第15話 リトの花

 天の子の予言が表れて以来ギクシャクしていたミリエルとリトの間の空気も少しずつ改善していき、ミリエルの新しい服のお披露目で二人はより親密な関係へと進んでいくように思えた。

 実際、少なくなっていた会話もほぼ以前と同様の頻度になり、リトも明るく賑やかに接してくるようになってはいた。


 そんなある日、ミリエルが書庫でまた別の新しい服の参考にと本を見ていたところにリトが入ってきた。

 彼も書庫のことはノルから知らされているということはミリエルも聞いていた。

 だが、書庫にリトが来るのは初めて、少なくともミリエルが気づいたのは、だった。


「書庫に来るなんて珍しいじゃないか、リト」

 ミリエルは軽く茶化すような感じでそう言った。

 もちろん、リトの大袈裟なふざけ半分の返しを期待してのことだ。


 そんなミリエルの期待に反して、

「ああ、俺も魔力の使い方をちゃんと考えなきゃと思ってな」

 と、口調こそ明るかったが、返答そのものはリトらしくない普通の答えだった。

「……そうか……」

 肩透かたすかしを食らったような形になったミリエルの返答も間の抜けたものになってしまった。


 万事がこのような調子だった。

(何かが違う……)

 ミリエルにはそう感じられた。

 そう、違うのだ、ミリエルの期待とは。

 良く言えば丁寧に接してくるようになったとも言えるが。

 別の言い方をするとすれば、

(どこか、よそよそしい……)

 ミリエルにはそう感じられてしまうのだった。


 ミリエルの新しい服を見た時のリトの反応に、彼女は少なからず手応えを感じていた。

(これで、また以前のように……もしかしたらそれ以上になれる……)

 そうミリエルは思ったのだが―――。


(一体どういうことだ……?)


 理由わけがわからず、ミリエルはベットに入ってからも悶々として寝付けない日々を送っていた。


 そんなある夜のこと。

(もしかしたら……!)

 ミリエルはあることに気がついた。

(私はやり過ぎてしまったのか……?)


 どのような服を作ろうかと頭を悩ませていたとき、

(リトはどういう服が好みなのだろう……?)

 と常にリトのことを思いながら考えていた。

 だが、そのことがかえって裏目に出てしまったのかもしれない。

 リトが好感を持てるような服をという気持ちが出すぎていたのかもしれない。

 それがリトにしたら重たく感じられたという可能性も十分に考えられる。


「……かわいい……」

 リトがそう言ってくれた時、ミリエルは恥ずかしさを感じながらも、

(この服を作ってよかった)

 と、嬉しさが胸にあふれた。

(……なのに……)


