ハンターのすすめ

ぎざ

ハンターのすすめ


「行ってきまーす!!」

 僕は家を飛び出した。どうしてかって? 遅刻ギリギリだからさ。ギリギリ遅刻、いや、完全に遅刻だ。

 寝癖が飛び跳ねた髪のまま、僕はクロワッサンをかじりながら学校まで走る。

 曲がり角をダッシュで曲がる。

 登校途中の曲がり角と言えば、かわいい女の子とばったりぶつかって、その後自分のクラスにそのかわいい女の子が転校生としてやってきて、ラブコメが始まる〜というマンガのお約束みたいな流れがあるけれど、この曲がり角で誰かとぶつかったことは今まで一度もなかった。

 なぜなら、僕がこの曲がり角を曲がる時、学校のチャイムは既に鳴っていて、登校時間はオーバーしているからだ。転校生もまさか、初日一日目から遅刻してくるような馬鹿な真似はしないだろう。

 チャイムが鳴り終わり、ホームルームが終わってから僕はいつも通り教室に到着した。

「おはようございます。先生」

「あのな、山西。いつもいつも言っている事だが、遅刻はするな」

「すみません」

「謝ればいいと思っていないか? ホームルームが始まる前にきちんと登校するというのはひとつのマナーだ。これから社会に出ていくとして、最低限の約束だ。こんなことひとつ守れないようじゃ、誰からも信用されなくなるぞ」

「はい、すみません」

 僕は実際謝ればいいと思っていた。悪いと思わない人もいれば、悪いと思っても謝らない人もいるとパパに聞いた。その点、僕は自分が悪いと思っているし、きちんと謝ることが出来るちゃんとした大人になれると思う。

 だけれど、ホームルームに間に合うように朝起きたら睡眠時間が足りなくなる。先週発売したばかりのゲーム、デーモンスターハンターGをやりこまなくてはならない。成長目覚ましい僕の睡眠時間を削るわけにはいかない。泣く泣く僕は授業に間に合うギリギリに起きるしか選択肢は残ってないのだ。ホームルームに出なくったってなんとかなると思っていた。

 起きたらすぐに家を出なければ間に合わない。鏡を見て身だしなみを整える時間も、寝癖を直す暇も、僕には無い。たった5分ですら睡眠時間にあてたい。

 生協で買っているクロワッサンをかじりつつ、学校までダッシュする。学校は走って5分程度。信号に引っかからなければ、もう少しゆっくり走っても着く。

 なーんて走っていたら、曲がり角で人とぶつかった。

 かわいい女の子? いいや。背の小さなおばあさん。

 コロコロと転がった丸いもの。僕は咄嗟にそれをキャッチした。ゲームに出てくる凍翠玉というレアアイテムに見えたから。

「お、おおおお。寝癖少年。ありがとう。私の大事な水晶を拾ってくれて、助かったよ。どうじゃ少年。ちと、占ってやろうか」

 おばあさんは占い師だった。僕がキャッチしたのは水晶。遅刻は確定だったので、せっかくの機会だから聞いてみることにした。

 水晶を左手の手のひらの上に乗せて、おばあちゃんはうんうんとうなって、目を見開いた。

「そなたは、恋をする準備ができているのかい?」

 僕は目が点になった。恋?

「運命の出会いはいつ起こるかわからない。明日の朝、運命の出会いが訪れるかもしれない。5分後に相手の心をときめかせる準備をしておくのじゃ!」

「相手をときめかせる準備? イケメンじゃないんだから、恋なんて、そんなの僕には無理な話だよ」

「そなたが無理だと考えていたとしても、運命の出会いは突然やってくる。そんな一大イベントを、そなたは何の準備もしないまま、迎えてしまうのか、と言っておるのだ」

「準備って言ったって、何を準備するのさ」

「登校中、角を曲がったところで美少女とぶつかったとする。寝癖でボサボサの、遅刻して授業中は寝て、テストの点数も悪い冴えない君に、その美少女が恋すると思うかね」

 ぐさっ。おばあちゃんの言葉が僕の心に刺さる。

「そなたの顔を見れば誰でもわかることじゃ。その寝癖を見れば、鏡なんてろくに見ていないことは想像できる。この時間に登校するということは、遅刻じゃ。夜更かししてゲーム三昧じゃろう? 授業中は寝て過ごして、テストの点も良くないじゃろう?」

