二十二話 地と空からの異形

 乾いた砂の音が谺する。

 崖に挟まれた砂河を渡る僕らの舟は、始めはゆっくりとした速度だったが徐々に砂の勢いに合わせて加速していった。後続のリアンとノンの舟は着いてきているのか気になって振り返ると、付かず離れずの位置にいる。舟の底にわずかに魔術の気配がするので、何かしらの術式で制御されているようだ。

 向かいに座る男が黙っている僕たちを一瞥して、何か閃いたように手を打った。


「あ、そうそう、せっかくですし自己紹介しておきましょうかね。あたしはスティンと申します。この辺りで商売をやってる者です、以後よしなに」


 ニッと笑った顔で、スティンは手を差し出す。僕より先にアルフェが握手をした。


「ボクはアルフェ」

「倫だ」

「アルフェさんにリンさんですね。お二人はこっちの人たちじゃなさそうですけど、どちらからいらっしゃったんです?」

「ボクたちは刻の国から来たんだ」


 刻の国は玄の国と隣り合う、ノエスティラ最古の都市と言われる歴史ある国だ。アルフェの言葉はもちろん嘘だが、方角的には同じであるし軍は刻の国周辺の警備もしている。この軍服では一目で玄の国の軍人と気付かれることは無いだろうが、嘘をつく必要があるのか?アルフェにとってはあくまでも、この旅は軍とは関係の無いものであると線引きをしておきたいのか。……そういえばリアンの軍帽は大丈夫なのか。


「ああ、あそこですか。いいですねぇ、あたしも一度行ってみたいですよ」


 スティンは特に疑う様子もなく話を続ける。


「これから蒼の国に行くんですよね、おすすめのお店を……おっと」


 そこで言葉が途切れる。舟が砂の波に揺れたのだ。フードが向かい風で脱げてしまい、僕の顔が露わになる。被り直そうかとも思ったが、日の傾き始めた今の時間帯ならこの崖下に太陽の光は届かない。

 アルフェもフードは脱いでいる。このままでいいか、と思っているとスティンが僕を見て納得したような顔をする。


「ああ!リンさんは翠の方だったんですねぇ」

「あ、いや……」


 しまった。隠した方が良かったか?いや、しかし蒼の国は玄の国とは違って翠の国と険悪なわけではなかったはず……

 横目でアルフェを見ると、にっこりと笑いかけられた。構わないということか。


「初めて間近で見ましたよ。樹人族の方って、生まれた地を離れることが出来ないって聞きましたけど、デマだったんですねぇ」

「ええ、まあ……僕は混血で。そういう性質には縛られないみたいですね」


 何か勘違いされているが、話を合わせておこう。緑の髪色といえば、樹人族を連想するのが普通である。ただし本物の樹人族は頭部にツノのような枝葉が生えていたり、皮膚が幹のように硬質であったりという特徴がある。僕にそれが無いのは混血であるから、ということにしておくしかない。実際、僕が混血であることには違いない。


「翠の国にはたまーに、商売のために行くことがありましてね。最近は……」


 突然スティンが黙り込む。どうしたのかと聞こうとすると、アルフェが何かを感じ取ったように空を見上げた。


「……お人好しめ」

「え?」


 その小さな呟きの意味を訊き返す前に、舟の下の砂が不自然に揺れ始める。


「な、なんだ!?」

「みんな、構えて!」


 アルフェがそう叫んだ途端、強烈な衝撃で足下が浮き上がった。


「っ!」


 ほとんど垂直に飛び上がった舟は、どうにか僕たちの重みと舟の制御術式で空から砂河へと戻る。しかし砂の流れは完全に止まっていた。

 ホルダーから銃を引き抜いて、砂の中から現れたそれに銃口を向ける。


「クソッ……デカすぎるだろう……っ!」


 そこにいたのは、巨大な蜥蜴、という表現では生易しい凶暴な形状をした魔物だった。巨体を覆う鱗は刃のような鋭さを持ち、人間を簡単に丸呑みできそうな大口にはこれまた鋭く凶悪な牙が並んでいる。地響きのような唸り声を上げて、地を震わせた。

