対決の時1

 当初、手紙の返事は否だった。

 わたくしとは話す必要がないと切って捨てられたのだけど、コンラートの子爵家当主としての権限を使ってそちらにうかがうと再度通達すると、渋々受け入れてくれた。


 血の繋がりに意味がないということを痛烈に感じて、また惨めな気持ちになった。だけど、そこで諦めたら終わりだ。わたくしの気持ちをおもんぱかるマインラートに大丈夫だと言ってその日に臨んだ。


 ◇


「これはアイリーン様、お帰りなさいませ」


 ブリーゲル邸の玄関ホールで恭しく頭を下げるのは、わたくしがまだブリーゲルにいた時から勤めている執事だ。あの頃と違って金髪だった彼の髪は半分以上が白髪に変わっている。


「お帰りなさいなんて言ってくれるのは、あなただけでしょうね。クルトは何をしにきたと言うでしょうし」


 思わず苦笑すると、執事も困ったように眉を下げる。それからわたくしの隣に立つマインラートに困惑したように頭を下げる。


「ようこそお越しくださいました、シュトラウス卿。一緒にお越しになると聞いておりませんでしたので、ご挨拶が遅れて申し訳ございません」

「いや、今日は私は妻の付き添いだから、気を遣わないでくれ。ブリーゲル卿には私も一緒だとは言ってないんだ。君たちも言わないでくれるか?」

「ですが……」

「わたくしからもお願いするわ。マインラートが一緒だとクルトはわたくしをまた無視するでしょうから。今日はブリーゲルであり、シュトラウスの者として、わたくしがあの子に言いたいことがあってきたの。それで、応接室には続き部屋があったでしょう? 話が終わるまでの間、マインラートをそこで待たせて欲しいのよ」


 それでも執事はまだ渋っているから、やりたくはなかったけれどわたくしは仕方なく強権を使った。


「……わたくしはこの家の娘で、あなたの雇い主の一人よね? その上シュトラウスに嫁いだことでこちらに融通を利かせていると思うのだけど」

「……かしこまりました」


 執事は了承すると、わたくしたちを中へ案内する。その最中、隣でマインラートが感心していた。


「君もやるね。いざとなれば私が出ようかと思っていたが」

「いえ。本当はこんなやり方は好きじゃありません。ですが、昔からこの家ではこのやり方じゃないと通用しないんです。力でねじ伏せて人を抑え込もうとする。相変わらず何も変わっていないのね……」


 昔は力がなかったせいで家族に見下され、使用人たちはそんな家族の言いなりになるしかなく、わたくしをいないものにしようとした。そのことは恨んでいない。皆それぞれ事情があるのだから。


「アイリーン、大丈夫か?」

「ええ。これからが戦いですもの。こんなことで参ってはいられません」


 心配そうなマインラートに笑いかける。

 まだ大丈夫、戦える。あなたが傍にいてくれるのだから──。


 ◇


「それで何の用ですか? わざわざシュトラウスの当主権限まで使って」


 応接室で立ったまま対峙するのはわたくしの弟──クルト・ブリーゲル。茶色の髪と瞳のそこそこ整った容姿だったクルトは年齢を重ねて、どことなく疲れた風情だ。クルトは面倒臭そうにわたくしを一瞥する。過去に振るわれた暴力を思い出して体が震えそうになるのを気力で抑え、わたくしは高慢に振る舞う。


