ヘルモード世界への転生予告

鈴代しらす

ある日の白昼夢

 そこは空と大地の区別も付かない、どこまでも真っ白な空間だった。


 俺の前には老人が一人、僅かに宙に浮いた状態でこちらを睨み据えている。

 その身に纏うは、空間の白よりもさらに白い純白の衣。豊かな髭と相まって、何とも荘厳な雰囲気を醸し出している。


 俺が老人に意識を向けると同時に、何処からか重々しい声が響き始めた。


「……我は、この世界の管理者。貴様らが考えるところの神に等しい存在である」


 ……おいおい、これはまさかアレか?


 こういうときは、いろんな部分がはみ出した女神様の出番じゃないのかよ。

 おまけに、随分と機嫌が悪そうだが……ジジイにデレられても気持ち悪いだけなので、そっちはまぁいい。


「この期に及んで尚そのような歪んだ思いを抱くとは、やはり腐り切っておるな」


 あぁ、頭の中を読むパターンか。


 そう言えば、俺からは自分の身体が見えないし、どうも魂だけ呼び出されたようだな。

 ……ということは、俺はもう心臓麻痺か何かで死んでいるのか?


「貴様の命はまだ尽きておらん。が、そう時間は残っていない。残り僅かの『運命』が底をつき次第、貴様は死ぬ」


 まぁ、今までの人生に未練などないし、どっちでもいい。

 それよりさっさと話を進めてくれ。


「前世より積み上げてきた業で汚れ切った貴様の魂は、我の管理する世界には害しか及ぼさぬ。よって、別の世界に追放する事に決めた」


 ひどい言われようだが、文句を言っても仕方がない。


 それで、俺の使命は何だ?

 あと、どんなチートが貰えるんだ?


「貴様のような腐った魂に、託すべき使命などあるはずもなかろう。加えて、貴様に特別な力を与えるくらいならば、もっとこの世界に資する魂に力を注ぐに決まっておるわ」


 ……雲行きが怪しくなってきた。


 ごくりと喉を鳴らそうと思ったが、今の俺にはそんな事すらも出来ない。


「ようやく理解したか。貴様が生まれ変わるのは、未だ人と魔が近しく極めて未成熟な世界である。この恵まれた世界ですら堕落し続けた貴様は、来世でもさらに業を積み上げることになるだろう。そして、何処までも輪廻の螺旋を下って行くがよい」


 今生のことはともかく、前世の業なんか俺には関係ないだろう!

 今からでも善行を積めば、何とかしてくれるのか?!


「今さらそんな事を抜かしても、もう遅い。『運命』が尽きるその日まで、せいぜい悔恨に悶えよ」


 はぁ!?

 じゃあ、一体何のために呼び出しやがったんだ?


