ちょこっとチョコ定を

つくのひの

ちょこっとチョコ定を


「オカヤマくんは、うちのファミレスに来てから、社内コンペは今回が初めてだよね」

 とヤマグチさんが言った。

「はい。でも、シマネ課長からは話を聞きましたので、だいたいわかってるつもりです。春フェアのメニューになるんですよね」

 ヤマグチさんは頷いた。

「うん、そう。フェアメニューの三品はもう決まってて、残りの一品がこのコンペで決まる。初めてで不安もあるだろうけど、大丈夫。私に任せて。今回は春っぽく『チョコマヨ丼』でいくから。商品開発課代表として、一緒にがんばろうね」

「はい? いや、もちろん頑張りますけど。チョコマヨドン?」

「うん、そう。『チョコマヨ丼』」

 ヤマグチさんは微笑んだ。


 聞くのが怖いけど、聞いておかないといけないだろう。

「それは、何ですか?」

「うん、じゃあ、作りながら説明します。まず、どんぶり椀に白ご飯をよそいます。次に、その上からチョコソースをかけます。かけすぎず、それでいて満遍まんべんなくかけてください。白いところが見えなくなりそうなくらいがベストです。次に、その上からマヨネーズをかけます。格子状にかけてください。最後に紅生姜を中央に載せて、完成です。はい、どうぞ」

 ヤマグチさんはどんぶり椀を僕のほうへと押しやった。

 チョコにマヨネーズ、そして、どんぶり。

「はいどうぞ」

「いえ、あの、すみません。今日は体調がよくなくて」

 ヤマグチさんは目を細めて、僕の目を見つめる。

 しばしの沈黙(五秒くらい)。

 ヤマグチさんは眉を一つ上げてから口を開いた。

「ははあ、なるほど。不味そうとか思ってるでしょ。食べてもいないのに料理の味を判断するなんて、人としてまだまだ甘いな。チョコとマヨネーズの組み合わせは海苔の佃煮みたいになるんだから。海苔の佃煮と白ご飯の相性は抜群でしょ。つまりは美味しいということなのです。オカヤマくん、料理が甘いのはいいことだけど、人として甘いのはいただけないぞ」

 それなら海苔の佃煮でいいのでは、とは思っても口にはしなかった。

「いや、見た目は綺麗ですから、食べてみたいのですが、お腹の調子が?」

「うん、綺麗でしょ。わかってるじゃない。料理は見た目が大事だからね。そうか、本当に調子が悪いのか。それならしょうがないね。私が食べよう」


 しあわせ、と言いながらどんぶり椀の中身を減らしていくヤマグチさんを見ていたら、僕は催眠術をかけられているような気持ちになってきた。


「美味しかったですか?」

「うん、美味しかった」

 ヤマグチさんは満面に笑みを浮かべる。しかしその笑みはすぐに消えた。

 ヤマグチさんは、首を横に傾けて(三十度くらい)、口を開いた。

「でも、このままだとメジャーにはなれない気がする。老若男女、甘いものがあまり好きではない人にも食べてもらえるような、そういう料理を目指すなら、ちょっと改良が必要かも」

「たとえば、どのような?」

「うん、たとえばね、チョコソースに塩味を加えるとか、どうかな。塩チョコレートとか塩キャラメルとかあるじゃない。どう思う? アリかな」

「アリかナシかときかれたら、チョコをご飯にかけること自体、ナシだと答えたいです」

「オカヤマくん、まだまだ甘いね。チョコに限らず、甘いものをご飯にかけるのはぜんぜんアリです。前回もそれで美味しい料理ができたわけだし」


 前回、何を作ったんだろう。聞くのが怖いけど、話の流れ的に聞かないといけない気がする。

「ちなみに、前回はどんな料理を作ったんですか?」

「前回はね、『あんこマヨ丼』を作った」

「アンコマヨドン? と言いますと?」

「まあ文字どおりのものね。どんぶり椀にご飯をよそって、ご飯の中央にあんこをこんもりと盛ります。その上からマヨネーズを全体的に細く格子状にかけて、最後に刻み海苔をぱらぱらと散らしたら、はい、『あんこマヨ丼』のできあがり」

