二十一話 暑い旅路

 目を覚ますと、咀嚼音のような音が耳に入ってきた。


「おふぁよ。よふねふれた?」


 目の前にいるリアンが何かを食べている。口に物を入れたまましゃべるんじゃない。


「ああ……寝るつもりはなかったんだが。どのくらい経った?」

「……三時間くらいかな」

「そうか……」


 窓の外に目を向けると、どこかの森の中の道を走っているようだ。玄の国内を走っていた時よりも、速度が速い。そういえば、こうした人里の離れた場所では魔物や獣の類と遭遇することが常だが、今のところそれらに襲われていない。新型車両というだけあって、それに対する何らかの術式が施されているのかもしれない。

 木々の生い茂る地域を走っているということは、まだまだ蒼の国までは遠そうだ。

 ずっと同じ体勢をしていたせいで、少し背中が痛い。背筋を伸ばして深呼吸すると、リアンの食べているサンドイッチの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「ところで、それは?」

「これ?倫も食べたら?あと一時間程度で降りるらしいし」

「……アルフェが用意してくれていたんだな」


 そう言って隣を見るとアルフェがいない。


「アルフェなら前にいる。経路の調整とかなんとか」


 リアンから分厚いサンドイッチを受け取り、頬張る。美味しい。コーヒーが欲しいが、そこまでの贅沢は言わない。


「ノンはもう食べたのか?」寝ているが。

「ずっと寝てる。……起こすか」

「水はかけるなよ」

「しないよ」


 その後、ノンを起こして三人で食事をし終えてから一時間程度が経った。

ずっと運転席で経路の調整をしていたらしいアルフェがこちらにようやく顔を覗かせて、僕たちに進路の進み具合を伝える。


「そろそろ砂漠地帯が近いから、準備をしておいて」


 アルフェが食料と共に積んでおいた荷物の中には、人数分のマントも用意されていた。砂漠を行くのなら必須の装備だ。

 それぞれ手に渡ったマントを身に付けていると、ノンが何か不思議そうな顔をしている。


「砂漠でマントが必要なのは分かるけど、歩くわけでもないのにつける必要あるかな」

「は?」と思わず僕はノンを見る。「歩くんだぞ」

「え?なんで?」

「蒼の国までの道はアルフェが教えてくれただろう」

「……この車両で突っ切るんじゃないのか!?」

「砂漠は他の地域と違って地中に魔物がたくさん潜んでいるから、この手の車両は使うべきじゃない。音や振動でこちらの居所を知らせてしまうから、遭遇しやすくなる。昔習っただろ?」

「……そういえばそんなこと、訓練生の時に教わったような?」


 苦笑しながら、ノンはマントを羽織った。この車両が浮いてくれでもしたら、このままでも進めるかもしれない。しかしながらそんな機能は無い。であれば歩くしかない。危険な砂漠地帯では慎重を期すべきだろう。アルフェにかかれば、どんな危険も危険足り得ないかもしれないが、一応リアンとノンは旅の警護として同行しているのだ。役目が逆転するような状態になっては目も当てられない。だからと言って、僕も守られてばかりいるわけにもいかない。だから、いつも通りやるつもりだ。

 窓の外の景色が砂色を占めるようになってきた。そして、車両が止まる。アルフェが運転席からこちらにやって来て、僕らが装備を整え終わっていることを確認した。

 ドアを開けて、外に出る。日は高く、既に暑い。フードを被って、日光による熱を少しでも減らさなければ体力がどんどん削られてしまいそうだ。マントと共に装備した飲み水の入った容器を、改めてしっかりとベルトに括り付けておく。

 アルフェが最後に降りてドアを閉めると、車両は自動的に来た道を戻っていく。聞いてみると、行きで設定した経路を逆走する仕組みらしいが、完全無人のままこの長距離を走行させるのは開発部も不安があるらしく、途中で警備部隊の巡回ルートに差し掛かるところで回収されるそうだ。開発部からは後で使い心地を報告して欲しいと言われているのだとか。アルフェの評価だと、「まだ術式の完成度が低い」とのことだが……もしやしばらく運転席にいたままだったのは、走りながら術式を組み直していたのだろうか?凄いというか、恐ろしいというか……まあ、頼もしいことには違いない。

 戻っていく車両を見送って、僕たちは砂漠へ足を踏み入れた。



「……あ、暑い」

「じゃあ叫ぶのやめてくれない」

「また魔物が来たらどうするんだ」

「悪かったよー……怒んないでくれ暑いから」


 歩き始めてから一時間ほど。ノンは既に辛そうだ。「砂漠」などと分かりきったことを急に叫び出すほど。つい先ほど魔物に遭遇してしまい、体力を消耗してしまったせいもあるだろうが、もう少し堪えてほしい。

 しかし僕も慣れない環境にいまいち身体がついていけていない。体力作りは怠らずにやってきたつもりなのに……今ばかりは腰に下げられた双剣が憎い。

 リアンは?と思って彼女の方を見ると、いつもの無表情……に汗が浮かんでいる。それを見て安堵した。流石にこの暑さは、リアンも汗を流すほどなのだ。いや、僕はリアンを何だと思っているんだ。

