兄妹の語らい

「……ただいま、戻りました」


 精神的にも肉体的にも疲労困憊のアデリナは、出迎えたメイドたちに俯いて力なく言う。


 今は心の中がぐちゃぐちゃで、誰にも会いたくない。だが、そういう時ほど人に会うものだ。たまたま玄関ホールを通り抜けようとしたマーカスに目敏く見つけられてしまった。


「アデリナ、帰ったのか」

「……ただいま、戻りました」


 アデリナはメイドに言った言葉を繰り返す。その意気消沈した様子に、マーカスが眉を寄せた。


「おい、何かあったのか?」


 何を話せばいいのかもわからず、アデリナは俯いて首を左右に振る。だが、マーカスは信じない。俯いて黙り込むアデリナの手を掴むと、引っ張って自室へと連れて行った。


 ◇


 ソファで隣り合わせに腰掛けると、マーカスがアデリナの顔を覗き込んできた。


「お茶会で笑われたのか?」


 これに関しては違うと言える。俯いてアデリナは首を左右に振る。話そうと思っても、胸に言葉がつかえて出てこない。一言でも何か口にすると、そこから堰を切ったように涙が溢れ出しそうだった。


 何も言わないアデリナに、マーカスはため息を吐く。


「黙っていたらわからないだろう。何があったか言えないのなら、今思うことを言ってみろ。聞いてやるから」


 何があったかではなく、今思うこと。それは──。


「……っ、オリヴァー様が、好き、なんです」


 言葉にすると涙が溢れてきた。誰かを好きになるのは温かい気持ちになるはずなのに、身を切られるように切ない。


 それはどうあっても思いが通じないことをアデリナ自身が悟っているから。報われない思いなら初めから無ければいいのにとさえ思った。


 ボロボロと涙を零し始めたアデリナに、マーカスは困惑を隠せない。


「いや、お茶会とオリヴァー様が好きなことと、何の関係があるんだ? 俺にはさっぱりわからないんだが」


 涙を流したことで多少気持ちの整理がついたアデリナは、嗚咽を堪えながら説明する。


「オリヴァー様が、以前、お付き合いされて、いた方がっ、いらっしゃって……ふっ、私と、全然ちがっ、うからっ、駄目だって、思って……っ!」


 膝の上でぎゅうっと拳を握りしめた。その拳には次々に涙が流れ落ちる。


 アデリナの説明は飛ばし飛ばしだが、マーカスは察したようだ。


「つまり、お茶会に参加したらオリヴァー様が以前お付き合いされていた方がいて、お前はショックを受けたと、そういうことか?」


 アデリナはそれに頷く。さすがに付き合いの長い兄だ。アデリナの拙い説明でも理解してくれた。兄妹っていいものだと思いかけたその時、マーカスが呆れた声を出す。


「お前は馬鹿か? 何もオリヴァー様にはっきり振られたわけでもないのに、一人でいじいじうじうじと。勝手に悲劇の主人公にでもなったつもりか?」

「なっ!」


 辛辣なマーカスの言葉にアデリナの涙も引っ込んだ。何も傷心の妹にそこまで言うことはないだろう。


「お兄様に何がわかるんですか! そもそもお兄様のせいじゃないですか。オリヴァー様に恋愛感情があるのかなんて聞くから、私は……!」


 悲しみから怒りに変わったアデリナは、見当違いな怒りをマーカスにぶつける。アデリナにもそれが間違っているとわかっていた。マーカスは落ち着いてそれを受け止める。


「ああ、そうだな。俺のせいだ」

「ううっ……」


 アデリナは泣きながらもマーカスに抱きつく。そのまましばらくマーカスの胸で泣きじゃくっていた──。


 ◇


「落ち着いたか?」

「……はい」


 マーカスから離れると、アデリナは頷いた。泣くだけ泣いたらすっきりして、アデリナの表情は帰った時よりも明るい。それに気づいたマーカスが再度アデリナに尋ねる。


「それで、今お前が何を思っているのか、話せるか?」

「はい……お茶会でオリヴァー様と噂になった方をお見かけしました。私と違って外見が大人っぽくて。あまりにも違い過ぎるので悲しくなったんですが、それで初めて私はオリヴァー様が好きなんだって気づいたんです。悲しいのは、オリヴァー様に選ばれないって悟ってしまったから。好きだって自覚した途端に失恋なんてあんまりだって思って……」