「それは、なんと言いますか、独創的っぽいですね」

「もしかして、不味そうとか思ってない? 言っときますけど、あんことマヨネーズは合うんだからね。あんことマヨでマロンクリームみたいになるんだから」

「それって、白ご飯に合うんですか?」

「あんこは、おはぎがあるじゃない。マヨネーズだって好きな人はご飯にかけるでしょ。マロンだって栗ご飯があるじゃない。それぞれが白ご飯に合うんだから、それを組み合わせたものが白ご飯に合わないはずがないって、ふつうは思うじゃない?」

「思わないです」

「悪くはなかったんだけどね。インパクトもあったし。おはぎがね、白ご飯じゃなくて餅米なんだよね。そこはちょっと誤算だった」



「今回こそ負けられないからね。満を持しての『チョコマヨ丼』で、がんばろうね」

「チョコレートにこだわるのなら、いったんご飯からは離れませんか? デザートにするとか、メイン料理ならせめてパンにするとか」

「いいえ、メイン料理を開発してこその商品開発担当者です。ファミレスでメイン料理といったらご飯ものでしょう。だから、ご飯ものを作ることは絶対なのです。そこは譲れない」

 ぐぐぐっとヤマグチさんが身を乗り出して僕を見つめる。黒い瞳がチョコに見えてきた。

「わかりました。それでは塩味のチョコソースはどうしますか? あらかじめ仕込んでおくんですか? それともオーダーが入ってから、チョコソースに塩を加えるんですか?」

「オーダーが入ってからだと面倒じゃない? それに、塩の分量をいちいち計るわけにはいかないだろうから、目分量になるだろうし。それだと味にかなりのぶれができそう。仕込んでおきたいね」

「混ぜる時は温めるんですか? 温めた後は冷やしていいんですか? チョコソースを冷蔵庫で冷やしたらチョコになったりはしませんか?」

「え? チョコになるの?」


「わかりました。ヤマグチさんは次のミーティングまでにチョコソースをどうするか考えておいてください。僕は広報課のコウチさんに聞いてみます。確かお菓子作りが趣味でしたよね、コウチさん」

「むむ。正直、コウチさんに聞くのはおすすめできない」

「どうしてですか?」

「だって、前回の優勝者だからね。うちのライバルじゃない」


 チョコソースが甘いままか、それとも塩味が加わるかは、ご飯にかけるなら(かけないでほしい)死活問題である。ここは譲れない。

 むむむと唸ってヤマグチさんが口を開く。

「よし、わかった。じゃあこうしよう。あたかもオカヤマくんがお菓子作りに興味があるだけみたいに振る舞って、チョコソースの作りかたを聞いてきて。それで、コウチチームが何を作るのか、探りを入れてきて。その時はなるべくこちらの情報を明かさないように、うまくぼかしてね」

