第11話 約束を果たす


 話し合いを終えた後、駆は文音の叔父夫婦に夕食を一緒にどうかと勧められた。駆はそこまでは申し訳ないと最初は断ったのだが、文音に強く勧められたこともあり、少しだけ一緒することにした。

 夕食の席上では改めて駆の勇敢さ、優しさについて文音の叔父が絶賛して、次は自分たちが駆の叔父夫婦にご挨拶に行きたいと言い出す一幕があり、駆は話し合いの時とは別な意味ですっかり困り果ててしまった。

 そして、食事も終わった駆は、途中まで見送りに来た文音と二人で夜道をゆっくりした足取りで歩いていた。

 この日は満月で、柔らかな月の光が夜の街を照らしている。


「文音の叔父さんって、感情が豊かな人なんだな」

「良く言えばそんな感じかしら? 私に言わせればちょっと単細胞なところがあるような気もするんだけれど……」

「……自分の叔父さんに対して随分容赦がないなあ」

「これくらい許容範囲よ。どうせ叔父さんが聞いているわけじゃないんだし」


 呆れた様子で話す駆に、文音はにっこりと微笑んでそう言った。文音の表情は満足感に溢れている。そこに数か月前の他人に対して冷淡な態度を崩さなかった文音の姿は全くない。


「でも、今日ほど駆のことをカッコいいって思ったことはなかったわ。叔父さんがあんなに怒り狂っているのにすごく冷静で。しかも、その理由が「私が悲しむ姿を見たくない」なんだもの! あんな場面じゃなかったら、私、あそこで泣いちゃっていたかも知れない。それくらい感動したわよ」

「文音にそう言ってもらえると俺も嬉しいな。文音の為にどうにかしたかった、ってそのことだけを考えていたからさ」


 文音が感に堪えぬと言った感じで話すのに対し、駆は少し照れくさそうに答える。全身全霊で文音の叔父と対峙していた疲れからか、どうにもうまく自分の気持ちが制御できなかった。


「駆、ちょっと疲れてる?」


 勿論、文音はそれを見逃さない。やや心配そうに駆のことを見つめる。


「ちょっとね。あれだけ凄い目にあったんだし、疲れもするよ」


 駆は隠すことなく正直なところを文音に話す。すると文音は「駆の家まで一緒に行く」と言い出した。


「駄目だよ文音。せっかく叔父さんたちに認めてもらったのに……」

「でも、私、不安なのよ。疲れている駆がもし事故にでも遭ったらって……。少し遠出するだけだし、もし叔父さんに何か言われても、今度は私だけで何とかして見せるから……!」

「文音……」


 文音のことを案じて諫めようとした駆は、文音がトラウマのことを持ち出してまで自分のことを心配しているという事実に、何も言えなくなってしまう。と同時に、文音がまだ過去のことを引きずっているのかと不安になった。

 しかし、その次に文音から出てきた言葉は力強い意志に溢れていた。


「駆が今日私に見せてくれた勇気を、私は一生忘れない。この先どんなことが起きたとしても、もう私はくじけないわ! あの事故のことは忘れられないけれど、でもそれにばかりこだわらないで、私は未来に進みたいの」