「我に手間をかけさせる貴様に、文句を言ってやりたかっただけの事よ」


 その言葉を最後に、俺の視界は完全なる白に染まった。


     ◇


「……クソが!」


 机の上の雑多な物を薙ぎ払い、両手で掴んだキーボードを振り上げて……そっと静かに下ろした。

 ここで叩き壊すことも出来ない自分がどうにも嫌になり、代わりに拳を太腿に打ち付ける。


 さっきの白昼夢。ラノベの類を読み漁っている俺でも一笑に付すような内容だったが、そうはいかない。

 あれが紛う事無き現実であったことは、魂で理解させられている。


「……どうする?」


 そう呟いて、カーテンを閉め切って薄暗い自分の部屋を眺め回す。


 元いじめっ子の、現引きこもり。小学校のノリをそのまま中学に持ち込んだ俺は、あえなくデビューに失敗した。

 そして、一年の一学期のうちから引きこもりを開始し、以来この部屋で無為な時間を過ごしている。

 ネトゲ、web小説、動画漁り。粗方のコンテンツを消費してしまい、起きてからずっと時間の潰し方に頭を悩ませる日々。


 ……今の俺が、決して褒められた存在ではないことは自覚している。

 しかし、だからといって前世の業とやらまで背負わされて、地獄じみた世界に堕とされるというのは納得がいかない。


「……どうする?」


 俺の他に誰もいない部屋で、もう一度同じ言葉を呟く。


 今生のことは、もうどうしようもない。

 あの口振りでは、今から多少の善行を積んだところで無意味なのだろう。


 ……つまり、ヘルモードらしき異世界への転生も避けられない。


「……どうする?」


 同じ言葉を三度呟く。


 引きこもっていたのは、それなりに快適な暮らしだったからこそ。

 充実した人生などには全く興味はないが、過酷な世界で延々と苦しめられるなどというのは、さすがに御免だ。


 ……どうすれば、そんな未来から逃れられるのか。


 混乱と焦燥に心を満たされたまま、俺はノートにペンを走らせた。


     ◇


「……こんなものか」


 必死に知恵を絞り出し、ノートに記した文言の数々。

 転生先の世界がどんなところなのかは不明だが、説明された内容から剣と魔法のファンタジー世界を想定した。


 こんなものを真剣に考えざるを得ない自分の状況に、思わず乾いた笑いが溢れる。


 書き出したのは、以下のような内容。


・武術……剣術、格闘技、古武術など

・魔法……西洋魔術、陰陽術など

・内政……農業、鍛治、政治など

・生活……家事全般、サバイバル知識など


 どんなスキルでも構わないから予め付与しておいてくれよと思うが、腐り切っている俺にはそんな優遇措置は一切ないらしい。

 自力で何とかするしかない。


 知識チート系はネットなり本なりで何とかするとして、魔法は……役に立つかは分からないが、一応こちらでも調べておくか。


「……ちょっと待て」


 武術の項について考え始めたところで、はたと気づく。


 今生での鍛錬が来世の身体にも反映されるのかを心配する前に……そもそも、また人間に転生させるとも約束されていなかった。


 夢も希望もない異世界転生に、俺は頭を抱えた。


     ◇


 いくら悩んでも状況は好転しないので、俺はともかく行動を開始した。


 結局、最初に為すべきこととして選んだのは、最新のトレーニング理論の習得。

 何をするにもまずは身体が資本となるだろうし、一番手っ取り早く成果が出ると思ったからだ。

 できれば農業方面にも手を伸ばしたいところだが、『運命』とやらがどれだけ残っているのか分からない以上、優先順位をつけるしかない。


 加えて、もう一つ始めたのは、少しでも善行を積むこと。

 転生自体は避けられないにしても、何に転生するかくらいは配慮してもらえるかもしれないという、淡い期待からだ。

 ……虫にでもされてしまえば、トレーニングどころの話ではない。


 いつ以来か、トイレ以外の理由で自室を出て、久しぶりに顔を見た両親に頭を下げた。

 返ってきたのは、怒りではなく喜びの涙。


 何もかもがどうでもいいと思っていた自分にも、まだ痛むだけの良心が残っていたことに初めて気づいた。


     ◇


「……どうする?」


 机の上の入学願書の束を前に、ひとり唸る。


 普通なら中学卒業が目前の時期となっても、未だ俺の『運命』は尽きていない。

 結局、中学には一度も登校はしなかったものの、独学により最低ランクの高校に入れる程度の学力は身についている。

 本当は今さら学校の勉強などしたくはなかったのだが、内政チート系の知識を習得するには基礎学力を高めるしかなかったのだ。


 そう、今の俺は内政チート系にも手を出している。

 トレーニング理論については、ある程度の知識を得たところで実践練習に移行。座学に励んでいた頃よりは時間に多少の余裕ができたので、農業系を中心に勉強を始めたのだ。


「一応、受けておくか」


 紙片の束から、自宅から少し離れた場所にある農業高校の願書を探し出す。


 さすがに卒業まで『運命』が残っていることはないだろうが、何度か実習を受けておくだけでも意味はあるだろう。


     ◇


「……どうなっていやがる?」


 机に向かって座ったまま、俺はぐたりと脱力する。


 ……高校を卒業してしまった。


 中学までとは異なり、俺は毎日真面目に登校して真剣に授業を受け、放課後は剣道部で汗を流してきた。

 おまけに、人間関係が一新されたのに合わせて、人付き合いについても出来る限り頑張ってやってきた。

 どれもこれも別に乗り気ではなかったのだが、転生後のことを考えると、それらのスキルを身につけておいて損はないと判断したからだ。


 おかけで、成績は良好。教師には進学を強く勧められたのだが……さすがにそれは断った。

 その代わりに受けさせられたのは、もちろん就職試験。さほど多くもない候補から俺が選んだのは、近所の土建屋だ。


 本当は鍛治のほうに興味があったのだが、一人前になるのは相当時間がかかるだろう。

 それならば、今ある農業の知識から派生して、整地や穴掘りなどの土木技術を身につけておくのはどうか。

 そんな思惑をひた隠しにし、面接で土に対する熱い思いを語ったところ、あっさりと合格の通知をもらってしまったのだ。


「……さすがに抗議を入れてやりたいな」


 いつかよりは片付いた部屋の隅には、読破した本や使い古したダンベルなどが、山のように積み上げられている。


 俺にこうして無駄に足掻かせるのが神の狙いなのだろうが、ここまで引っ張るのは幾ら何でも悪趣味だ。


 そんな事を考えつつ、俺はベッドに身を投げ出し、布団をひっ被って眠りについた。


     ◇


「……貴様か。しぶといな」


 気づけば、そこはいつかと同じ真っ白な空間。

 目の前の老人は、舌打ちでもかましそうなほどに神々しい顔を歪ませている。


 ……しぶとい、と言われても困る。


「今にも消えんとする『運命』を無理矢理に繋ぎ止めているのは、我への嫌がらせか?」


 『運命』を繋ぎ止める……とは、一体どういうことか。


 考えられるのは、少しでもましなものに転生させてもらえるようにと、気持ち程度には心がけてきた善行。

 駄目元のつもりだったので、せいぜい道に落ちているゴミを拾ったり、何度か迷い人に道案内したくらいのものだ。

 あとは、さらなる業を積み重ねないないよう、ルールの遵守や生活習慣の改善を心掛けてきたくらいか。


「どうやら意図してのものではなかったようだな。それはそれで、余計に忌々しいな」


 ……何だ、それは?


 今さら遅いとか言っておきながら、やっぱり善行には意味があったんじゃないか。

 初めから分かっていれば、全力でボランティアでもやっていたぞ!


「その程度で、貴様が積み上げてきた業が帳消しになるものか。『運命』の終わりを僅かに先延ばしにするに過ぎない」


 どう足掻いても、天寿は全う出来ないということか。


 ……いや、善行には意味があるというのなら、ボランティアのみならず、思いつく限りの善行を死ぬ気で積み重ねれば現状維持くらいは何とかならないだろうか?


「全くもって忌々しい事を考えるやつだな。今さら、そのような生を送ったところで意味がないだろう」


 たしかに、神の言うとおり、善行に死力を尽くす人生なんぞ何の意味がある?

 おまけに、いつ『運命』が尽きるか分からない以上、来世のための準備のほうも怠るわけにはいかない。


 ……それでは今生もヘルモードに突入だ。


「……どうする?貴様が望むなら、今すぐその下らん『運命』を断ち切ってやるが」


 そんな神の誘いを受けて、長い長い熟慮の時間の末に意志を固める。


 俺は……

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ヘルモード世界への転生予告 鈴代しらす @kamaage

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