「いや、べつに隠さなくてもよくないですか」

「だめよ。何がヒントになるかわからないでしょ」

「でも、こちらはアドバイスをもらう立場ですよね。こちらの情報を伝えたほうが、より正確なアドバイスをもらえませんか」

「こちらの情報は伝えずに、正確なアドバイスはもらってきて。しかたなく手の内を明かす場合は必要最小限にとどめて。そして、相手の手の内は可能なかぎり暴露させて」

「なんか、せこいですね」

「いいの。これは勝負なんだから」



「市販のチョコソースには固まらない成分が含まれてるから。冷やしても固まらない。でも」

 コウチさんは眉根を寄せた。

 お菓子作りに興味があるだけで、今回のコンペとは関係ないんですけど、と僕は前置きをした。

 しかし、そこはさすが前回のチャンピオン。鋭い。

「まさか、ご飯にかけるわけじゃないよね」

「一応、異議は唱えました」

「またかあ」

 コウチさんは大きく息を吐いて、首を横に振った。

「いや、別にだめとは言わないけどさ。ホント好きだよね、そういうの」

「オリジナリティを追求しすぎた結果、迷走してしまったのかもしれません」

「まあ、アイデアは多いにこしたことはないんだけどさ。そのためのコンペなんだし。でもなあ、ご飯にかけるのはなあ。ええと、オカヤマくん、君は今回が初めてなんだっけ」

「はい、そうです」

「じゃあ知らないか。前回のアンコも凄かったけど、その前のイチゴソースも凄かった。試作品評会は何かの修業かと思ったわ」

 イチゴソース? まさかご飯に? いや、聞かなかったことにしよう。

「それで今回はチョコソースかあ。塩味にしてもなあ。デザートを作ればいいのに」

「一応、進言はしました」

「オカヤマくん、君にかかってる。試作品評会でみんなを苦しませないで。がんばって。期待してるからね」

「はい、尽力します」



 僕の作った塩味のチョコソースを味見したヤマグチさん。眉間にしわを寄せて低く呟いた。

「そうなんだよねえ。こうなっちゃうんだよ」

「何がですか? コウチさんに教わったこのチョコソース、何か問題がありますか?」

「うん、これだとせっかくのチョコの甘さが半減してしまうよね。私も試してるうちに気がついたんだけど。それでね、一つ考えたのが」

 ヤマグチさんは上目づかいに僕を見てニヤリと笑う。

「砂糖をね、足そうかなって」

「サトウって、あの甘い砂糖ですか? シュガーの」

「そう、その砂糖。ほら、塩味が弱いと、ご飯にかけたら塩味がよくわからなくなるじゃない。それならチョコだけでいいって話になっちゃうでしょ。だから塩をさらに足すじゃない。それでだんだん増えちゃったんだよね、塩の量が。そしたら塩辛くなるじゃない。その塩辛さを相殺するためにね。逆転の発想で」

 右手の人差し指を立てて、得意げに微笑むヤマグチさん。その指先が指し示す先を目で追った。

 天井の蛍光灯が眩しい。この光の白さは塩の白さか砂糖の白さか。いや、砂糖には黒いものもあったっけ。

 僕は目を閉じた。白と黒。

 そのとき、僕の脳裏で希望の光が閃いた。

 おにぎりだ!



「どうですか?」

 と尋ねた僕に、ヤマグチさんはううんと唸って答える。

「全体的に塩辛いね。オペレーションも煩雑だし」

 そう。まったくその通り。

「味には自信があったんですけど」

「うん。美味しいのは美味しいんだけどね。これだとチョコの存在感がまったくないよね」

 僕の作った『にんにく醤油のチョコマヨ焼きおにぎり』は、にんにく醤油のタレをたっぷり塗った焼きおにぎりに、塩味のチョコソースとマヨネーズをかけた一品である。

 ヤマグチさんの言う通り塩辛いし、焼きおにぎりを作るのに手間がかかる。

「おにぎりを作るための型があれば、オペレーションは改善されると思うんですけど」

 ヤマグチさんは首を横に傾けて(約三十度)、斜め上を見ていた。肯定的な反応には見えない。

 そんなヤマグチさんに僕は尋ねる。

「チョコソースに砂糖を足す件はどうなったんですか?」

「うん、今はね、イチゴソースを足そうかなって、考えてる」

 イチゴソース。デジャヴだろうか。

 聞かなかったことにしたいけれど、聞かないわけにはいかないだろう。

「どうして、イチゴソースを?」

「うん、塩を入れた後に砂糖を足してたんだけど、砂糖を入れると甘くなるじゃない。だから別の味が欲しくなったんだよね。でも、そこに辛さを足したら、また甘さを足したくなって、堂々巡りになるでしょ。だからね、甘さと辛さ以外の味をって考えたら、酸味かなって。並行思考で閃いたんだよね。イチゴソースだ!って」

 得意げに微笑むヤマグチさんが右手の人差し指を立てた。その指の指し示す先には天井の蛍光灯がある。眩しい。光の中に吸い込まれそうだ。

 僕は目を閉じる。まぶたの裏に光の残像が輪を描いた。輪っか。

 そのとき、僕の脳裏に奇跡の閃光がほとばしった。

 ハンバーガーだ!