「文音……お前……」

「だから行こう、駆。どこまでも、ずっと一緒に……」


そう言って、文音は駆のことを真剣な眼差しで見つめた。そして、駆もまた文音のことを真剣な眼差しで見つめ返す。


「分かったよ。文音、俺も文音と一緒にいたい。いつまでも、どこまでも……」

「駆……」

「大好きだよ、文音……」


満月の光に照らされながら、二人は思いを重ねた。



 それから、二人は無言のまま、駆の家へと歩いて行った。

 駆はさっきからどうも妙な感じがしていた。何か、肝心なことを忘れているような、そんな感じがする。

 駆が気を紛らわせようと文音の方を向くと、文音の方は文音の方で難しい表情をしていて、何かを考えているようだった。


「文音、どうかしたのか?」

「え? うーん、そうね……ちょっと落ち着かなくて」

「やっぱり家のことが心配になったとか?」

「ううん、そうじゃないんだけれど……ちょっとね……」


 普段はあまり言い淀んだりしない文音なのに、今に限って少々歯切れが悪い。


「駆こそ、何か落ち着かないみたいだったけど、どうかしたの?」

「う、うーん……それがさ、よく分からないんだ。何か忘れているような気がするんだけど、何を忘れているのかが全然出てこなくて」

「え、駆もなの……! 実は私もそうなのよね。……何か忘れていることがあるはずなんだけれど」


 文音が意外そうな声を上げて駆のことを見る。駆の方も不思議そうな表情で文音のことを見た。


「文音もなのか……? 二人同時に思い出せないことが出てくるなんて、不思議なこともあるもんだな」

「本当ね……。それにしても、一体何を忘れているのかしら?」

「普段だったら、別に何かを思い出せなくても気にしないんだけどな。……でも、今は何故か思い出さないといけない気がするんだよな……どうしても」

「私も同じ気持ち。何でなのか良く分からないんだけれど、思い出さなきゃ、って思えて……」


 そう言って二人は顔を見合わせてその場に立ち止まり考え込み始めるが、二人ともどうしても思い出したいことを思い出すことが出来ない。

 中々忘れていることを思い出せず、途方に暮れた駆は思わず空を見上げる。空には月が満ちていて、駆たちのことを明るく照らしている。

 駆は引っかかるものを覚えた。自分はいつだったか、満月の夜に何かをしていたはず。母親の葬儀が行われた日の夜、そう、あの日も確か満月だった……。

 そこまで考えた時、駆の中で全ての記憶が一度に蘇った。


 母親が死んで悲しみに沈んでいた葬儀の日の夜に一人で外に出ていたら、漆黒のドレスに身を包んだ老婆が現れて、駆に怪しげな薬を勧めてきたのだ。

 そして、駆はそれを飲む前に老婆とある約束をした。

 願いが叶ったときに、満月の晩になったら、月に向かって言わねばならなかった。ありがとうと……。


 全てを思い出した駆は思わず文音の方を見る。文音の方も呆然とした表情を浮かべながら、駆の方を見ている。何を思い出したのか、などと聞く必要もない。恐らくは文音も、駆と同じことを思い出したはずだ。

 そして駆はようやく気付く。母親が亡くなった後、悲しみに暮れていた自分が心の奥底で本当に求めていたものが、一体何なのか。


「文音、大丈夫か? そんなに呆然として……」

「え? え、ええ……ちょっとね。急に忘れていたことが何なのか思い出すことが出来て、自分でもびっくりしちゃったから……そういう駆はどうなの?」

「俺? ……うん、俺も思い出せた。月を見てたら、ふわっ、とね」

「私もおんなじ。……ちょうど中身がお月様にまつわることだったのよね」


 文音の言葉に駆は微笑みながらうなずく。これで答えは全て出た。


「なあ、文音?」

「なあに、駆?」

「俺さ、満月の夜にやりたかったことがあるんだ」

「え? ……そっか、実は私もあるのよね、やりたいことが」


 駆の言葉に文音は一瞬だけ怪訝そうな声を上げたが、すぐに事情を理解したようで、いたずらっぽい微笑みを浮かべながら駆と話を合わせる。


「じゃあ、二人同時にやってみるか?」

「いいわね、それ。大賛成よ」

「じゃあ、3・2・1でタイミングを合わせよう」

「分かったわ」


 そこで二人は一度言葉を止めて呼吸を整えると、リラックスした表情でカウントダウンを始める。


「3」

「2」

「1」


 駆と文音の声が同じタイミングで時を刻み、そして二人の声が強く重なる。


『ありがとう!』


 駆と文音は自分にできる最高の笑顔で月に向かってありがとうを贈った。

 何の憂いも、悩みも、そこには存在しなかった。



 空に満ちる月はそんな二人を祝福するように優しく輝いている。

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満月の約束 緋那真意 @firry

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