 ぐさぐさっ。

「それなら、そなたにも分かりやすいたとえで話してやろうかのう」

「……お願いします」

「そなたがドラゴネス改悪種を倒したい時に、装備もアイテムも貧相な状態で挑むのかな?」

「ド、ドラゴネス改悪種……!?」

 デーモンスターハンターGのソフトパッケージにも描かれている、今作におけるボスだ。このおばあちゃん、あのゲームを知っているのか。

「ドラゴネス改悪種を倒すためには、武器も装備も、食料もアイテムも、『絶対に倒す』という万全の準備をして挑むんじゃろう? それが真のデーモンスターハンターじゃ。優れたハンターは、準備をおこたらない。そうじゃろう?」

「た、たしかに……」

 そう言われればそうなのだ。僕は美少女と曲がり角でぶつかる準備がまったくできていない。今ぶつかったとしても、ドラゴネス改悪種にけちょんけちょんにやられるがごとく、何も出来ずにそのイベントを終えることになるだろう。

「本当にそなたが、恋をしたいのなら、恋をされたいのなら。その準備をしなされ。なに、一日5分程でいい」

「たった5分でいいの?」

「あぁ。朝起きたら鏡を見るのじゃ。その時の自分が、美少女と出会う準備ができているのか、自分が相手の美少女になったつもりで、自分をチェックするのじゃ。」

「美少女になったつもりで?」

「寝癖を直したり、飛び出たシャツをズボンにしまったり、歯磨きしたり、顔を洗ったり、出来ることはたくさんある。ひとつずつ準備をしていくのじゃ。できるかな?」

「5分でいいなら、やってみようかな」

「やってみようと思うまでが1歩。やってみることでまた1歩。先に進むことが出来る。実際にやり始めるまでが長いんじゃが……、ま、私が言えるのはここまでじゃ。あと半年後……」

「え? なんだって?」

「いや。なんでもない。じゃあな。寝癖少年」

 そうして僕は学校に着いた。遅刻だった。既に授業が始まっている。

「先生。占い師のおばあさんを助けていたら遅刻しました」

「そうか。いつも言い訳しないお前だから、きっと本当のことなんだろうな。次は占い師のおばあさんを助けたとしても、遅刻しない時間に来ような」

「はい」

 授業中寝ていたので、授業の内容は覚えていないが、占い師のおばあちゃんに聞いた事、僕はそれだけ覚えて家に帰った。



 ◆



 次の学校の日。

 僕はいつも通りの時間に起きた。やばい。遅刻だ。

 鏡なんて見ている暇はなかった。

 そうか。鏡を5分見るだけの時間が僕には無かった。

 明日は5分だけ、早く起きてみよう。睡眠時間が5分ちょっと減ったところで僕はへっちゃらだ。

「先生、遅刻してすみませんでした」

「寝癖、はねてるぞ」



 ◆



 翌日。

 僕はいつもより5分だけ早く起きた。やばい。遅刻だ。

 しかし鏡を見る暇は少しだけあった。

 鏡を見ると、左側の髪が不自然に飛び跳ねていた。

 こんな髪型で僕は毎日学校に行っていたのか!

 これではせっかく美少女と出会っても相手はときめかないだろう。寝癖が気になってしまって目が合わないし、話がまともにできない!

 僕は寝癖を直した。しかしこの寝癖。ちっとも直ってくれない。気づいたら5分を過ぎていた。

 あーもう! 明日はもう少し早く起きなきゃだ!!

「先生、遅刻してすみませんでした」

「おう。寝癖、あともうちょっとだったな」



 ◆



 翌日。

 僕はいつもより15分早く起きた。やばい。遅刻だ。

 鏡を見る。僕はにやりと笑った。

 ふっふっふ。今日はにっくきこの寝癖をやっつけてやるぜ。その時間が僕にはあった。遅刻だけど。

 いくら水で濡らしてもピンッと跳ねやがるコイツ。朝風呂を浴びることで完全にリセットだ。

 シャワーを浴びるだけに留めたので、時間も15分で済んだ!

 ……あ。

 身体を拭いて、髪を乾かす時間を忘れていた!!