 マーカスは再び呆れる。


「だから、なんでそうなるんだよ! というか、お前、まだ自分の気持ちがわかってなかったのか? 俺ですらお前の気持ちには気づいていたのに」

「え?」

「だから、俺は協力するって言っただろう? あの時点でお前がオリヴァー様を好きなのはわかっていたぞ。だから、オリヴァー様にも聞いたんだ。お前をどう思うかって」

「……だから、恋愛対象にはなれないって」


 言われた時のことを思い出して、またアデリナは俯く。そんなアデリナの頭をマーカスは小突いた。


「お前ちゃんと聞いていたのか? ってオリヴァー様は言ったんだ。つまり、これからお前が成長すればそうじゃないってことだろう」

「あ、そうか」


 ようやく自覚した自分の気持ちや、オリヴァーが付き合っていた女性を見たことで、アデリナは余程混乱していたようだ。


 まだ終わってないのだと、アデリナの表情が明るくなる。わかりやすい変化に、マーカスは苦笑した。


「本当に単純な奴だな。だが、このままだと、お前を意識する前にまたオリヴァー様が新しい恋人を作らないとも限らない。そこでだが」

「何ですか……?」


 何を言われるのかとアデリナはごくりと唾を飲み込む。


「オリヴァー様に気持ちをちゃんと伝えろ。それで断られたら、自分が成長するのを待って欲しいって言ってみろ」

「お兄様、それは……」


 それこそ難しいのではないだろうか。今はオリヴァーの下で働かせてもらっているのだ。雇用主と従業員という立場で、それを口にしてもいいのか悩む。


「……迷惑になりませんか?」

「なるだろうな」


 マーカスはあっさりと頷いた。アデリナはがっくりと肩を落とす。


「駄目じゃないですか」

「だが、今も十分迷惑かけているだろう? いきなりあなたの店で働かせてくださいと言った上に、うちまで挨拶に来させて、実際に雇ってもらって。これに一つくらい増えたところで、オリヴァー様にはどうってことはなさそうだが」

「ぐっ」


 これにはアデリナも反論できない。思えば最初から迷惑のかけ通しだ。それで振り向いて欲しいなんておこがましくて言えない。


「……やっぱり私は子どもですね。そんなことにも気づかないんですから」


 マーカスはアデリナの頭を撫でる。


「そうだな。今はまだ子どもだ。それはオリヴァー様も思っているはずだ。それなら、これから大人になるお前を見てもらえばいい。そのためには相手に意識してもらわないと意味がない。だからこそ、今のうちに気持ちを伝えておけ。手遅れになる前にな」

「お兄様……そうですね。社交界にデビューしたら、これまでのようにはいかないでしょう。お父様が縁談をまとめるかもしれませんし……」

「ああ。頑張れよ」

「ええ。お兄様もね」


 マーカスに感謝を込めて笑いかけると、マーカスはきょとんとする。


「俺が、何を頑張るんだ?」

「え? お兄様はクラリッサさんが好きなんでしょう? だからお互いに頑張りましょうって……」

「あああ……」


 アデリナの言葉にマーカスは赤くなり、頭を抱えてしまった。もしかして言ってはいけないことだったのだろうか。アデリナは慌てて口を押さえる。マーカスは上目遣いにアデリナを見た。


「……気づいていたのか」

「それこそ愚問です。とっくに気づいていましたが」

「……もしかしてクラリッサさんも気づいているのか?」


 アデリナはクラリッサの様子を思い出すように宙を眺めて首を傾げる。


「どうでしょうね。私にはわかりません。それもクラリッサさんに聞いてみればいいのではないですか?」

「聞けるわけないだろうが!」

「ええ? 私にはオリヴァー様に気持ちを伝えろって言ったくせに?」

「お前は子どもだから許されるが、俺は失敗したら取り返しがつかないんだよ!」

「そんなことはないと思いますけど。私とお兄様は中身が似ていて可愛いってクラリッサさんはよく言いますし」

「……俺も子どもってことか」


 今度はマーカスが落ち込んでしまった。そんなマーカスを慰めながら、アデリナはマーカスにもらった助言通りに気持ちを伝えようと決意を固めていくのだった。

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