ビルのような発射台、そして二階建ての簡易な管制塔以外には見当たらない発着場に、今夜は主役がその姿の一部を現していた。整備工場の縦穴からはシャトルの本体部分が地上に突き出して、さらに地中ではコンテナ部への積荷の搬入を先ほど終えたばかり。地上に突き出たシャトル本体だけでも十分威圧的な図体だが、この下にはコンテナ部とさらに推進剤を積んだロケット部が連結している。発射直前になれば、軌道エレベーターを除けばエンデラのどの建物よりも高く聳える威容が出現するはずであった。

 貨物搬入中の警備という最も緊張する時間もようやく終わり、後は予定されている同乗者の到着を待つのみ。夜明けまでには酒が飲めるかなとひと息ついたクラウジは、ふと雲ひとつない星空を見上げて眉をひそめた。

 随分とでかい星が――あんな星あったっけ?

 火山連峰とは反対の、荒野が広がるばかりの南東の夜空に、やけに大きな輝きが灯って見える。輝きはゆらめきながら大きさを増していくので、クラウジはようやくそれが星明かりではない、どうやら飛行機の類いであると気がついた。

 前後して、発着場一帯にサイレンが鳴り響き始める。ゆらめく輝きに気がついたのは、彼ひとりではなかったらしい。空に向かって機銃を放ち始める、気の早い輩までいる。その内のひとりがクラウジを怒鳴った。

「クラウジ、侵入者を撃ち落とせ!」

 そういえば自分も機銃を担いでいたのだということを思い出して、クラウジは覚束ない手つきで用意する。といっても銃を撃つなど久しぶりだから、どうやって操作するのかもうろ覚えだ。

 手間取っている間にも、光は高度を下げてどんどんこちらに迫ってくる。飛行機ではない、それが正面のガラス窓に大きな穴の開いたヘリだとわかる頃には、クラウジは悲鳴を上げてその場から駆け出していた。

 つい先ほどまで彼がいた場所に、そのヘリはまるで目がけるかのように突っ込んできた。着地姿勢を取るどころか、恐ろしい勢いでほとんど擦りつけるように接地した胴体の下から、耳をつんざくような金属の擦過音と派手な火花が飛び散る。着陸脚の片方を吹き飛ばして半分傾いて見えるヘリは、アスファルトの上を百メートル以上滑った末に、ようやく停止した。

「……なんだよ、こいつは」

 路面に長々とついたヘリの滑走跡の両脇には、撥ね飛ばされた同僚たちの姿が横たわっている。呻き声を上げる者もいれば微動だにしない者もいて、クラウジの顔から血の気が引いた。

「何者だ、出てきやがれ、こらあ!」

 血の気の多いひとりが、叫びながらヘリに向かって機銃を連射している。後に続くべく銃を構えようと顔を上げた矢先、真っ暗な空の彼方から銃を放つ男の足下へと、糸のように細い光の筋が垂れていることに気がついた。

 その光の糸が何を意味するのか、エンデラの住民で知らぬ者はない。クラウジは声を上げる余裕もなく、足をもつれさせながらその場を飛び退くと、間を置かずして背後で爆発音が轟いた。彼自身も衝撃波に煽られて、アスファルトの地面の上を転がっていく。

 ――こんなところで、どうして『トビーの雷』が――

 数メートル先に投げ出されたクラウジは、身体中あちこちを打ちつけた痛みに呻きながら辛うじて瞼を開ける。すると目に入ったのは、あちこちから煙を吹き出すヘリの中から、ちょうど這い出ようとする複数の人影であった。

「いやあ、初めての操縦にしちゃ、なかなかいい線いってたんじゃない?」

「真っ直ぐ飛ばないわ散々大回りするわ、目的地にたどり着いただけ上出来か」

 いかにも軽薄そうな赤毛の男の自画自賛を、黒いコートに身を包んだ女の低い声が無情に撥ねつける。あれほど無茶な着地でたいした怪我もないらしいとはどれほどの強運なのか、ふたりともクラウジは見たことのない男女だ。

 だがその後に現れた男には、はっきりと見覚えがあった。

「ヘリ一機おシャカにして、白目を剥く本部長が目に浮かぶぜ」

 ふたりの後から姿を見せたのは、頭に包帯を巻きつけたフライトジャケット姿の男。極太のライフル状の得物を肩に担いだその姿を、見間違えるはずもない。

 衛星砲を振り回しながら傍若無人の限りを尽くす、あのゲンプシーすら一目置くという保安官は、少しでも裏社会に足を突っ込んでいる者には――つまりエンデラのほぼ全住民から怖れられている。