「先生。遅刻してすみませんでした」

「今日はいつもより20分も遅刻してきたな。髪びっしょびしょだけど、どうした?」



 ◆



 翌日。

 今日はいつもより30分早く起きた。朝風呂浴びて、ドライヤーを使うと少しだけ余裕が出来た。遅刻する時間だけど。

「先生。遅刻してすみませんでした」

「寝癖は直ってるけどな。遅刻したら元も子もないんだぞ」

 僕は寝癖を直すためにいつもより30分早く起きた苦闘の冒険を熱烈に話した。授業中に。

「あのな、山西。お前くらいの髪の長さだったら、夜にナイトキャップをかぶっておけば、寝癖は防げると思うぞ」

「ナ、ナイトキャップ?」



 ◆



 翌日。

 いつもより30分早く起きた。急げば間に合う時間だ。

 ただ、僕は5分、鏡を見てチェックしなければならない。

 ナイトキャップをかぶって寝たおかげで、寝癖は気にならないほどに落ち着いていた。

 ね、寝癖が少ない……! ナイトキャップすげー!

 早く起きたついでに顔を洗い、歯磨きをして、身だしなみを整えた。

「ん?」

 よく見ると、肌が荒れていた。夜更かしのせいだろうか?

 僕はこんな顔をしているのか。不健康そうにも見えた。

 それに、猫背で、姿勢も悪い。

 夜更かしを少しやめてみようかな。目の下を軽くマッサージしてみた。

 加えて、背筋を伸ばして歩くよう心がけようと思った。

「あ!」

 やばい。遅刻だ!!

「先生。遅刻してすみませんでした」

「身だしなみはいい感じだな。あとは遅刻をするな」

「先生、なんでもっと早くナイトキャップ教えてくれなかったんですか!!」

「ナイトキャップの件はすまない。で、今日は週末の小テストがあるぞ。それは教えてあったよな?」

「え?」

 小テストの結果は散々だった。

 授業をきちんと聞いていれば、簡単な内容だと先生は言う。

 テストの前日だけ慌てて勉強するよりは、毎日勉強したところを復習するだけでも違う。

 僕はその日から、授業中寝ないように夜更かしをやめ、その日の授業内容を復習してみようと思った。復習の時間は、最初からがんばっても続かないから、まずは5分だけ。



 ◆◆◆



 半年後。

 半年前より1時間は早く起きていた。

 今は夜更かしもやめているので、起きるのはへっちゃらだった。

 ゲームをまったくしなくなった訳では無いけれど、きちんと時間を決めて必要以上にしなくなった。

 家に帰ってから僕がやれることは、ゲーム以外にもたくさんあったからだ。

 ママの手伝い、宿題、その日の復習、パパと将来のことについて話したりした。将来設計は大事だ。美少女は将来があやふやな男に振り向かないだろうから。

 まだ見ぬ美少女のために、筋トレも始めた。すると夜になるともう、すぐに眠たくなってしまうのだった。

 今日は小テストの日だけれど、復習を毎日15分ほどしているので、問題ない。

 寝癖も無し、顔を洗い歯磨きをする。余裕のある朝だ。

 身だしなみのチェックは5分で十分だった。前日のうちにほとんどのことは準備をしてあった。

 優れたハンターは、準備をおこたらない、か。

 鏡に映った僕を見た。占い師のばあちゃんに会った時とは全然違う。寝癖もない。肌のツヤもバッチリだ。授業中寝てばっかだった僕は、今や次のテストが楽しみで仕方がない。

 たった5分だけ。鏡を見ればいい。

 僕の目はまっすぐ前を見ている。美少女に出会う準備は万端だった。今の僕なら、美少女だってスルーしないで、きちんと僕を見てくれるのではないだろうか。

「ほら、ぼーっとしてないで。遅刻するわよ!」

 ママの声が聞こえた。そうだ。遅刻はよくない。

 最低限のマナーだ。美少女といざデートできることになっても、いつも遅刻ばかりだと、急に時間通りに動くことはできない。普段の行いからきちんとしておくべきなのだ。

 朝ごはんを食べて、ゆっくりと靴を履き、玄関を出る。

 学校へはゆっくりと歩いて10分ほど。

 あの曲がり角までは、5分くらいか。

 さぁ。いつでもいい。美少女よ、ドンと来い。

 その曲がり角を曲がって僕にぶつかってくるための準備はできている。


「行ってきまーす!!」

 今日も元気よく、玄関を飛び出した。

 今日はなんだか、良いことが起きる予感がする。

 5分後の僕に、幸あれ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハンターのすすめ ぎざ @gizazig

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