 しかし、ご飯ものではないからと却下された。



 ヤマグチさんがトレイを置く。トレイにはどんぶり椀と普通サイズの茶碗が載っていた。どちらの中身も白ご飯。

「初心にかえろうかなと思って」

 ヤマグチさんはトレイを僕のほうに押しやって微笑む。

「はいどうぞ。『チョコレート定食』です。どっちのご飯にもチョコソースをかけてください。チョコソースをかけたご飯をおかずにして、チョコソースをかけたご飯を食べます。シンプルイズベスト。原点回帰です」

 初心にかえるというのはよいことだと僕は思っていた。どうやら違ったようだ。初心にかえってはいけないこともある。

「なんというか、甘そうですね」

「そう、甘い。つまり、美味しい」

 甘さ=美味しさ、という謎の等式を定義するヤマグチさん。顎を上げてふふんと得意げに笑った。

 僕ではヤマグチさんを止められないのかもしれない。

 いや、まだだ。まだ終わっていない。諦めたらそこで試合終了だ!


『チョコレート定食』は、ふたりで食べた。



「僕の自信作です」

 紆余曲折あった。

 甘さと美味しさのバランスを見失いつつあった。

 パンを使わせてもらえるように説得した。

 トーストを作った。

 パスタも作った。

 抹茶チョコも使った。

 チョコ茶漬けも作った(ヤマグチさんが)。

 白ご飯にチョコアイスを載せた(二度目の原点回帰)。

 イチゴソース御膳ごぜんも作った(迷走中)。


 そしてこれが僕の最終兵器リーサル・ウェポン、『チョコチーズバーガー』だ。


「お、これは美味しいかも。なるほど。チョコとチーズの組み合わせは盲点だった。やるじゃない、オカヤマくん」

 うんうんと頷きながらヤマグチさんは言葉を続けた。

「よし、じゃあ、これを白ご飯にかけてみよう」



 さらなる紆余曲折があった。

 チーズとキャベツは合うよね。

 千切りキャベツを載せよう。

 キャベツならチーズよりマヨネーズかな。

 千キャベはいらないかも。

 

 やがて辿り着いた。

 どんぶり椀に白ご飯をよそって、その上からチョコソース(甘い)をかける。さらにその上からマヨネーズを格子状にかける。最後に紅生姜を中央に載せる。完成。

 なぜか不思議と懐かしさを感じる、見た目も春の装い鮮やかな、これこそが『真・チョコレート丼』だ。


 名称に関しても、ちょっとした紆余曲折があった。

『真・チョコレート丼』だと音が強すぎるとか、前回は名称に問題があったとかいう意見があって、どんぶりであるにもかかわらず、『真・チョコレート定食』になった。

 さらには、『真・チョコレート定食』だと語呂が悪いという意見があって、『チョコ定』という正式名称に決まった。



 そして、試作品評会。


『チョコ定』を見て、コウチさんは顔をしかめた。慎重な手つきで一口食べる。コウチさんの目が見開かれた。

「美味しい……」

 室内にざわめきが広がっていく。

「これは!」

 エヒメ部長が声を上げた。

「よく頑張りましたね」

 シマネ課長は涙ぐんでいる。

「今回の優勝はこれで決まりだな」

 カガワ社長が言った。


 ヤマグチさんが僕を見た。

 僕は右手を掲げて掌を広げる。

 ヤマグチさんの右手が僕の右手に勢いよく合わさって、爽やかな音が高らかに響いた。

 ヤマグチさんの顔には満面の笑みが広がっていた。



 フェアメニューは期間限定となっております。もしよろしければ召し上がってみてはいかがでしょうか。


 ちょこっとチョコ定を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ちょこっとチョコ定を つくのひの @tukunohino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