 僕たちの後続であるリアンたちの舟は少し離れた場所で停止していたが、こちらよりも後方にいたせいか衝撃で舟が破損してしまっている。


「あたしが上に行く。二人は援護を!」

「了解!」


 リアンは大剣を持って魔物の頭部へ向かって跳んだ。前足がそれを払い落とそうと動くが、リアンの動きの方が早い。空を蹴って魔物の視界の中を跳び回る。

 リアンが囮になっている間、僕とノンは武器を手に援護射撃を行う。だが。


「げっ、実弾は効かないぞ!」

「魔弾でもダメだ、鱗が固すぎる……」


 通るダメージが全くのゼロというわけではないが、鱗が欠ける程度でしかない。魔弾の威力を最大にしても、肉にようやく届くか否かというところか。ならば……

 弱点を探るスコープを起動させて、最大威力で魔弾の照準を定める。攻撃が通るであろう場所に狙いを付け、引き金を引いた。


「っ、当たった……!」


 リアンが魔物の注意を引いてくれていたおかげで、僕の放った魔弾は外れることなく魔物の片目を潰した。

 その痛みで暴れだす魔物に向かって、ノンが魔術陣を発現させ氷魔術を放つ。首の部分が氷に覆われ凍り付き、僅かに魔物の動きが鈍った。その一瞬の隙を突いて、リアンが頭部に向かって跳び、大剣を突き立てる。鱗を砕き、切っ先を中身に届かせようと力を込めているのが見える。


「リアンの怪力でもあれが限界なのかよ!?」


 血が噴き出しているももの、まだ浅いのか頭を振り乱して崖にぶつけ、岩が砕け落ちてくる。砂が舞い上がり視界が塞がれてしまった。照準の先が砂色に染まる。

 リアンは無事だろうか?僕も上に行くべきか?そうだ、アルフェはどうして動かない?もしや僕らがどれだけ戦えるのか見定めているのか?

 短い思案の最中、傍観していたスティンがいきなり立ち上がり空に向かって強く叫んだ。


「アルゲニブさんッ!!」


 声が響き、直後に風で砂が吹き飛ぶ。視界が暗くなり始めた。上空から巨大な何かが高速でこちらに近付いてきている!


「リアン!!」


 僕の呼びかけが早いか否か、リアンはすぐさま大剣を引き抜いてこちらに向かって退く。リアンが着地すると同時に空からやってきた「それ」は、凄まじい勢いで魔物を下敷きにした。


「……ドラゴン!?」


 青い体躯のドラゴンが、魔物を押さえ付けている。大きさは互角だが、力はドラゴンの方が圧倒しているようだ。魔物の鱗をものともせずに、翼のついた腕で魔物の身体を地に這わせる。そして、先ほどまでリアンが大剣を突き刺していた頭部を手の爪で伏せさせた。

 厄介なことになった。今はドラゴンが魔物の相手をしているが、それが終わればまた僕たちに攻撃の手が向くだろう。この二体が相打ちするか、この間に逃げるか……

 僕は銃をドラゴンへ向ける。攻撃するかはともかく、弱点は探っておいて損は無い。だが、背後から伸びた手によって銃口は無理やり下ろされた。


「撃たないでください!」


 スティンは必死の形相で僕にそう訴える。一体なんだというんだ?

 僕が戸惑っていると、静観していたアルフェが口を開く。


「うん、撃つ必要は無いよ」

「え……?」


 アルフェの視線の先には、魔物とドラゴンがいる。ドラゴンは鋭い牙で魔物の首を噛みちぎり、完全に再起不能の状態にさせていた。血生臭いにおいが周囲に充満する。そのまま魔物を食べ始めるのかと思いきや、噛みちぎった魔物の首を口から離した。

 ドラゴンはゆっくりと、こちらを向いた。赤い瞳が僕らを捉える。不思議と敵意は感じない。


「……うっ!?」


 突如、周囲が眩い光に包まれる。薄目を開けると、光の発生源があの青いドラゴンであると分かる。


「一体、何が……?」

「安心して、彼女は敵じゃないよ」


 ……彼女?

 何を言っているんだ、と疑問を口にする前に、アルフェの言う「彼女」が何を指しているか、すぐに理解する。

 光のシルエットがドラゴンから人の形へと変貌していた。アルフェは続ける。


「彼女がキミとボクに次ぐ、三人目の巡礼者」


 光がおさまり、その姿がはっきりと現れる。

 足につくほど長く青い髪、頭部から生えている特徴的なツノ、赤い瞳と縦長の瞳孔、その身を包む白い服。


「彼女の名は、アルゲニブ」


 アルフェは天を仰ぐ。もう空は夕暮れの色に染まり始めていた。


「今頃、翠の国の二人も合流しているかな」

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