龍追い人ドラゴン・チェイサーのトビー……」

 その名を呟きながら後退ったのは、起き上がろうとしたクラウジの傍に立っていた同僚だった。トビーに睨み返されて、男は大袈裟なほどに全身をびくりと震わせる。弾みで両手に構えていた銃が、ヘリから降り立った三人に向けられる格好となった。

 途端にトビーの右手でハンドガンが火を噴き、男はぎゃっと叫んで銃を取り落とした。

 見ればその手は指の二、三本が吹き飛んで、クラウジの顔にまでかかりかねない勢いで鮮血が噴き出している。

「その綽名で呼ぶんじゃねえ」

 恐ろしげに言い放つトビーの形相に、クラウジは最早立ち上がることも出来なかった。指を吹き飛ばされた男に駆け寄ったほかの警備員たちも、トビーに怖れを成して迂闊に銃を構えられない。

 警備員たちとトビーたち三人の間に瞬間訪れた膠着を打ち破ったのは、空気を読まずに声を張り上げた赤毛の男であった。

「おい、後ろ見ろ、後ろ! 危ない!」

 何が危ないというのかと思う間もなく、発着場に唸り続けるサイレンの音よりもけたたましい、彼方から響くエンジン音が押し寄せてきた。クラウジが片手を突いたまま振り返ると、いつの間に現れたのか、猛スピードで迫り来るワゴン車の強烈なヘッドライトが目に入る。先ほどのヘリと同じくフロントガラスが粉々に砕けているのは、何か示し合わせた悪い冗談としか思えない。

 ワゴン車はそのまま少しも速度を緩めることなく、クラウジの靴のわずか数センチ先を掠めながら、警備員の集団に突っ込んでいった。

 がしゃんともぐしゃりともげえともつかない、鈍い嫌な音と共に、警備員たちが次々と撥ね飛ばされていく。クラウジを除く全員を一掃してもなおワゴン車は走り続け、未だ燻り続けるヘリに派手な衝突音を立てて突っ込み、ついに停車した。

 しばらくして車内からよろめきながら降り立ったのは、この場にそぐわない、スーツケースを抱えた女。真っ先にワゴン車を避けていたトビーたち三人は、その姿を見て彼女の元に駆け寄ろうとする。

 だが途中で何に気づいたのか、はたと足を止めた三人は、再びヘリの陰へと身を隠してしまった。

 三人の不自然な動きを怪しむまでもない。続いてワゴン車から降り立った人影を見て、クラウジは完全に腰が抜けてしまった。

「どこだあああ! 赤毛えええ!」

 地の底から響くような、呂律の回らない声を張り上げながら、続いて車から現れたのは肩を怒らせた巨漢。発着場の照明の下で髪を振り乱し、衝突で負ったのか流血に彩られた顔面には、明らかに常軌を逸した狂気が張りついている。誰を捜し求めているのか、辺りを睨め回す血走った眼と一瞬でも目が合って、クラウジは最早生きた心地もせず、漏らした小便が股間を濡らしていることにも気がつかない。

 立て続けに悪夢のような光景を目の当たりにして、今日はいったいどんな厄日だというのか。大男があらぬ方向へと歩き出したその隙に、笑い出す膝を押さえて無理矢理に立ち上がり、へっぴり腰で逃げ出そうとする。

 こんな化け物たちなんて相手にしてられるか。どこか――せめてあの発着場の端にぽつんと立つ、管制塔ビルの中にでも逃げ込まないと。

 だが彼にとっての最悪が訪れるのは、まだこの先であった。

 よろめきながら駆けるクラウジの視線の先、管制塔ビルまでの途上には、先ほどトビーが放った衛星砲によって爆発跡が穿たれている。その横を通り抜けようとしたとき、クラウジは足裏を通じて俄に震動を感じた。

 まさかこの騒動の最中に、シャトルを発射台まで移動させるというのか?

 正気を疑いながらも左に目を向けると、遠目に見えるシャトルはまだシャトル本体が地上に覗くだけで、その下部にあるコンテナ部やロケット部は地下に潜ったままだ。ではこの震動はいったい? 足下から着実にせり上がってくる、地獄の底から迫り来るような地響きの正体は、まさか――

 クラウジの想像に呼応するかのように、爆発跡の穴底が急激に盛り上がる。かと思えば、一瞬後には間欠泉でも湧き出したのかの如く、アスファルトから土塊から何もかもが空中に巻き上げられた。唖然とするクラウジは、その場から一歩も動けないまま、宙に舞った数トンもの大量の土砂に埋もれていく。

 自分が死にゆくことに気づく暇もないクラウジが、土砂の雨を浴びながら最期に目にしたのは、恐ろしい勢いで空に向かって伸び上がる、赤黒い岩のような肌に覆われた巨大な龍の姿であった。

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