 先頭を歩くアルフェはまったく足取りが乱れない。僕らよりも背が低い分足運びが早いというのに、だ。やっぱりこの人は人間じゃないのかもしれない。

 踏みしめる砂はあちこちで小さな山を形成しており、それを登り下りして進んでいる。どうやらアルフェには進むべき道が見えているようだ。僕には茶色が一面に波を描いているようにしか見えない。


「みんな頑張って。もうすぐだよ」とアルフェが励した。

「あのさ、アルフェなら空間魔術とか転移魔術で、こんな歩いたりしなくても、移動、できるんじゃ、ねーの……」ノンが息を切らしてそう零す。

「ごめんね、みんなをボクの魔術で移動させることは避けたいんだ。それは緊急時の手段として残しておきたいから」

「えぇ……じゃあ、軍の転移ゲート……」

「あれは術式を組み直させている最中なんだ。最近、点検で使えない時が多いのはそのせい。始めたのはもう十年近く前だから、半分以上は置換されつつあるけどまだ不安定な部分もあって。元はボクがほとんど一人で組んでしまっていて、消費する魔力もボクを介しているような状態だったから、それを改善するべきだと思ってね。本当は玄の国を囲む結界も、固定式でボクに依存しないものに変えたいんだけど……そこまで手が回っていないのが現状かな」

「そ……そう、なんだ……」


 ノンはがっくりと肩を落とした。

 それにしても、アルフェはさらりと言って流したが、今の話には驚いてしまった。魔力消費がアルフェを介して行われているということは、実質彼自身が常に魔術を発動させているようなものだ。転移魔術も巨大結界魔術も莫大な魔力を必要とするはずだ。それは人の身で行えることなのだろうか。魔術が不得手な僕にとっては、そんな術の使い方など夢のまた夢だ。

 アルフェはげんなりとしたノンに苦笑して、元気付けるように付け加えた。


「もうすぐ舟着場が見えるはずだから、そんなに落ち込まないで」

「舟……?砂漠のど真ん中なのに?」

「うん。ほら、あそこだよ」


 アルフェが前方を指差した。その先には砂漠の地を切り裂く大きな亀裂と、その崖に沿うように建てられた簡素な小屋がある。砂の山の上からそれが見えた。


「砂河舟で蒼の国まで行くのか」


 僕がそう聞くと、アルフェはうなずく。


「砂漠を介して蒼の国に行くなら、これが一番早いと思うんだ」

「おお、聞いたことあるぞ!砂漠に流れる砂の川……あれがそうなのか!」

「砂河舟、か……」


 リアンが亀裂を眺めながら呟く。そういえば昔、地理の勉強をしていた時に砂河舟に乗った時の話をしていたような記憶がある。あの時はどんな話をしていたっけ……覚えていない。


「よし、あそこまで行けばもう歩かなくてもいいってことだな!行くぞみんな!」


 ノンが意気揚々と砂の山を下っていくのを追いかける。まだ全然元気じゃないか、あいつ。

 舟着場の手前にある小屋に向かうと、先客がいた。二人の男が何かを話し合っている。中年の無精髭を生やした男は頭に布を被せて全体的に裾の長い装い、もう一人の若い男は工芸品らしき細かい刺繍の施された布を頭に巻いていて、やはり大きな布を纏ったような裾の長い服だ。その服装からして、蒼の国の住人であることが分かる。

 若い男の方が僕らに気付いて手を上げた。


「おや、砂河舟をご利用ですか?」

「うん、空きはあるかな」


 アルフェが聞くと、中年の男が若い男を指して言う。


「こいつと相乗りになるがいいか。今、三人用が二隻しかないんでな」

「ボクたちは構わないよ」


 「ね?」とアルフェがこちらを見る。僕たちがうなずいて了承したのを見ると、アルフェは管理人らしい中年の男に運賃を払った。

 崖下の砂河へ案内される。まるで普通の川のようだが、流れているのは紛れもない砂だ。そこに流されないように係留された舟が二隻ある。普通の木造の舟に見えるが、沈んだりしないのだろうか。


「乗ってくれ。俺が綱を外したら、舟は勝手に進む」


 そう管理人が促すが、僕らは動かず視線だけはある一点に集まる。


「……おや?」


 その的になっているのは、相乗りをすることになった若い男だ。一隻三人乗りとなると、こちらが二人ずつに分かれるのが無難だろうか。


「ああ、あたしはどなたとでも構いませんよ。そちらさんが決めていただければと」


 その言葉を聞いて、僕らは顔を見合わせる。


「そんじゃあ……」


 ノンの提案で相乗りするのは僕とアルフェ、リアンとノンという組み合わせになった。特に反対意見は無かったが、どういう決め方なんだろうか。

 僕たちは舟に乗り込む。僕の隣にアルフェが座り、向かいに男が座った。水上の舟よりも、乗った時の足下の感覚が固く感じる。管理人が綱を外して、舟は砂の上を進み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る