第1章 雪を待つ⑤

 それは食事をしているときも、教科書を開いているときも、あまつさえ人形作りをしているときも、頭の片隅に居座り続けた。指の間をすべり落ちる、なめらかな黒髪。繊細な髪に似合うすらりとした首筋と、そこから流れるような曲線を描く華奢な肩。

「天使先生」

 控えめに片手を挙げて、そっと呼びかけると、天使先生は微笑んで小首をかしげてからゆったりと立ち上がった。

 洋風の民家の一室を利用して造られたらしいちいさな天使人形教室は、出入り口を背に、大きな出窓に向かって作業机が並べてある。出窓にはいつも分厚いカーテンで覆われていて、それに寄り添うように置いてある椅子が、先生の定位置だった。

 おしゃべりは、ほとんどない。生徒は皆自分の人形と向き合っているから。先生はそれを、微笑みともつかない曖昧なやわらかい表情で、いつも眺めている。

「どうしましたか、黒須さん?」

「あの……迷ってしまって」

「道に迷っているのですね」

「道? いいえ、この子に」

 わたしが使わせてもらっている机の上には、粘土で形作った、まだ顔のない人形の頭がある。顔を作るために削って、再び埋めたあとがあることを、先生はきっと気づいている。

「迷うことは一概に悪いことではありませんよ。けれど、そうですね、少し向こうでお話をしましょうか」

 そういうと先生は床につきそうな長いスカートをひるがえして、教室の出入り口へと向かっていった。扉のそばで控えている、おかっぱの少女――確か実花さんといった――に二、三言何かを告げて、そのまま教室を出ていく。

 わたしは机の上をそのままに、先生を追いかけて教室を出た。わたし以外の生徒は今日ふたり来ていたけれど、どちらも自分の人形と向き合うことに没頭しているようで、わたしの方に視線を向けることもなかった。ただ実花さんだけは、わたしが教室を出るときに、無言でにらみつけてきたような気がする。元々涼し気できつめの顔立ちのひとだから、気のせいだったかもしれないけれど。


 教室を出ると、そこには小さな円形のスペースがあって、建物の外にでるための扉と、螺旋階段がある。スペースの中央にある螺旋階段を、すべらないように気をつけながらスリッパで上がっていくと、ハーブの良い香りが漂ってきた。

 螺旋階段を上がった先は、ちょっとしたサロンのような空間になっている。部屋の中央にはアイアンの丸テーブルとイスがあり、それらを取り囲むように観葉植物やハーブの鉢植えが置かれている。民家の二階なのに、温室のような雰囲気の不思議な場所。ここはいつもハーブの香りがして、呼吸をするのが気持ちいい。

 わたしは四脚あるうちのひとつの椅子に掛けると、テーブルにガラスのティーカップとハーブ入りのクッキーが置かれた。天使先生が手ずから淹れてくれるハーブティーが、小気味よい音とともにカップに注がれる。あたたかくて良い香りに、ふんわりと包まれる。

「さあ、召し上がれ」


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