 また別の日に書庫でリトと一緒になった。

 リトが何を読んでいるのかが気になって、ミリエルはリトが手にしている本を覗き込みながら聞いた。

「何を読んでいるのだ?」

 リトが開いていたページには挿絵があり、何種類かの草花の絵が描かれていた。


「ああ……植物関係の本さ」

 リトは、一度本から顔を上げてミリエルを見て軽く微笑みながら答えると、すぐにまた本へと注意を向けた。


「……そうか……」


“最近は随分と勉強熱心なんだな”などと、少し茶化してみようかとも思っていたが、何故か言葉に出せず、またしても拍子抜けした答えをしてしまうミリエルだった。


 そんな日々を送っているうちに、夏も終わりに近づき谷にも秋の気配が漂ってきた。


 その日はリビからパンなどの食料品が届く日だった。とは言っても、実際に届けてくれるのは彼女の実家の使用人だが。

 リビの実家は谷の東に馬で半日ほど行ったところにある大きな村を中心とした地域の領主らしい。

 ミリエルとリトが小屋に住むようになってから、リビは週に一度ほどこうして焼き立てのパンや野菜、燻製肉や腸詰め肉などを彼女の実家から届けさせてくれるようになった。

 代わりにこちらからは谷の周辺に自生している珍しい薬草やキノコ類などを差し出していた。


「焼き立てのパンは本当にいい匂いよねぇ」

 ユラが荷車から下ろされたばかりの丸くて平たいパンを手にして言った。

「ですよねぇ、俺も大好きです」

 リトが野菜などを荷車から下ろしながら、横目でミリエルを見て言った。

 ミリエルは下ろされた野菜を野菜箱に入れようとしているところだった。


「すぐに昼の用意をしようと思うんだけど……」

 リトがややもの問いたげに言った。

 下を向いていたミリエルは顔を上げ、リトを見て言葉を待った。


「えっと……」

 リトにしては珍しく歯切れが悪い。

 と、その時、

「おおーーなんと今日は美味そうな葡萄酒もあるではないかぁーー!」

 ノルが大きな声で、後から思えばやや不自然なくらい大きい声で、聞こえよがしに言った。


「あら?」

 とユラがすかさず反応した。

「ユラも好きじゃろ、葡萄酒」

 ノルが言うと、

「ええ、もちろんよ」

 と、とてもいい笑顔で答えた。

「となりゃあ、すぐにでも味を見なきゃならんのう」

 とノルが言えば、

「そうねぇ、葡萄酒ですものねぇ」

 と、普段はお酒は日が沈んでからと厳しく言っているユラが珍しくノルに同調した。

「というわけで、儂らはちと酒盛りでもしようかと思うんじゃが、お主らはどうするかの?」


 思わぬ急な展開にミリエルはどうしていいか分からずにリトを見た。

 するとリトはミリエルを見て言った。

「よかったらだけど……簡単な昼食を作って出かけるってのはどうかな……俺たち二人で……?」

 彼の笑顔には心なしか緊張が感じられた。


「……」

 予想だにしていなかったことにミリエルは咄嗟に言葉が出てこなかった。

(でも……これって……)

 リトの目を見るミリエルにも彼の緊張が伝わってくる。


「あら、いいじゃない、行ってらっしゃいな」

 ユラが機嫌よく言うと、

「そうじゃそうじゃ。若いもん同士楽しんでこい。儂らは年寄り同士でよろしくやるからの」

 とノルも調子に乗って言った。

って言うのはやめてもらえるかしら、ノル」

 ユラが冷ややかに言う。

「まあまあ、良いではないか良いではないか、はははは!」

 ノルがご機嫌な様子で答える。


 こうしてミリエルとリトは、リトが手早く整えた昼食を携えて秋の気配が漂う晩夏の谷を歩き始めた。


 今日のリトは多弁だった。

 元から話好きな彼であったが、今の彼は話が途切れて二人の間に沈黙が訪れることを恐れるているかのようだった。

 ミリエルも普段ならリトの話の合間に鋭い言葉を挟んで、良い意味で緊張感のある会話をするのだが、今は相槌を打つのが精一杯だった。


(……どっちなのだろう……)

 ミリエルの頭の中はリトが彼女と「二人で」と言った時から一つのことでいっぱいだった。


 天の子の予言を知った時、ミリエルは驚愕するとともにその理不尽な内容に極度に動転した。


 だが、ユラから話を聞き、リトに対する自分の気持ちを少しずつひもといていくと、彼に対して仲間意識以上の感情を持っているということにミリエルは気づいた。


 そして、仮に予言で天の子の言及が無かったとしても、リトとの関係を親密にしたいという気持ちは変わらないだろう、と今では確信に近い気持ちでミリエルは思っている。


 その一方で。

(リトはどう思っているのだろう……?)

 ユラの言葉によれば、ミリエルもリトも予言を拒否する余地はある。

 つまりリトがミリエルを選ばないという選択肢もあるということだ。


(リトが私を選ばないこともあり得る……)

 そう考えただけで、絶望と言ってもいいくらいの恐怖がミリエルを襲った。

(そんなこと……そんなこと……)


 どれくらい歩いたであろう。

 二人は谷と森の境界近くにある窪地の縁に来ていた。


「……わぁ……」

 その窪地を見てミリエルが小さく感嘆の声を上げた。

 幅が7、8歩、長さが30歩、深さが膝丈ほどの窪地が一面ピンク色の花で埋められていたのだ。

 それは長い茎の上に小さく可愛らしいピンク色の花弁をつけた花だった。


「これをミリエルに見てもらいたかったんだ」

 そう言うリトの声には、控えめながら心持ち誇らしさも感じられた。


「……綺麗……とっても」

 夢見心地で呟くミリエル。

「この花、名前は知らないんだけど、実はもう盛りは過ぎているんだ」

 リトが言った。

「えっ……?でも、こんなに……」

 ミリエルが不思議に思って聞いた。

「2週間くらい前にほとんどの花びらは落ちちゃったんだけど、俺が力を注ぎ込んで……」


 そう言いながら、リトは屈んで地面に落ちている枯れてしまった花の茎を拾った。

 そして手に持ったその茎を念を入れるように額に寄せた。

 すると、茶色く変色した茎が瑞々しい緑色に変わっていき、やがて、ピンク色の花弁が縁を飾った。


 ミリエルはリトの手で繰り広げられている光景を驚愕の目で見つめた。

「リト……凄い……!」

 リトは自らの手によって再び鮮やかな花弁を咲かせた花をミリエルに差し出した。

「……ミリエルに」

 リトは照れながらも厳かに言った。


「リト……」

 ミリエルは感激のあまり手が震えてしまいそうだった。


(だめだ……!震えるな、私の手!)


 ミリエルは心を落ち着かせようと小さく深呼吸をして、リトが差し出している花に手を伸ばした。



 その時――――。


 ミリエルやリトはもちろん――――。


 この世界の誰も――――。


 ユラやノルでさえも――――。


 全く予想していなかったことが起こった――――。



ドンッ!!!!


「「!?」」

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