「随分なご挨拶だこと。せっかく会いに来た姉に対する態度なのかしら?」

「はっ。あなたを姉だなんて思ってはいませんよ。何の音沙汰もなかったくせに今更何のつもりだか」


 クルトは鼻で笑う。姉と思ってもいないのに、シュトラウスから援助金だけは受け取るのか。クルトの厚かましさに苛立つ。


「そんなわたくしがシュトラウスに嫁いだから今もこの家はある、そうは思わなくて?」

「思い上がりもはなはだしい。あなたの力ではないでしょう。政略的な価値のないあなたではなく、シュトラウス卿と私の力だ」

「そう……それならどうしてシュトラウスが大変な時に見捨てたくせに、今こうしてシュトラウスから援助を受け取っているのか、考えたことはあるの?」


 これで少しでも自分の愚かさに気づいて欲しい、そう思って尋ねたのだけど、クルトには通じなかった。

 クルトは自慢げに笑う。


「それはこの家にそれだけの価値があるからでしょう?」


 厚顔無恥とはこのことだ。隣室で聞いているだろうマインラートにも恥ずかしく思う。

 諦観を滲ませてわたくしは笑うしかなかった。


「……今日はシュトラウスの者として通告しにきたの。シュトラウスはブリーゲルの援助を取りやめるわ」

「なっ……!」


 クルトはわたくしを凝視する。だけど、何がおかしいのか笑い始めた。


「何を言うかと思えば、あなたにそんな権限はないでしょう。真面目に聞いた私が馬鹿でした」

「……ええ、あなたは馬鹿よ。わたくしは来たと言ったでしょう。つまり、わたくしは当主の使い。始めにあなただって言ったではないの。当主権限まで使って何の用だと」

「……なん、で、あなたが……?」


 それが真実なのだと悟ったクルトの顔色が一変した。前のめりになって言葉も震えている。


「わたくしがブリーゲルの者でもあるからよ。ああ、違った。わたくしはこの家から縁を切られたのだったわ。なら、余計にもうシュトラウスがブリーゲルに援助をする理由はないでしょう?」

「……あなたは関係ない。ブリーゲルとシュトラウスの間で交わされた約束だ。それを一方的に破るなんて」


 クルトは握りしめた拳を震わせて怒りを堪えているようだ。だけど、それがおかしいのだと何故気づかないのか。


「だから、先にシュトラウスが大変な時に何もしなかったのはブリーゲルの方だと言っているではないの。それでもこれまで援助を続けたのはわたくしが子爵夫人だったからというのと、あなたたちが援助金を正規に使っていると信じていたからよ」

「……どういう意味ですか?」


 怪訝な顔をするクルトに溜息しか出ない。自分たちに都合のいいことばかり主張して、聞いていて気分が悪くなる。


「……マインラートは領地が大変だからとあなたたちに援助をしてきた。だけど、あなたたちはその援助金を何に使ったの? 領民たちには重税を課しておいて、自分たちが楽になるために援助金を懐に入れて。国からのお金ではないから不正流用ではないかもしれない。それでも、あなたたちが楽をするためにマインラートやコンラートは身を削ってシュトラウスのために働いていたわけではないわ。恥を知りなさい!」


 怒りで目の前が赤く染まる。自分たちは身を削ることなく領民たちに無理を強いて、他家に依存するその根性が気にいらない。


 わたくしが睨み付けるとクルトは睨み返してくる。


「……あなたに何がわかるんですか。誰にも期待されずに一人、楽な道を歩んできたあなたなんかに、私の気持ちはわからない」

「ええ。わかりたくもないわ。自分を正当化して領民たちを虐げるような当主の言い訳なんて。そもそも何故わたくしたちが貴族でいられるのかわかっているの?」


 貴族というのは特権階級に見られがちだけど、実際は違う。王政であるこの国で、王の手足として民のために尽くす。それを反対に搾取するようでは王の信を問われるだろう。


 クルトは馬鹿にするように睥睨する。


「そんなことはあなたに言われなくてもわかっていますよ。あなたは黙ってシュトラウスに援助を続けるように伝えればいい。それくらいしか価値がないのだから」

「……嫌よ。絶対に言わない。このまま援助を打ち切ってくれとさえ思うわ」

「あなたはブリーゲルがどうなってもいいというのですか?」


 クルトは剣呑な目つきで立ち上がり、わたくしの方へ近づいてくる。その圧迫感に身が竦みそうになる。だけど、ここで負けるわけにはいかない。クルトを睨みつけて答える。


「ええ。この地に必要なのはちゃんと領地を治められる領主であって、今の搾取するだけのあなたではない」

「この……!」


 クルトの手が振りかぶり、わたくしの頰を強く張る。パシンという乾いた音が響いて、その勢いで座っていたわたくしの体がかしぐ。


「アイリーン!」

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